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電波猫のお仕事  作者: おばば
石器時代編
63/128

63.電波猫と春陽の里帰り(一回目)

 まだ理解の及ばぬ春陽を里に置き去りにする。

 早春の原野を駆ける。

 困惑と、驚愕と。恐らく数刻後には数多の畏怖と、数少ない歓喜に変わるであろう、それら全てを置き去りに、私は駆ける。

 

 これで良い。これで良いのだ、と自分に言い聞かせる。


 春陽に教えた事は多い。

 磨製石器の作り方、罠の作り方、簡単な文字と数字。魔力操作も十分に習熟した。その気になれば、私と同じくらいの猟果を挙げることも出来る。磨製石器を、或いは罠を、里の者達も使い始めれば、里の食料自給も上がるだろう。そうしてその内、神様なんて胡散臭いモノに頼らなくても良くなる。そうなった時、本当の意味で春陽は里に戻る。巫女でもない。ただ、少し物知りな女の子として、家族の元に戻れる。


 知らず。噛み締めた奥歯が鳴る。


 これで良いのだ。春陽と暮らすようになってから、どうにも定住癖が付いてしまった。視界に入る山々、雄大な原野、直走る河の源流。まだ行っていない所は多い。それらを回ってみるのも悪くは無い。里人から聞いた海神の正体を探るのも面白そうだ。どうせあの軟体動物であろうと、見当は付いているものの、意外に全然違っていたらそれも面白い。


 足が止まる。荒い呼吸音が耳朶を打つ。


 これで良いのだ。いつかアイツとも話していた、栽培に都合の良い植物を探しに行くのも良い。米か麦か、この世界にもあるだろうか。そんな物を探し始めたら、それこそ何年も掛かるだろう。遙か遠い土地まで探しに行く事になるだろう。きっと楽しい旅になるはずだ。


 その傍らに、笑ってくれる春陽がいたら、それはもっと愉快。


 乱暴に頭を振る。

 何を考えても春陽の姿が浮かぶ。

 どんなに、これからの事を考えようとしても、そこに春陽の姿を探してしまう。

 何たる惰弱、何たる依存だ。

 どうして私はこんなに弱くなってしまったのだろう。


 決めていた。覚悟していた。

 でも、そんなものは、今となっては何の役にも立たなかった。



 とぼとぼと歩く。

 張りぼての虚勢を認めてしまえば、そこにあったのは、ただ寂しさに立ち竦む自分だった。

 家の向こう側に沈んでいく夕陽を見ながら、今日は何もしなかったな、と思う。殆ど丸一日かけて、里と家を往復しただけである。贅沢な時間の使い方だ。昨日までなら考えられない。早く戻って飯の支度をしなくては、鞣した革から縫製する時間も欲しい、薪を作っておかなくては、凍えてしまう。

 その全ての目的に、春陽がいた。

 もう、必要ない。

 一人なら火を熾す必要も、革を鞣す必要も、飯の支度すら必要ない。

 もっと言えば、この家も、必要ない。

 この地に来たときの様に、空を屋根とし、梢を寝台に。腹が減れば鼠や土竜を追う。


 それで、十分だ。

 そう思いながら、家の居間。使い古した毛皮の上に丸くなる。

 陽のある内から寝るなど何時ぶりだろうか、と思いながら眠りに落ちていった。




 ………夢を見ている。

 それほど昔の事では無い。

 暑い日は軒先の日陰で、寒い日は炉端で、よく駒遊びをした。狼の駒だけが真新しいのは、負けた春陽がよく投げ付けては壊してしまうからだ。あの駒だけ何度作り直したか分からない。

 雪の降る中で水浴びをする春陽を思い出す。寒い寒いと言うので、湯を使ってみてはどうか、と言った。即席の木桶の中で湯に浸かりながら、嘆息していた春陽に、恐らくこの世界で風呂を沸かした最初の人間なのでは無いか、と言った。分かっているのかは分からなかったが、最初の人間、という言葉が気に入ったらしい。暫くの間、何をしても私が最初、と言い張っていた。

