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電波猫のお仕事  作者: おばば
石器時代編
76/128

76.電波猫と涙

 涙には不思議な力がある。

 我々は本来、異物の除去のためにしか涙を流さない。それでも昨日、春陽に撫でられながら、存分に涙を流した今なら、涙が持つ不思議な効果とやらが実感できる。

 端的に言えば、すっきりした。

 行き場の無い後悔、それに縛られて自縄自縛になっていた心持ち。それらの鎖が少し綻んだ様な気がする。

 何か事態が変化したわけではない。

 春陽は最後まで、私を赦すとは言わなかったし、かと言って咎める事もしなかった。ただ、ひたすら私の言葉を聞いて、優しく撫でてくれて、疲れ果てた時分を見計らって、床に入った。

 久しく使われていなかった囲炉裏に火を入れて、その傍で二人で一緒の毛皮に包まって寝た。

 私を抱いたまま、横寝をする春陽はすっかり寝相が良くなっていて、昔のように蹴られる事も無かった。

 燠火に暖められた室内、暖かな春陽の腕の中から這いだして、一人、軒先に立つ。

 赤に近い暁光が、次第に白めいていく。藍色の空が青く澄んでいく。それをじっとみつめる。

 まだ弱い陽光の中で、星々が瞬く、そんな時分だ。


 春陽は何も言わなかった。

 きっと、言うべき言葉は無かったのだ。

 私の思う善きことと、春菜たちの思う善きこと。その両方を知って、きっと秤にかけて、そしてその天秤はどちらにも傾かなかったのだろう。

 それでも遠くに見える煙を見付けて、私を訪ねてくれた、今はそれで充分だ。


 春菜と私。現実主義者と理想主義者。実母と継母。どんな言葉を使っても良い。

 辛い判断だったと思う。そんなことを強いてしまった事を、より長く生きたモノとして恥じ入る。

 そして思う。春陽を信じよう、と。

 春陽は私を見捨てていない。私の言葉はまだ届くのだと信じよう。そう思うことで、この地の人々が、準敵性個体から保護対象に切り替わる。

 その滑らかさに動揺する。私の螺子は何処まで緩んでいるのだろうか。


 然して、自然と笑みが零れる。

 なんだ。こんなに簡単な事だったのか。

 あんなに悩んでいたのに、春陽に少し優しくして貰っただけで絆されるくらいに、私は緩んでいるのだ。

 もっと気楽にいこう。ふと、そんな考えが頭に浮かんだ。

 ここはかつての「家」とは違う。

 春陽を育て、今は私だけの寝床になった、私だけの家だ。

 遠い隣人たちと、ぶつかる事もあるだろう。

 それでも良い。

 ぶつかって、お互いを擦り合って、角が取れたときにわかり合えればそれでいい。

  

 差し当たって、忌み子の件を春陽に相談しよう。

 私は、赤児が死ぬのが嫌なのだ、とそう正直に伝えよう。

 春陽は何も罰しない。私が、私であるために、何かを見付けるべきだと、そう春陽は判断したのだ。昇る朝日を見ながら、そんなことを考える。

 これはきっと、どうすれば良い、と言った問題では無い。私が、何をしたいのか、それを決めなくてはいけない。きっと春陽はそう伝えたいのだろう。

 だから、私は私の中の答えを探す。

 簡易催眠でもなく、奥深くに刻まれた設計思想すら超えて、この時代で私がしたい事を思索する。やらなければならない、そう思うことは、止めよう。それでも縛られる何かを受け容れよう。それを更に超えて、「私」の意思を固めよう。人がみなそうするように。私もまた、自身の在り方を決める時期が来たのだ。

 瞬く星々が、陽光に塗り潰されていく。

 数多に光るそれらが、一つの光に打ち消されていく。その様をじっと見詰める。善は、きっと幾つもある。しかしそれは、星々の様に散在する。それらから、遍く生を照らすような、そんなモノを探すべきなのかも知れない。

 昇る朝日、既に青に染まった空には微かに滲む半月が浮かぶ。

 


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