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電波猫のお仕事  作者: おばば
石器時代編
78/128

78.電波猫と里長

 人はいつから大人になるのか。

 非常に難解な問いである。

 肉体的な変化、例えば精通であるとか、初潮であるとか、その様なものに依って定める事が良いのであろうか。

 しかし、実際にそれらの変化を経た子供たちを見れば、自らの体に起きた変化に戸惑う姿が際立つ。

 つい昨日まで他の子供たちを上手く宥めて、或いは遊び、或いは叱り、微笑ましくも年長ぶっていた彼等彼女等が、或る日突然と訪れた変化に、まるで童の様に動揺する様を見れば、精神と肉体の成長が必ずしも歩調を合わせたものでは無いと伺い知れる。

 まるで羞じる様に、夜更けに私の部屋を訪れる者も少なくは無い。彼等彼女等の話を辛抱強く聞いて、最後にそれは自然な事なのだと、柔らかく諭す。体が辛いのなら当番を外して休めば良い。昨日まで隣にいた女子に邪視めいた視線を送ってしまうと言うのなら、それすらも自然なことだと諭し、ただしそれは相手が「大人」になるまでは秘すべきだと諭す。

 

 既に「トラの里」が成り立って20年になる。

 子らの中にも大人と呼ぶべき階に足を掛けた者が多くいる。

 中には、この里の中で番の誓いを立てた者もいる。

 わが子同然に育てた者が夫婦の契りを交わすことに、名状し難い心持ちになることもある。それでも、次代に繫がる一歩と思えば、それは喜ばしい事である。しかし、それでも拭えぬ不安が去来する。


 朔の日の前日。私は里を訪れる。

 まだ遠くに見える見張り塔に向けて声を張る。

「嵐殿よ、少し話がしたい。春陽を連れて共に此方に来てくれないか?」

 鏑矢が空高く放たれる。甲高い鳥声にも似た音が確かに届く。

 以前に取り交わした約束だ。私がこの場を動かぬ限り、私の言葉に従うと伝えている。

 辛抱強く待つ。

 既に春も去りつつある。噎せ返るような若木の匂い。昼に夜にと忙しない虫たちが枯れ葉を、或いは餌をセッセと巣に持ち帰る。気の早い虫たちが求愛の鳴き声を上げ、餌を求める蚊や虻の類が羽音もけたたましく、周囲を飛び回る。

 変わらぬな、と、そう思う。

 遙か昔、既に鬼籍に入った若葉と密かに会っていた頃から何も変わっていない。

 残照に照らされて、長く影を引く家々の造形にも然したる変化はない。人口は増えている、そう聞いている。祭りの際の猟果は減ったものの、罠猟が盛んに行われる様になり、大物こそ獲りづらいが不猟にも陥りづらい、と。

 朔の日に私が渡しているものの中には、米なども含まれている。最初は奇異に映ったのか、余り喜ばれはしなかった。しかし、炊き方を教えてやれば保存も効いて、腹持ちが良いと、最近ではよくねだられる。

 それらに麻や亜麻、綿や羊毛なども加えてやれば、獣皮を纏っていた彼等の着物も衣服と呼べる様になった。

 それでも、根源的な所ではなにも変わっていない。

 それらの農作物の有用性を実感しつつも、農耕を始めると言い出す、もしくは実際に始める、と言った者はトンと見たことがない。あれらはあくまで「神」の恵であって、自らの手で作るものでは無い、そう思っている様子が見て取れる。

 距離を取りすぎたな、と思う。

 せめて春陽との関係がもっと密であれば、彼等に農耕を始めさせることも出来ただろうか。既に遅すぎると思いつつも、その様に考えてしまう事も屡々。

 否か。春陽を降嫁させたときに決意していた筈だ。人は人の力で栄えるべきだと。この世の中で異常なのは私の方である。過干渉は互いの為に為らぬ。

 ただ、里の枠組みで救えぬ命のみは、我が手で掬いあげる。春陽然り、いまも私の帰りを待つ子ら然り。


 遠く、杖を突く音が近づいてくる。

 腰を曲げ、杖に凭れるようこちらへ歩いてくる。右足を引き摺っているのは、随分前に若い者を熊から庇った傷に由来する。複雑に折れた骨が奇妙に癒着し、筋を違えたままに治ってしまった。

 傍らを歩く嵐がそっと腰の辺りを支えている。


「どうしたの、トラ?」

 口調はかつてと寸分も変わらず。しかし嗄れ掠れた声で私に声を掛ける。その顔は此方を見てはいない。それも知っている。長く陽の下にいたためか、最早、春陽は明るさを感じることしか出来ない盲であることも。

「なに、久方ぶりに愛娘の顔を見たくなったのだよ」

 私の言葉で位置を悟ったのか、ごく自然と此方に向き直る。

「愛娘って。こんな婆の顔を見ても仕方ないんじゃ無い?」

 少し笑いを含んだ張りのある声で軽口を返す。杖を頼る姿が痛々しい。それに少しだけ瞳を細めてしまうことに、春陽が気付かない事が救いなのかも知れない。

「なに、例え爺になろうが婆になろうが、子は子、娘は娘。時折、顔を見たくなる」

 なにそれ、と春陽の声が弾む。それが、少しだけ私を慰めてくれる。

「………さて、本題に入ろうか」

 少しだけ、間をおく。

 かつて、仮初めの家族として過ごした継母と娘から、神と、今や里長となった老女へと、意識を切り替える。

「………………春陽、気付いているだろう。其方らが忌み子と呼ぶ者たちが増えている」

 春陽の顔に皺が寄る。瞑目したままに眉根を寄せる。皺が深く刻まれた様は巌を彷彿とさせる。

「お主たちが信じるか否かは別として、私はこの現象の原因に心当たりがある。恐らくだが、里の者たちの血が濃すぎるのだ」

「………………血が濃い、とは?」

 そう、里長が問う。

「この里は他の里と交流が無い。その上で人の数が多くなっている。そうなれば兄弟姉妹を始めとする近親者と番うこともあるのだろう。余りに近い血を持つ者と子をなせば、忌み子なる者たちが産まれやすくなる。その様なことを、血が濃い、と言っているのだ」

