83.幕間。或いは電波猫と紫月
カタリ、と盤上の駒を進める。
石杯の上の紫瞳の猫が、クルリと尾を回す。
白く長い尾が、澄んだ紫の月光に照らされて、艶やかに光る。
暫し、中空に何かを描くように尾を振った後、盤上の駒の一つを掴み取る。
ゆっくりと、優雅とさえ言える仕草で駒を進め、私の駒の一つを奪い取る。
盤面から視線を外してその瞳を覗き込めば、如何にも得意気に瞳を細め、ユラリユラリと尾を揺らす。妙手の様に見えるが、それは罠である。さて、思惑通りに縄張りに入ってきた駒を料理してやろうと、駒の一つを取った時だ。
探知に反応。取りかけた駒から尾を離し、別の盤に石を置く。
「………見付けた。方角は東南東、距離は60km程だ」
紫瞳の猫が置かれた石に目をやる。
暫しの瞑目。
『我も認識した。確かに我らの同胞が囚われている』
ゆっくりと目を開く。細めた瞳から星の欠片の様な紫色の燐光。
『………多くは無い。お前なら2年もあれば皆を回収出来るだろう』
そう言って、頭上を見上げる。
釣られるように私の瞳が、遥か空を覆う紫色の月を捉える。
淡めくように月の輪郭が揺らいでいる。
つぶさに見れば、塵にも似た燐光が月に集まる様が見える。
それは今この時にも集まりつつある魔力の欠片だ。
かつて、里の皆を救う際に紫瞳の猫から請われた願い。
それは、遥か地の底に眠る同胞達の回収だった。
かつてこの地表にあり、今は地下に埋もれた彼等。
恐らくは動植物の遺骸と共に埋設されたであろうそれらを、我らは探している。
私の肉体は、あの龍に呑み込まれ、未だに土中にある。
その肉体から、植物の根のように張り巡らせた魔力糸で、魔力探査に捉えられる微かな魔力を頼りに彼等を探していく。
「………やはり、この泥岩層が根源岩なのだろう」
見付けた魔力の群れを見付ける度に、その位置と方角を記していく。
盤上の石は、地表で見た暗褐色の泥岩の分布によく似ている。この泥岩の上位に背斜構造をとっている貯留岩層があれば、その地点に水や化石燃料と共に、魔力は集まる。それを我らは「巣」と呼んでいる。
墓、そう言い換えても良いかも知れない。
数多の生物の遺骸と共に、それらはあるのだから。
それ故に、我らの所業は一種の墓暴き、と言えるかも知れない。
それでも、暴かれる彼ら自身がそれを願う以上、私としては反対する理由は無い。
物言わぬ死者達の中に埋もれながら、それでも意思を見失わない魔力を救う、その様に言い換えれば、少しは面目も立つのであろうか。
いや。頭を振って考えを捨てる。
言葉遊びに過ぎない。どの様な美辞麗句で着飾っても、やっていることは同じだ。
淡々と、バックグラウンドに回収と、集積地点の捜索を新たにコマンドする。
既に見付けた魔力の「巣」は20を超える。彼らの回収にも慣れた。
空いた思考領域を、暇潰しに行っている駒遊びに戻す。
さて、どんな局面であったか、それを思い出す。
伸ばした尾で駒を進め、いよいよ罠を仕掛ける。
その一手に紫瞳の猫の表情が歪む。
その様を淡々と観察する。
成長している。
間違いない。
原因は分からない。
数多の血肉に混じったことか。それとも、私といるためか。
だが、確実にこのナニカは知性体としての特性を得つつある。
思考すること、ソレに楽しみを覚えること。
無機物めいた、不気味さが日に日に薄れていく。
コレは此方に近付いている。
思わず、口角が上がる。
私の罠に気付いたソレが、唸りながら次手を考える。
その様を見て、ふと、思い付く。
「なぁ、お前。名前が欲しくないか?」
そんな申し出が私の口から滑り出る。
その言葉に、私自身が驚く。なんの蓋然性も利益も無い。それなのにどうしてこんなことを口走ったか。
『名、か。それは既にあるだろう。他ならぬお前が名付けたはずだ、魔力、とな』
私の言葉に気のない返事を返す。視線は盤上を捉えたまま揺るがない。
「………いや、確かにそうだが………」
何故だろうか。理由を見付けられないまま、口ごもる。
理屈では無く、感情に依る何かが、紫瞳の猫の言葉に違和感を訴える。
盤面を睨む猫の姿を見ながら、少し考える。
名。それはその者がその者であるという、最初の証だ。
先程、猫は「魔力」が名であると言った。きっと、それは正しい。だが、その正しさとは、私が「猫」と呼ばれる事が正しいことと同じである。私が名付けたいのは。
ああ、そうか。
ルイオディウと呼ばれていた少女に、春陽という名を返した時と同じだ。
私は、この猫を「誰か」では無く、「誰」にしたいのだ。
思わず、喉の奥が鳴る。きっと私をトラと名付けたボースンも同じ気持ちだったのかも知れない。
遍在する何かでは無い。お前を見ている、呼んでいる、そう言う気持ちの表れだ。
きっと私はこの猫と友達になりたいのだ。
未だに次手を考える猫を見ながら、その名を考える。ついでに、嫌がるかも知れない、コイツの口説き方も。
………
………………
………………………………
「紫月、また巣を見付けた」
あれからどれだけ月日が経ったか、もう忘れてしまった。
何処までも伸ばした魔力糸で、巣を回収していく。
紫月、そう呼ばれた紫色の瞳をした猫が、頷く。その目はまだ盤面に釘付けだ。
最近はやり取りも慣れた。
二匹しかいないこの場所で、延々と遊びに興じながら、ゆっくりと大きくなる魔晶石を見守る。
遥か空を覆う程に成長した、魔晶石。その光を目で追う。
『………なぁ、トラよ』
気付けば、紫月が私を呼ぶ。なんだ、と軽く返す。盤面に変化は無い。私の手番にはまだ早いはずたが。
『お前が地表に置いてきたイキモノ達、人間、と言ったか。アイツらへの未練は無いのか?』
日々、成長する紫月。最近では感情めいたものも見せ始めている。そんな紫月が遂に、そんなことを問うた。
「………私が言うのも何だか。今さらに過ぎる」
自分でも思った以上に優しい声がする。
「私が直接、育てた子らはもうずっと前に天寿を全うしているよ。今、我らの上で生活しているのは、その孫の孫位だろう。それに」
脳裏に浮かぶのは、子らに囲まれていた騒がしい日々だ。
幸せな時間だった。本当に。だからだ。
「私は幸せだった。それにさ、いつまでも年寄りが偉そうにしていると、子供には煙たがられる。皆を守って果てた、格好の良い親、そんな風に見送られて、私は満足だよ」
気にしなくて良いと、付け足した後、少しだけ考え直して言葉を足す。
「………まぁ、子らの子孫だ。もしどうしても助けてくれと呼ばれたら、また地上に行くのも悪くは無い、かも知れないな」




