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電波猫のお仕事  作者: おばば
石器時代編
69/128

69.電波猫と春陽の里帰り(四回目)

 ミンミンミンミン、ぎぁぁぁぁ、ミンミンミンミン、ぎぁぁぁぁ。

 我が家は騒音に満たされていた。


 若葉と呼ぶには緑を増した葉が繁茂し、日差しの下では夏草が猛々しく伸びる。日増しに声量を増す蝉の声。森を歩けば虻や蚊が餌を求めて纏わり付く。

 南に見える山も、山頂付近を残して多くの雪が既に溶けている。長く広く伸びる溶岩の上、窪みの部分だけに雪が取り残されて、虎の皮のような、黒白の縞模様を見せている。毎年の事ながら、あの縞模様を見ると、過ごしやすい春が終わり、夏の訪れを感じる。

 そう、今はまだ盛りと呼ぶにはまだ早いが、それでも確かに夏が訪れた。

 雨戸を開け放せば、薄暗い室内に、それでも僅かばかりの涼を感じる風が通る。昨年までであれば、この時期は涼しい朝晩に猟に出掛けて、日中は昼寝を決め込んでいる。しかし、今年はそれも儘ならぬ。

 視線を部屋の中央に向ける。常ならば囲炉裏のあるそこは、今は床の高さに合わせた木の覆いをしてある。その覆いの上に敷かれた毛皮の上に、赤子が寝かせてある。

 寝かせてある、というのはあくまでも姿勢の話である。まだ寝返りも打てぬ幼子であるが、その声量は蝉にも負けぬ。下穿きのみを身に付けた裸体を真っ赤に染めて、全身からぎぁぁぁぁ、と雄叫びを上げている。

 その体に巻き付けた魔力尾を操作して、ゆっくりと揺すってやる。首も据わっていないので、出力しているのは尾というよりは擬似的な腕の様に太い。首回りから背中、腰に掛けて要所を固定して保持する。しばらく、ユラユラと揺すってやると、ふぇふぇ、と声が変化する。そのまま微睡んで行くのを注意深く観察する。まだ臍から伸びる暗青色の緒が、プラプラと揺れるの様が、そこはかとなく恐ろしい。

 ゆっくりと、極々、ゆっくりと毛皮に降ろす。

 背中が毛皮に触れた瞬間に、またしても、火が付いた様に泣き出す。仕方が無いので、また持ち上げて揺すってやる。その繰り返しである。

 どうして寝かせようとする度に鳴くのであろうか。背中にスイッチでも付いているのだろうか。実に不思議な生態である。

 思わず、溜め息が出る。


 赤子は、名を若葉という。

 昨年の冬に逝った若葉の名を、今年の春に産まれた赤子に付けたのは春陽であった。その由来を聞けば、あれ程の長生きは珍しく、大層縁起が良いので、それに肖ったのだと言っていた。その様な理由であれば、肯ける。確かに、この様な生活の中では、まず生きていくことが一番の孝行であろう。


 ふと、出産の際の事を思い出す。

 前日の日暮れから産気付いた春陽から、アホみたいな量の魔力波が流れ出した。恐らくは、苦痛に気をとられて制御不能になったのであろうが、私の塒からでも容易に探知できる程の出力であった。

 すわ何事か、と駆け付けてみれば。暖気と加湿のために、夏海が湯を沸かし、春の終わりの暖気のなかでも、なお蒸されるような室内に、痛みに呻く春陽がいた。

 まくり上げられた下穿きは、破水によるものか薄紅色に染まり、えらく粘性の高い、赤黒い血が滴っていた。その春陽の傍らに座る春菜は、春陽の手を強く握って、まだ堪えろ、と繰り返す。聞けば、産道の開かぬ内に息めば、産道が切れるばかりか、子が圧死することもあるという。春陽を励まし、度々、産道の開きを確認する春菜は、普段の穏やかさを何処に置いてきたのかと訝しむ程に機敏である。何より、産道の開きを確認する様が恐ろしい。段々と多くなる出血、それにも係わらず会陰に手首ごと突き込んで、指先で開きを確認するのだ。傍から見ていれば、ただの拷問である。焚き火の緋色に照らされて、なお赤い血に全身を染めながら、忙しげに動き回る春菜に、ただただ圧倒される。