 紅葉する森の中で、花咲く草原で、あらゆる場所でいろんな事をした。

 楽しかった。

 そんな楽しい夢を見ている。

 このままずっと眠っているのも悪くは無い。



 ……………………………………………………………………

 ……………………………………………ねぇ………………

 …………………さむ…………………………………………

 ……………………………………

 …………………

 ………


 パチリと小さく、薪の爆ぜる音で目が覚めた。

 火を付けた記憶が無いことに訝しみながら、それでもその暖かさに惹かれてしまう。

 夢の残滓が纏わり付いて、浅い微睡みの淵に落ちていくようだ。

 モゾモゾと体勢を変えつつ、暖かな腹の中に頭を突っ込む。

 そのまま、再び眠りに落ちる。

 そう思った時である。


 バンッと音を立てて板戸が空いた。

 跳ねた。

 完全に油断していた。

 交戦回路は基より、索敵系に至るまでが休眠状態だった。各種の感覚器官が、外的刺激によって強制的に覚醒する。

 ミスファイアに近い条件で交戦回路が回り始める。

 粘つく視界に飛び込んでくる影。索敵系の起動が間に合わない。

 生体機能の根幹に近い、音響探査と視覚情報のみを頼りに回避行動。

 殆ど闇雲に近い、その場凌ぎの跳躍。

 そして、そんなモノが通用する相手では無いのだ。


「つっかまえたー!」


 空中で補足される。否か、抱き締められる。

 暖かな春陽の体温を感じる。

 そのまま前脚の付け根に腕を回さると、ブンブンと振り回される。

 春陽を知覚する。あらゆる感覚器官が、再びサスペンドされる。

 何が面白いのか、グルグルと回る、回る。

「ねぇ!今のは私の勝ちだよね!?」

 至近距離から見詰められる。今まで何度も見た、アイツの面影を感じる黒い瞳。大きく見開かれたそれは、太陽の様に輝いている。

「………今のは、完全にしてやられた。完敗だ」

 やったー、と私を放り出す。宙で身を捻って着地。

 春陽の夢を見ていたからか、色々な思いが錯綜して言葉が出てこない。僅か半日、いや、体内時計ではもう昼であるので一日か。たったそれだけ離れていただけで、何を話せばいいのか分からない。

 だから、勝った勝ったとはしゃぐ春陽が落ち着くまで、その姿を見ていた。目に焼き付ける様に。


 残雪の残る原野を春陽と歩く。

 全身に纏った魔力膜で肥大した体躯が埋まるほどの大荷物を括り付けて。そんな私を横目に春陽がグチグチと文句を垂れる。

「だってさー、いくら何でも急だよ。着替えも無いんだよ、ヒドいよ!」

 確かにそうである。一晩のお泊まりの積もりで出掛けたのに、そのまま帰ってくるな、と言われれば誰だって困惑する、のかも知れない。私の服、というか毛皮は脱げないし換えも無いので、すっかり忘れていた。人とは生きるために様々な物を必要とする。

 春陽が大事そうに抱えた木箱もそうだ。その中にはこれまでセッセと作り溜めた道具の類が入っている。鑿や錐などの工作用具から、愛用している石槍の穂先に至るまで。その中のどれでもいい、一つを取り出しただけで話が尽きることは無い。春陽が初めて自分で獲物を獲ってきた日の事であるとか、駒を自作しようとして、自分の手を切った時の事だとか、そんな思い出が沢山つまっている。

