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電波猫のお仕事  作者: おばば
石器時代編
53/128

53.電波猫と春陽の昼食

 昼になっても春陽は帰って来なかった。

 魔力探査のログを辿る。

 春陽の魔晶石に紐付けた反応は、家を飛び出した後、付近の森へと移動している。

 あちこちを走り回った後、今は家の北に向かって2kmほどの地点に留まっている。

 その位置が、春陽と春菜がよく山菜採りをしていた場所だと、私は知っている。

 そして、恐らくは春陽の知る中で、最も里に近い場所であることも。


 木の枝から枝へ、跳躍を繰り返す。

 春陽の元に向かって。

 柔らかな躍動が、しなやかな体躯が、僅かな葉擦れ以外の痕跡を消してくれる。

 だから、私が春陽の姿を捉えても、春陽は私に気が付かない。


 梢に座って春陽を見る。

 藪を払っていない森中を駆けたためか、朝に着ていた服には小枝や葉が纏わり付いている。剥き出しの両腕のあちこちに真新しい傷が幾つも見える。下衣に泥が付いているのは、幾度となく転んだためためだろうか。

 

 泣いていた。


 怒りの色はすっかりと消えている。

 木漏れ日の中で、大樹に背を預け、遙か北にある里を森の向こうに見透かすように視線を上げたまま。

 涙と鼻水で顔中をカピカピにさせながら。

 強い意志を宿した眼をして、顔を上げて、泣いていた。

 その姿を美しいと思った。

 だから、春陽が背を預ける木の枝の一本の上に座り、春陽が泣き止むのをじっと待っていた。



「………トラ、いるんでしょ?」


 どれ程そうしていただろうか。太陽は既に中天を過ぎ、東に向かって延び始めた森の影が、河縁の平野に届き始めていた。


 春陽の呼び掛けに、梢を降りる。

 春陽の歩幅で5歩の距離を置いた所に着地すれば、落ち葉の腐った柔らかな腐葉土が私を柔らかく受け止めてくれる。

 音も無く現れた私に、春陽はさして驚いた様にも見えない。

 私がそこにいると、分かっていたかのように。


「………春陽」


 ずっと考えていた。

 春陽に掛ける言葉を探していた。

 でも、見付からなかった。

 謝ればいいのか、叱ればいいのか、諭せばいいのか、それすらも分からない。

 結局、私の口から零れたのは、着地点を見失った曖昧な呼び掛けだった。


 居心地の悪さを感じながら、それでも春陽を独りにはさせておけない。

 優柔不断だな、と自嘲めいた考えが脳裏をよぎる。

 自分の不甲斐なさに、沈んで行きそうになったその時、私を呼び止めたのは春陽だった。


「トラ!私は怒っているの!」


 その言葉にハッと顔を上げる。

 紅潮した頬、涙と鼻水に塗れた顔。

 それを上衣の袖で乱暴に拭い取る。


「でも、ずっと考えたの。何でトラがあんな意地悪したのか。意地悪なのに、どうして私の傍にいてくれるのか」


 春陽は早口にそうまくし立てて、そして大きく息を吸い込んだ。


「母様が昨日の夜に言っていたの。トラの言うことを良く聞くようにって。それに父様も、トラは凄くて、それで優しい神様だって。でも、私の知ってるトラは、確かに凄いけど、暑い日は日陰でゴロゴロしてるし、意地悪ばっかりするし、穴も掘れないし、父様みたいに力持ちじゃないし、母様みたいに何でも知ってる訳じゃないんだもん。全然すごい神様には見えないよ」


 すごい神様だったら、今すぐ私を母様と父様の所に帰してよ、と漏れ出た最後の言葉は、か細く掠れている。再び溢れた涙が流れ落ち、また頬を濡らしていく。

 

「………春陽、私は神様なんかではないよ。春陽の言うとおりだ」


「だから!それは知ってるの!」


 再びの大声に圧倒される。


「だから、だから。トラは私の傍に居てくれるんでしょ!?」


 分からない。

 分からないが、分かった様な気がする。

 春陽は、たぶん。


「トラは鹿とか狼とかもすぐに捕ってこられて、父様でも作れないような家もすぐに作っちゃって、もしかしたら母様よりも物知りで」


 そこまで言い放って、また大きく、大きく息を吸い込む。


「でも、どうしようも無いこともあって。きっと私が母様達の所に戻るのは、そういうどうしようも無いことで。でもトラは優しいから私の傍に居て、ご飯もくれるし、服も作ってくれるんでしょ!」


 怒鳴られた。

 しかし、こんなに心地の良い怒声を浴びせられたのは初めてだった。


「だから、私は怒っているの!」


 やはり分からない。

 春陽の言っていることは、脈絡の大事な部分が抜けていて、どの様な理屈でその様な結論になるのか、全然わからない。

 だけど、良いのだ。


 紅潮した頬に、もう涙は伝っていない。

 怒りを宿していた眼は、今はもう木漏れ日を反射して煌めいている。

 目尻を上げて、声を荒げて、私は怒っていると、繰り返す春陽が、実は怒りでは無く、照れに塗れていることも、分かっている。

 それも理屈では無い。

 なんだ。理性的でないのは、春陽だけでは無いようだった。


 ふと、可笑しさが込み上げた。


 猫も笑う。


 人とは違い、声は出さぬ。身を捩りもせぬ。

 ただ、いつもより目を細めて、喉の奥をコロコロとさせる。

 それは人の所作とは違う。きっと春陽も気付かない。

 そう思っていた。


「なんで笑うの!?私は怒っているって言ってるでしょ!」


 バレた。

 何故わかったのか。それも分からない。

 でも、私の気持ちが春陽に伝わった事が嬉しくて、可笑しくて、喉が鳴るのを抑えられない。

 ギャーギャーと喚く春陽を見遣りながら、暫くそうしていた。

 

 春陽の腹が鳴る。

 ピタリと静かになった春陽に、家に戻って昼餉にしよう、と言う。

 照れくさそうに俯きながら、コクリと頷く春陽を連れて、家に戻った。

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