 絶え間ない春陽の叫び声。痛い痛い、苦しい苦しい、と悶える様は、新たな生を産み出す事の困難さを如実に物語っている。額に浮き出る汗を、春菜が拭う。それでも足りずに、まるで水に浸したように髪は濡れ細ぼむ。人の出産は難産であるとは聞いていたが、聞きしに勝る壮絶さである。思わず、春陽がこのまま死んでしまうのでは無いか、そう思ってしまうほどに。

 立ち竦む私を認めた春陽が、私を傍に呼ぶ。請われるままに近づいたが最後である。背骨が砕けるかと思うほどの力で抱き締められる。自身の骨格を補強しつつ、春陽の魔晶石に封印を掛ける。

 トラ、トラ。と私の名前を呼ぶ。苦しい、痛い、助けてくれと請われる。万力の様な力で私を抱き締め、腹の毛の中に顔を埋めながら、ひたすらに苦痛を訴える。

 何と声を掛けて良いのかも分からずに、頑張れと励ます事しか出来ない。春陽の体を精査すれば、骨盤を始め体中の肉が骨が軋んでいる。その一部が、修復不可能な領域に入る。春陽の体に不可逆の傷痕が刻まれる。

 未成熟なのだ、どうしようも無く。傍らに立つ春菜に同様の探査。演算結果を比べれば、それは明らかである。春陽の体は、まだ成熟しきってはいない。なんという矛盾。生殖可能になる年齢と肉体が成熟する年齢に、これ程の差があるなど、なんと度し難い設計か。肉体が壊れかける、否や、既に壊れている。それでも新たな生を産み出そうとしている。鮮烈で苛烈な生。

 堪らず、春陽に声を掛ける。その言葉に意味など無い。死ぬな、生を諦めるな。頑張るのだ、そんな言葉が矢継ぎ早に口から出る。春陽が呻く、浅く早い呼吸を繰り返す。その早さを春菜が咎める。深く呼吸をしろ、そう命じる。春陽の呼吸が一瞬、深くなり、また浅い呼吸に戻る。

 喘ぐ様に、トラ助けて、と言う。助けてやりたい。代われるものなら代わってさえやりたい。まだ幼さが残る体を傷つけながら、それでも懸命な春陽に、励ましの言葉を掛けながら、同時にもう諦めて欲しいとも思う。まだ春陽は若い、幼いとさえ言えるほどに。こんな未熟な体を酷使して産まずとも、もう少し待てば良いのでは無いのか、そんな考えすら思い浮かぶ。

 それでも、いま、春陽の中にある命は掛け替えない。

 煩悶する。春陽に苦しんで欲しくない。春陽の子も無事に産まれて欲しい。その二つの間で、捻じ切られるような焦燥に炙られる。何も出来ずに春陽に抱き締められる傍ら、魔力探査を頼りに、春陽の魔力に惹かれて里に殺到する獣を狩り獲り、春陽の出血をみて卒倒していた嵐を叩き起こし、獣たちの遺骸を処理している間に夜が明けた。

 輝く朝日が戸口から差し込む。その鮮やかな陽光の中で、春陽の子は産まれた。血みどろの全身を震わせて大きく泣いた。それを見た全員が嘆息する。ただ、春菜のみが後産に備えて動き出す横で、我らは腰を抜かしてひっくり返っていた。

 兎にも角にも、てんやわんやであった。


 あれから、二月程も経っていない。それでも、あの狂乱に比べれば、概ね平常時に戻ってきたと言えるだろう。

 こうして振り返って見れば、あの時の春菜の落ち着きぶりが際立つ。里の女達は皆、あの様に子を産んできたのだろう。命を賭けているのは、獣を追う男達だけでは無い、そう言うことになるのだろうか。いや、先に逝った若葉を思い出せば、山野に入ることすら、何かしらの危険を伴う。やはり、この里の人々は男女の別なく薄氷を一枚挟んで死に相対するような、そんな危うさがある。

