71.電波猫の旅立ち
粉末状にした楢の実を蒸留水で煮出す。浮き出る暗褐色のアクを丁寧に取り除く。カラムシを縒って作った糸、それをさらに編み込んで作った布で煮汁を漉し取る。舌先に乗せて塩分を測る。少しずつ塩を足して、生理食塩水の濃度に近付けていく。出来たのはヒドく苦い液体だ。それを小雪から切り出した小腸の上に注ぐ。ごくゆっくりと滴る雫。その下には溶岩を融解させた後に、再凍結させて作ったガラス瓶が置いてある。溶融剤に使ったリン酸塩の影響か、淡い緑色のガラス瓶の中には、小雪の胃、小腸、大腸から取り出した種々の細胞が入れてある。本命は腸内細菌相の再現であるが、顕微鏡を覗いて選り分けるよりは、丸ごと再現した方が手っ取り早い。ガラス瓶を湯煎して36℃から38℃の温度で振盪させる。10分毎に小匙一杯ほどの溶液を掬い取る。それらを舌の上で転がしながら糖度に当たりを付ける。一時間ほどまで順調に糖度が伸びる様だが、それ以降は伸びが鈍る。それに、分解まで一時間というのは長すぎる。
「………これもダメか」
一息ついて、これまでの試料と比較する。今の所、ブナの実の効率が最も良いが、それでも歩留まりが良いとは言えない。何よりエグ味がヒドいので、実際に乳児に与えたときに飲んでくれるかは頗る疑問である。何か糖分を添加出来れば良いのかも知れないが、サトウキビもテンサイも、砂糖楓すらも見付けられていない現時点では手が無い。いや、欲を言えば、家畜の乳でもあれば少しはマシなのだ。人の母乳と成分を比較して、希釈するなり添加するなりして調整すれば、直ぐに実用に持って行ける可能性が高い。
机の上に並べた器具を片付ける。水洗いして残渣を除去した後に、魔力膜の中で断熱圧縮。オートクレーブめいた環境を再現して滅菌する。机の上に洗浄した器具を再配置して、次の試料に移る。
並行して、先程の溶液を部屋の隅に隔離してある鼠に飲ませる。やはりエグ味がヒドいのか、酷く嫌がるが口腔に木製のシリンジを突き刺して飲ませれば、嫌々ながらも嚥下する。鼠の数は20を軽く超える。それぞれに、実験で用いた溶液を与え続け、生存率を計っている。ここに残っているのは、最も長命な者でも10日を超えていない。つまり、これまで試したどの溶液を与えても、乳児の10日生存率は高くない、そう言うことだ。
どうしたら小雪を救えたのか。
どうすれば、次の小雪を救えるのか。
それを模索し、小雪の遺体を切り刻んでは、人工乳の実験を重ねる。
そんなことを、小雪の死後からずっと続けている。
ひどく、時間が間延びしている。
交戦回路の起動時とも違う、靄の中を彷徨うような心地がする。
時折、陽光が差し込むような明晰とした時間があると思えば、ふと気が付けば日付が変わっていたりと、まるでゴムの様に体感時間の伸び縮みが激しい。
疲労が溜まっている。その自覚はある。
それをなおざりにする程に、焦っている。その自覚もある。
すでに、鼠の死骸は100を超えた。
どの個体も10日も生きられなかった。
事前に用意した素材も尽きた。
この地にあるもので、小雪を救うことは出来なかった。
それを確認するために、私は小雪の遺体を切り刻み、百何十匹もの鼠を餓死させ、見舞いに来た春陽を追い払った。
私は精いっぱいやったのだ。それでも小雪を救うことは出来なかったのだ。ただ、それを確認するために、こんな非道で無益な事をした。
度し難い傲慢と怯懦。それを、自覚する。
しかし、それでも。
「………ここに無いのなら、探しに行くまでのことだ………」
外気の混入を防ぐ為、目視できるほどの強度で展開した魔力膜。その中にあっては、陽光など望むべくもない。
真っ暗な室内。無菌室と同様の室内に、滴る様な血の臭い。腐敗する事すら許されず、ただ捨て置いた鼠の死骸。逝ったときの状態そのままに、けれど丁寧に着せた死装束に包まれている小雪。
彼等彼女等の中で、未だに諦められない自分を独白する。
…………
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「旅に出る。数年か、或いはもっと長くなるかは分からない」
コトリ、と卓上に紫色の塊を置く。それは見方によれば虎にも見える、魔力膜を纏った時の私の姿を模した模型だ。