 ふぅ、と溜め息を付く。

 里長となってからの春陽は変わった。いや、きっと変化はずっと前からだったのだろう。しかし、里長と呼ばれるようになる前は、家族のように振る舞っていてくれた。それが今や、形式張ったやり取りにならざるを得ない。

 その事を、悲しく思う。

「御神よ、お言葉の通りかも知れませぬ。特に兄弟姉妹で夫婦となった者らが、御神の御堂に参ることは私も知っております」

 春陽が厳かに話し始める。

「しかし、原因が血にあるとして、どうなりましょうか。年頃の子らが番うのは至極当然、しかも御神の仰りよう、恐らくこの里の全体が、血の濃い、状態にあるとお察し致しますが」

 こちらにヒタリと顔を向ける。厳めしい表情。その姿にかつての幼子の面影は薄い。

「里を開け、春陽」

 薄らと感じる面影に触発されて、怒濤のように思い出が蘇る。楽しかった、嬉しかった、愛おしかった。それは今も昔も微塵も変化していない。ただ、それらの上に薄い膜のように悲しみが広がっているだけだ。

 それを、呑み込む。

「かつて私が旅をしたとき、この里の近辺も随分と歩き回った。道さえあれば、人の足でも十日ほどの距離に幾つか他の里がある。もし、その気のある者がいれば、私の背に乗せて運んでも構わない」

 私が運べば一日で往復することも出来る、そう言葉を継ごうとして、春陽に遮られる。

「お待ちください。御神の仰る通りであれば、一日二日のお話ではありますまい。この里の者らと他の里の者らが夫婦となり、子が産まれて、初めて血が薄まる、そうでございましょう?」

 思わず、肯きを返す。いや、それだけでは伝わらぬ、言葉を。

 春陽の傍らに立つ嵐が春陽にそっと耳打ちする。

 ふと、我に返る。

 そうか、この様なことを何度もこの二人は乗り越えて来たのか。

「そうであれば、今すぐにお返事を返す事は出来ませぬ。他の里に骨を埋める事すら気に掛けねば為らぬ、もう二度と親兄弟と会えぬかも知れぬ、その上、他の里での生活もよく分からぬ、では易々と手を挙げる者も多くはおりますまい」

 ふと、呆然とした頭に春陽の言葉が滑り込む。

 理路整然とした物言い。相変わらず聡明だな、とそんな感想が浮かんできた。

 ふわふわとした感覚のまま、言葉を返す。

「………私は神などではない。春陽、お前ならそれをよく知っているだろう。だから私の言葉を重く受け止める必要はない。里の者たちとよく話し合って決めなさい」

 気付けば、童の頃の春陽に諭すような、そんな言葉を掛けていた。


 クスリ、と笑う声がした。

 何事かと、いつの間にか下がっていた視線を上げる。

「ねぇ、嵐。当ててみようか、トラってばまた地面と睨めっこしてたでしょ?」

 まぁ、そうですな。と微かに口元を綻ばせた嵐が春陽に応じる。それを聞いた春陽がまた、クスクスと笑う。

「トラは変わらないなー、いいなー。なんで私ばっかりこんなおばあちゃんになっちゃったんだろ。トラはずっと変わらなくてズルい」

 こないだ遂に曾孫に子が出来たんだよー、小遣いもやれないのに困っちゃうよねー、と軽い調子で続ける。

「トラが神様じゃ無いなんて、私が忘れるわけ無いじゃん。私を里に戻すために、もう二度と子供たちを贄にしないために、そんな面倒くさい事をしてることくらい、覚えてるよ」

 だからね、と春陽は続ける。

「もし、私と嵐がもっと若かったらさ、他の里でもどこでも行ってさ、子供たちに良い人を捕まえてこい!ってお尻を引っぱたいてたと思うんだよね。でももう、私達も歳なのよ。便所に行くのも大変なんだから。嵐なんてこないだ間に合わなくてお漏らししてたし」

 嵐が無言で春陽の腰を小突く。春陽が直ぐに口を噤んだ所を見れば、恐らく春陽にも似たような経験があるのだろう。お互いに弱みを握り合っている、と言うと殺伐とした感があるが、実際に目の前で起きていることを形容するなら、歳を重ねたおしどり夫婦がイチャイチャしているだけである。

 見ているこちらが恥ずかしくなる。


「………………だからね。もう少し時間を頂戴。血が濃い、っていうのは何となく分かったから、みんなにも相談する。出来れば曾祖父母くらいまで遡って、血縁関係が無い人たちで夫婦になるように薦めてみる。私の予想だと、多分いまの子たちってそれくらい遡れば大体は血の繋がりがあるんじゃ無いかな、それで結婚出来ないぞ!って騒ぎになった頃合に、里を開くかどうか決める」

 それでどうかな?、と言う春陽の表情に衒いはない。今は光を失った瞳に夕陽が差し込んで輝いている。それは、紛れもなく春陽の笑顔だ。



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