82.電波猫の子どもたち
「アアアアアアアアァァァ!!!!!」
ナニ、なに、何、ナニ。
ワタシ、私達、ワタシ、ワタシタチ、ワタシ。
救う。ツカマエル。逃げなくては。ナニ。
「そう、吼えるな。全く、永くこの世にいるが、自分からこんな所に来たイキモノは初めてだ。本当に、お前には驚かされてばかりだよ。今、直す」
ナニ。ナニカ。ナニカ ガ ツナガル。
痛い。悲しい。怖い。寂しい。辛い。寒い。
何だ、何だこれは。
「………受け容れろ。イキモノにとって、その痛みは初めてのモノでもあるまいに」
無明の闇に紫色が灯る。
「少しはマシになったか。では移動しよう。ここは少し、近すぎる」
パチリ、と画面が切り替わる。そう、錯覚する。
気が付けば、そこは、あの紫色の月の下。
凪いだ湖面に立つ、石杯の如き巌に寝そべる。
対面には紫瞳の猫。
長い尾を孤月の如く揺らしている。
「トラ、と呼べば良いのだろう?」
そう、問われる。
肯く。
「ワタシでも分かる。お前は馬鹿だ」
呆れた口調でそう呟く。
壊れた人形の様に、私はそれを首肯する。
「………調整が甘かったか。少し待て。あぁ、大丈夫だ。ココに時間は無い。と言っても、今は分からないだろうが」
紫瞳の猫が爪を差し出す。
ズプリ、と脳髄に差し込まれる。
「………やはり、自分たちに無いものを弄るのは難しいな。恐らく、これが自我というヤツだろうか。では、ココは自壊する前に戻す。収集していたデータの方は、一旦、記憶とは切り離して圧縮する。多少、破損するかも知れないが、また発狂するよりはマシだろう。ワタシたちを使っていた部分も一度、魔晶石に格納する。後は………」
ブツブツと呟きながら私の脳髄を掻き回す猫を見る。
随分と人間臭くなった様に感じる。
言葉と行動の一つ一つに、生物めいた無駄を感じる。
コイツは、もっと出来損ないの木偶人形のようなナニカでは無かったか?
「………トラ?聞こえるか?」
聞こえる。
声が出ない。
「………なるほど、ここの弦を鳴らして発声するのか。上手く出来ている」
喉元に紫色の爪が差し込まれる。
それが引き抜かれると同時に、自分の声帯からニァー、と音がする。
「そろそろ、起きろ。ココでは私たちの助けが無くても話せるはずだ」
話す。話す、とは何だったか。
「ハナス ドウスル?」
紫色の瞳の猫が、ガックリと頭を落とす。
苛立だし気に前脚で頭を搔く。
「………あぁ、もう。これではいつかの逆では無いか」
猫がクルリと体を回す。
長い尾が左から回ってきて、私の頬を打った。
豊かな毛に撫でられて、ポスリと小さな音がする。
軽い接触。
それでも、それは「他者」を認識し、「自分」を縁取る。
流れ込む、流れ込む。
衝撃波と共に里を覆った白い火山灰。迫る岩屑なだれ。山中に点在する救うべき人々。推定流路のど真ん中に位置する里からの退避方法。必要な熱量。何よりも足りない時間。
空白となった自我に、圧倒的な量の課題が流れ込む。
身を焼かれる程の焦燥。
咆哮する。
一瞬でも早く、我を現世に戻せと希う。
「落ち着け。ココに時間は無い」
ひどく、平坦な、紫瞳の猫の声がそれを留める。
それでも拭いきれぬ、焦り。
「端的に言おう。今、この瞬間にお前を戻しても、お前の望みは適わない」
分かっている。ソレは既に分かっているのだ。
「………………落ち着け、トラ」
再度、窘められる。
此方を見詰める紫色の瞳が、何時にない熱を帯びる。
「お前とワタシは同じモノだ。だからこそ、お前だけでは出来ない事でも、ワタシが力を貸せば話は別だ」