「毎月と里に獣を運ぶことは出来なくなる。これはその代わりだ。その模型に魔力を注げば、内在した式に従って魔力波が出力される。先日試した時は問題なく作動した」
それが、今日もってきた猟果なのだ、と小さく付け足す。
背後には山積した獣の死骸。溶けつつある残雪の中に小山ほどの高さまで積まれている。
説明は終えた。
踵を返す直前、卓を挟んだ春陽の顔を見上げる。
然して、そこに春陽はいない。
何処にいるのか、と眼線を回せば、果たして彼女は狭い室内の壁に張り付いていた。
此方を見ている。唇が開閉する。何かを話しているようだ。
聴覚器官を起動する。
「離して!!母様が死んじゃう!!」
思考領域が言語解析を試みる。演算結果が脳髄に受け渡される。倫理規定を参照。春陽の請求の蓋然性に疑義。請求に対する回答、及び、質問が参照される。
「何故だ。春菜が壁に貼り付けられていようが、お前の思考領域と言語野には何の阻害も発生しない。座って私の話を聞け」
極めて平坦な口調でそれを伝える。
応答。
「何故って何!?おかしいよ!!早く母様を離して!!」
春陽の言葉を咀嚼した論理回路が応答。その矛盾を指摘する。
一方で、蓋然性加味の演算結果が春菜の拘束を緩めることを推奨する。交戦回路から準敵性個体の拘束を解くことに対する疑義。優先順位の再走査。拘束を解除しても、準敵性個体の除去に支障が無い事を主論理に、請求が許可。春菜の拘束を緩める。
首基一点で宙吊りにされていた春菜の下肢が床に接地する。即座に、その四肢を壁に固定する。
ゲホゲホと咳き込む春菜。春陽がその喉元をさする。
「これで私の話を聞く気になったか?」
私の声に春陽がこちらを睨め付ける。
魔力探査に反応。既に起動していた交戦回路の推奨に従い、春陽の魔晶石を強奪する。
事前に想定していた事象、ろ-23が参照される。ガサリ、と人頭大の布袋を卓上に置く。
「春陽。お前の魔力は封じた。この模型の起動には魔晶石を使え」
今度こそ、伝える事は伝えたと任意随意が判断する。
疑義。
再確認を請求される。
春陽の四肢を拘束。床に貼り付ける。
「復唱しろ」
命じる。
春陽から此方に視線が送られる。
誰何。
「起きているのだろう。復唱しろと言っている」
春陽の唇が動く。聴覚器官からの信号を脳髄が演算する。
「トラ!?どうしたの!?おかしいよ!?」
質問の主義が不明瞭であることを倫理回路が指摘。半ば自動的な誰何。
「質問の意図がわからない。私が訊いているのは、お前がこの模型の使い方と使うべき時期を理解したか、していないか、それだけだ」
春陽の両眼から液体が溢流する。
無視。
「変だよ。なんでこんなことするの?いつものトラに戻ってよ!?」
春陽の回答に論理的蓋然性の不在を確認する。
人類に対する非殺傷の倫理規定の一部が例外規定を参照する。推奨された対応に基づいて、春陽の脳髄の一部に電気刺激。痛覚を刺激する。
「ぁ、あががあああああ」
春陽から上がる咆哮。
論理回路が意味をもたない発声と判断。交戦回路からの推奨に従い、聴覚器官を一時的に遮断する。
小一時間程もそれを続けてやれば、春陽は力なく床に寝そべる。
声を掛ける。
「復唱しろ。里が飢餓に陥ったときに、この模型に魔力を注ぐ。起動には魔晶石を使う」
再度の誰何。
床に伏したまま、春陽が力なく肯く。
論理回路から疑義。
目標は提案案件を承認していない。
「復唱しろ、と言っている」
春陽の四肢を拘束。
脳髄に先程よりも弱めた痛覚刺激を与える。
叫ぶ。
止む。
止んだ瞬間に質問。
「復唱しろ」
首を横に振る。
痛覚刺激。
その繰り返しだ。
………
………………………
………………………………………………
「復唱しろ」
春陽が弱々しく首を縦に振る。
「復唱しろ、とそう言っている」
痛覚刺激。
「あ、あ、あ、がががが。さ、さとが、里が、う、うえた、と、ときに、こ、ここ、こ、この模型に、ににに、に、魔力を注ぎ、、ーます。起動に、に、に、にに、は魔晶石を使い!、、ます!」
聴覚器官からの信号を承認する。
論理回路が承認。
拘束を解く。
「分かったなら良い。ではさらばだ」
そう言って、春陽の塒を去る。




