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電波猫のお仕事  作者: おばば
石器時代編
57/122

57.電波猫と春陽と狸

 日々はゆっくりと着実に過ぎていく。


 朝靄の晴れたばかりの早朝。

 朝露に濡れた下生えに、裾を濡らしながら春陽は森を歩く。

 昨日の夕に仕掛けた罠。その隅が、地面と擦れて僅かに汚れている。

 音はしない。

 諦めて寝ているのか、或いは此方を伺っているのか。


 先端に鉤を付けた杖を巧みに操って、筺罠の一辺を押し上げる。

 途端に暴れる箱。

 中から灰色にも見える、暗褐色の獣が飛び出す。

 左手の杖はそのまま。高く構えた右手の槍が突き出される。

 鋭利に切り出された石の穂先は毛皮を貫く。


 右後ろ足の付け根。

 大腿を貫通して地面に縫い止められた、狸が絶叫する。

 口角から泡を飛ばし、牙を剥き、爪を振り乱して威嚇する。

 食い込む槍が乱暴に揺れる。

 傷口から、想像よりも遙かに少ない血が、それでも四方に飛び散り、地面を斑に染める。


 既に得物は持ち替えてある。

 春陽の拳より尚も大きな、平たい岩を頭とする石斧。

 頭上に掲げられたそれが、過たずに狸の頭蓋を粉砕する。

 骨の砕ける鈍い低音。飛び散る血と臓物。

 それらを確認してやっと、春陽は息を付いた。


「上出来だな」


 樹上から地面に降りて、春陽の獲物を検分する。

 圧壊した頭部から止めども無く血が流れ出して、地面を濡らしていく。

 探査を掛けるまでもない、完全に絶命している。


「トラにそう言われても、なんだか複雑。トラならもっと上手くやれるでしょ?」


 こことか、こことか。と、槍の突き刺さった足の付け根や、頭を指差す。

 得物による傷口は傷みやすい。毛皮を取るにしても、肉を取るにしても、それらの傷口の周りは砕けた骨の欠片や鬱血のために使い物にならない場合の方が多い。そう言うことを、言いたいのだと思う。


「………この間まで、獣の死体を見る度にゲロを吐いていた春陽が、一人で猟が出来るようになった。これは凄い事だと思うがなぁ」


 ゲロ、の言葉に嫌な顔をしながらも、春陽は獲物を処理していく。

 手近な木に傷口、今回は頭を下にしてくくり付け、ダメ押しとばかりに頸動脈を裂く。

 ボタボタと音を立てて血が抜けていく。


 腰帯に使った得物を刺し直す。まだ暖かな狸の足を掴んで、ブンブンと振り回す。まだ体内に残っていた血が抜けたことを確認すると、背に負った籠の中に無雑作に投げ込んだ。


「………残りの罠は2つだったか?」


 無雑作に、或いは無雑作を粧って、そう問い掛ける。

 春陽は大仰に溜め息を付いた。

 その様子に、知らずと口角が上がる。


「いいえ、トラ様。一つは昨日仕掛けたばかりでまだ人の匂いが強いから、入ってないと思う。後の一つは昨日の狼が咬み裂いた所を直せていないし、餌も付けてない。今日はこれで終わりだよ」


 そう早口に答えてから、此方に向き直った。


「最近、思うのだけど。トラってほんっっっとうに意地悪!」


 べー、と舌を出して私を威嚇すると、森の奥に向かって歩いて行く。

 恐らくは昨日の狼に壊された罠の修繕に行くのだろう。

 迷いのない足取りが、なんとも頼もしい。

 もう、私が付き添わなくても大丈夫なのかも知れないな。

 そう思って、少し寂しくなった。

 いやいや、油断している所に事故というヤツは飛び込んで来るのだ、と頭を切り替えて春陽を追った。




 夜半。

 春陽に断って、家を出る。

 戸口を潜る所で呼び止められ、今朝の狸を渡される。

 血とモツを抜いて、流水で洗われた狸は既に冷たく、固くなっている。

 ゴニョゴニョと、勇ましくなってもこういう所は変化がない、里の者に渡す手土産にと申し出る。


「………分かった。春菜か夏海に渡しておこう」


 別に母様達に渡してなんて言っていない、とギャーギャー喚く。

 開けたままだった戸口を急いでくぐり抜け、最高速度で離脱する。

 最近の春陽の照れ隠しは、当たり所が悪ければ私でも致命傷だ。

 その気配を察したら、サッサと逃げるに限る。

 背後に春陽の声を聞きながら、夜の森を駆けていく。

 喉の奥がコロコロ鳴る。その音を聞きながら。




 風の無い夜だった。

 まだ起きている者も多いのか、家々から微かに声が、或いは物音が、里の際に立つ私達にも聞こえてくる。それらの生活音が乱される事無く、やがて森の中に淡く消えていく。

 虫の鳴く季節もとうに過ぎた。

 獣たちは葉を落とし始めた木々を縫っては、その種子を食らっている。

 こうして立っている間にも、暑さよりも寒さを感じる。そんな夜だった。


 二三言、常となった挨拶を交わし、もはや方便にもならぬたわいの無い話を若葉とする。傍らに置いていた山鳥を渡して、口に咥えた狸を春菜達に渡したい旨を伝える。巌めいた顔に苦い笑みを浮かべながら、若葉はそれを許してくれた。

 立ち去り際。


「………トラ様。次の朔月の日に祭りを行います」


 そう、若葉は告げた。

 

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