 春陽に指摘されて、改めて思う。私と人は違う。そして、その違いを見逃す程に、春陽の門出の事で頭がいっぱいになっていた。

 嘆息する。

 自分の至らなさを、まざまざと見せ付けられた心地だ。

 しかし、それにしても。

「それにしても、荷物が多いのではないか?夏海達の家に入りきらないだろう?」

 そうである。何せ熊やら鹿やらを運ぶ時でさえ、もっと余裕がある。振り返って今はどうか。私の体中に積まれた荷物は、その全容を覆い隠して余りある。

「………それさぁ、トラが言うのー?荷物の殆どはトラが作ってくれた服じゃん」

 まぁ、その通りである。そうではあるのだが。

 うーむ、と思わず唸り声が出た。

 私が言葉に詰まったことを良いことに、春陽が続ける。

「しかもね、これで全部じゃないんだよ」

 そうなのか、と反射的に問い返して、後悔した。

「そうなのか?じゃないでしょ!誰が作ったのよ!これは冬服と狩衣だけなの!夏服もあれば、トラが嫁入りにって言って作ってた服もあるのに、そっちは全然、運べてないの!」

 一言言い返すと十言が返ってくる。

「トラの服って、スゴく出来が良いみたいなの。だから小さくなった服とかも持って帰って、近所の子供にあげたら喜ぶと思う」

 だからか。今の春陽が着るには小さすぎる服も随分と多いと思った。

「あとね、みんな裸足なんだよ、こんなに寒いのに信じられない」

 恐らく、獣の皮の数が足りていないのでは無いだろうか。防寒着などに使ってしまえば、直ぐに傷んでしまう靴などには使うことを躊躇う気持ちは分かる。そう思えば、春陽の生活水準は随分と高い。この時代にしては姫君と言っても過言で無い程に。

 過保護に育て過ぎたか、そんな思いが過る。

「………だからさ、まだまだ皆、トラの事を頼りにすると思う」

 少し、声を落として春陽は続ける。

 休憩しようよ、と一言言い放つと、返事も待たずに雪の上に抱えていた箱を置いた。

 蛇行する河の傍、少し小高くなったそこからは、遠く小さく里が見える。置いた箱の上に腰掛けた春陽は、ふぅ、と息を付いた。


 空が高い。

 遮るものが無い原野を風が吹き抜けていく。

 芽吹き始めた僅かな緑、未だに残る雪。その合間には、濡れた黒土が開けている。

 まだ高い位置にある太陽の光があたる部分が、仄かに暖かい。

 風が春陽の横髪を流していく。

 随分と髪が伸びた。切ってやった方がいいな、と思ってから、それはもう自分のやることでは無いのだ、と思い直す。


 いつの間にか下がっていた視線。頭に載せられる春陽の手。ゆっくりと愛おしむ様に撫でられる。

「だからね。勝手にいなくなったらダメだからね。まだまだ教えて貰いたい事がいっぱいあるし、荷物も運ばなくちゃいけないし、父様達の家には便所もお風呂も無いから、ちょくちょく帰るからね」

 帰る、と春陽は言った。あの春陽と過ごした家は、春陽にとっても帰る場所なのだと、そう言っている。

 小言は続く。夜には囲炉裏に火を入れないと寒い、とか、私が帰ってきたときに食べるものが無いと困るので、備蓄は切らすな、とか。

 それらが一段落する。春陽は自分の左手の手首を、右手で掴む。

「トラもさ、里に来たら良いよ。まだトラの事を怖がっている人はいっぱいいるけど、そうじゃ無い人も沢山いるよ。それでさ、皆のために服とか靴とか作ってさ、狩りみたいに怖いことをしなければ、トラが神様なんて、みんなきっと忘れちゃうよ」

 そう言って、春陽は立ち上がる。

 休憩、終わり!っと高らかに宣言して箱を手に取る。

 視線を真っ直ぐに上げて、里の方を見詰めている。

 そして、私に背を向けたまま、こう言った。

「私が里に戻るのってさ、すごく凄いこと何だな、って分かった。きっと、ありがとうだけじゃ足りないくらいに。だからね、今度は私がトラを里に迎えてあげるよ、どれくらい掛かるかまだ全然わからないけど」

 そう言って、急に走り出す。

 里まで競争だよ!と言い残して。

 早春の青空の下、太陽のような笑顔を見せながら。













嘘です。

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