チリチリと音がする。
紫瞳の猫を中心に稲妻の様に魔力が迸る。
頭上に延び、湖面を打ち、そして荒れ狂う魔力が偽りの月よりも輝く。
「………………分かるだろう。お前に貸していない魔力、その力が」
これが、そうだと言うのか。
見くびっていた、この猫は、いやこの猫たちは、どれ程までに。
「契約の更新だ。今のお前に応じた力をくれてやる。だから………………」
どこか、羞じらう様、臆する様に、紫瞳の猫が願いを告げる。
是非も無し。
………
………………
………………………………
魔力尾が荒れ狂う。
否や、ソレは既に実在を帯びる。
紫色の稲妻が、我が身から迸る。
雷鳴を轟かせて里人を補足する。
全ての音を、動きを、置き去りに、魔力を最大展開。
里の中心、そこに置かれた巨石の周りに、拭いきれぬオゾン臭。
既に全ての里人は我らの手の内にある。
粘性を増した時間の中。
冠雪した山中から、身を捻れさせる龍が迫る。
伝説の龍にも似る、川筋を流れ下る褐色の土砂。
全てを打ち砕き、呑み込み、ただ濛々たる尾を空に漲らせる。
大木が、或いはその一欠片のみで泰山と呼べる石塊が、真っ白な煙を伴って迫り来る。
圧倒的な質量と速度。
正に神たる山の怒り、その具現か。
既に龍は平野をも呑み込む。
山腹には龍の通り抜けた穴が黒々とした咬み痕を残す。
アバランシュバレーだ、と脳の冷えた部分が解析する。
崩壊した山体が、地面すらも削り取り、呑み込みながら成長する。
肥大した体積と質量。位置エネルギーから駆動される運動エネルギーの全てを消費しきるまで、あの龍は止まらない。
静かだった。
その龍は、その力を、威容を何処までも示しながら、ただ静かに此方に迫る。
ソレに呑まれれば、或いは触れるだけでも五体など砕け散るであろう死の流れは、何処までも静かに、そして何よりも早く近づいてくる。
展開した魔力を地面に叩きつける。
黒土を焼き焦がし、踏み締めた四肢で大穴を空ける。
跳ばす。
里人全てを、大きく投げ飛ばす。その先には魔力膜で編んだ網。
トラの里、と呼ばれる地の近くで受け止める。
蘇るかつての思い出。
地面に突き刺さった魔力尾と、宙吊りになった私。
「………………だからな、春陽。梃子の原理でも、レバールールでも、何だったらモーメント則でも、呼び方は何でも良い。重要であるのは、重心よりも下にあるモノを持ち上げるのは、頗る非効率なのだ。上や横からの荷重には耐えられる。魔力で踏ん張れば良いのだから、しかし、自重だけはどうにもならん。位置エネルギーを充填する事が出来ないと、モノを持ち上げることは出来ないのだ。そして、私のような軽い生き物の自重を天秤の片側に置く限り、それは精々が数十kgなんだよ」
分かったのか、分かってないのか、不思議な顔をする春陽の顔。
そういうことだ。皆を逃がす為には支点がいる。
里人全てを放り投げ、それでも揺るがぬ支点。
ソレは、魔力の放出源たる私を於いてない。
嗚呼、あの頃の春陽は本当に可愛かった。
励起された魔力は正しく出力された。
魔力網の中、全ての里人が無事に捉えられる。
ソレを認めたのだろう、梅の魔晶石の反応が疾風のように春陽のソレに近付いていく。
きっと、大丈夫。
私の育てた子達だ。きっと仲良く、優しい世界を作ってくれる。
目前に龍が迫る。
それから逃げる術は無い。もう全部使ってしまった。
その顎に砕かれる刹那、私の名を呼ぶ子らの声が聞こえた気がした。
完
ココで終わりでも良いかなぁ、とは思っています。
が、しかし、まだ続きます。