 なんとか為らぬものだろうか。

 グズる幼子をあやしながら、そんな事を考えていた。


「あー、さっぱりしたー!」

 濡れた髪もそのままに、薄着の春陽が厨から出てくる。随分な長風呂であった気がしたが、それを指摘する事はしない。と、言うのも。

「ねぇ、トラー。さっきの続きなんだけどさ。嵐ってばヒドいんだよ!外から帰ってきて泥だらけなのに若葉に触ろうとするし、何でもかんでも床に置きっ放しにするから、若葉を床に寝かしてると危ないし、洗濯も食事も全部、私任せにするし、なのに私より全然、獣は獲れないし。もうほんっっとにヒドいのよ!それにまだあってね。こないだなんて……………」

 止めどなく続く。

 若葉を産む前から春陽はちょくちょくこの家に遊びに来ていた。嵐を連れてくることも、以前はあった。しかし出産の後、暫くしてからは若葉を連れて、ここに訪れる頻度が目に見えて増えた。

 今日も今日とて、暑くなってきたので水浴びがしたい、などと理由を付けて家を訪れている。

 それは、良いのだ。

 若葉の面倒を見るのは楽しい。しかし、それが春陽から嵐に対する愚痴とセットになっていることが頂けない。

 私の気のない相づちに、気付いているのかいないのか、春陽の愚痴は留まることを知らない。やれ、汚れた服を散らかすだの、狩りから帰れば若葉の面倒も見ずに直ぐに寝てしまうなど、散々な言いようである。

 少し引いた視点から見れば、無理も無い事だとは思うのだ。稼ぎ頭の春陽が抜けた事で、狩りに出る男衆の負担は増した。それを補うべく、嵐が奮闘していることはよく知っている。日の出から日の入りまで山野を駆け回れば、家の中の事が疎かになるのは致し方ない、とは思う。

 思うに留めて、春陽にそう言わないのは、それが無駄だからである。

 こき下ろされる嵐を見かねて、何度か諫めてみたものの、春陽自身が慣れない育児で疲弊していて、どうにも余裕が無い。そんな中で、嵐を庇ってもまるで効果が無い。

 加えて、春陽の体調も芳しくない。回復しつつあるとはいえ、出産時の損傷は甚大だ。目に見える部分はかなり良くなったが、骨格のあちこちは、未だにかなりの歪みが残る。恐らくは、完治することは無いであろうものすらあるとなれば、あまり春陽を追い詰めることも出来なかった。

 春菜などは、それでも折を見て春陽と嵐の家に通っている様だ。春陽の様子を見ながらも、溜まっていく家事を手伝っているという。しかし、それも春陽に言わせればお節介が過ぎる部分が多いらしい。母親とは言え、夫の服の洗濯などは任せたくないなどと言っていた。

 その辺りの機微はなんとも難しい。少なくとも私には当分、理解できそうに無い。

 その様な事もあり、頻繁に訪ねてくる春陽の愚痴を聞き、若葉のお守りをし、春陽の望むままに風呂を沸かしたり、若葉の産着を拵えたりすることが、最近の私の日常である。

 

 春陽の愚痴はまだまだ続きそうである。

 弱まり始めた日差しの中、若葉がウトウトとしている。これは、今日は泊まっていく積もりなのかもしれんなぁ。そんな事を考える。

 しかしまぁ、子を産む前はあれ程、嵐を好いていたと言うのに、子が出来た途端にこうも不満が出てくるとは不思議なものである。

 暫くは仕方が無いと思うが、あまり続く様だと、夫婦の不和に繫がらないか、と言うことも心配になる。

 一年か、二年か。とにかく時期を決めて、少し距離を置いた方が良いかも知れない。寝息を立て始めた若葉をゆっくりと揺すってやり、春陽の愚痴を聞き流しながら、そんな事を考えていた。

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