51.電波猫と新居の完成
春陽と春菜が起き出すまでに、夏海はオンドル用の穴を掘ってしまった。その穴の中に、やはり溶岩から切り出した土管もどきを埋めては繋いでいく。埋め戻しが終わると、盛り上がった土がまるでモグラが動いた後のように見える。それが増築予定の地面を縁取っている。
「トラ様のご指示通りかと思いますが、如何でしょうか?」
朝日の中で夏海がそう問う。
「思った以上の出来だ。恐らく上手く行くだろう。ありがとう」
そう、感謝する。
朝日の中で夏海が笑う。私の言葉を心の底から喜ぶ様に笑っている。その姿はあどけなさすら感じられる。
夏海に向けて探査を掛ける。慣れぬ作業を行った為か、体のあちこちに筋繊維の損傷が見える。筋肉痛が酷いはずだが、痛みを耐えている様子は見て取れない。この程度の苦痛には慣れているということだろうか。恐らく疲労も相当なものだろう。そちらも表情からは読み取れない。
無理にでも休ませるしか無いのかも知れない。
この地の男共は、或いは女達も、オーバーワークが染み付き過ぎている。それらの損傷が、様々な所に深く刻まれている様が、探査の結果から読み取れた。
私の胸中は複雑だった。
春陽を親に逢わせてやりたい。里の者が飢えぬように、食料を渡してやりたい。ルイオディウと里の者とに接点を作りたい。
様々な思惑を籠めて彼等を招いたが、この様に自身を酷使されると、要求が過剰であったと思わざるを得ない。里に食料を提供する対価とは、ただの口実のつもりだった。しかし、彼等は本当に怠けるということを知らない様である。
或いは、この様に誠実で実直な在り方だけが、過酷な環境に住まう集団の中で許容されるのかも知れない。そして、これだけの労苦を日常的にこなしながらも、餓死者が尽きないという食料事情の深刻さを改めて認識する。
思わず、ため息が出そうになるのをグッとこらえた。
隣で清々しい達成感を味わっている夏海を邪魔しないために。
薄い雲が空の高いところに留まっていた。それでも燦々と降り注ぐ太陽が、やや白んだ青色の空を遍く照らしている。薄く霞がかった視界の果てに、ぼんやりといた山が見えた。
天候は良好である。
朝餉も済ませた。
ここからは、私の出番だ。
全身を魔力で鎧う。
強化された四肢が、深く、強く地面を捉える。
魔力尾を展開。
無数の尾が小屋の屋根を、壁を解体していく。
離れた木蔭でこちらを見ている春陽たちから、驚愕とも嘆息とも言える、溜め息めいた声が上がる。
小屋だった木板を邪魔にならない所に積み重ねる。
露わになった礎石。
それらを脳内に展開した設計図に従って再配置していく。
囲炉裏も分解して移動。
石材から部材を取り出し、厨を、或いは厠を普請していく。
オンドル用の竈も同じく。
石材が次々と宙を舞い、それぞれが私と春陽が描いた予想図に沿って配置されていく。
乾されていた木材を加工して組み上げていく。鋭利な魔力尾で彫り、切り抜き、組み立てる。
居間が、台所が、春陽の部屋が、いよいよ形を顕し始める。
母屋とは別に、燻製室と納屋をつくり終えると、そこにあったのは、思い描いていた新居に相違ない。
「もう良いぞ」
私の言葉に弾かれた様に春陽が走り出す。春菜の手を引いて、玄関を潜る。
ここが私の部屋で、ここが居間で、とはしゃぎながら家の中を案内している。初めて入るであろうに、その足取りに迷いが無いのは、私と春陽がずっと考えていた間取りの通りに作れたからだろう。その事に、嬉しいような、安堵するような、暖かい気持ちが込み上げた。
それまでの小屋に置いてあった品々が、庭の隅に集めてあった。それは食器の類や毛皮を鞣す為の甕である。それらを尾の先で示して言う。
「夏海、これらを納屋と家に運び込みたいのだが、手伝ってくれないか?」
夏海に目を向ける。
新造された家を眺める夏海は、目を見開き、口を半ば開けている。
呆然、とそう形容するほか無い。
「夏海?」
再度の問い掛け。呆けていた夏海がこちらに向き直る。その顔に浮かぶのは、かつて見た若葉の表情によく似た、恐怖と拒絶と紙一重にある畏怖と驚愕だった。
………………
…………
……
夜半。
既に月も地平の彼方に沈んだ深夜。
床に着いた春陽の両側で、横になっていた夏海と春菜を揺り起こす。
寝てはいなかったのか、二人は驚く程にするなりと身支度を整える。
春菜と夏海が、寝こける春陽の頭を名残惜し気に撫でる。優しく、愛おしく、ゆっくりと撫でる。
膝立ちになっていた夏海が立ち上がる。
未だに春陽を撫でている春菜の袖を僅かに引いて立ち上がらせる。
暗闇にも分かる苦悩の表情。春菜の目尻には涙が輝いている。
戸外に出る。
それまで黙していた春菜が口を開く。
「トラ様、我らが去った後に春陽にはこれを与えてくれませんか?里にいた頃、あの子が気に入っていた玩具と、食器の類でございます」
分かった、と肯きと共に返す。
既に支度は済んでいるか、と聞き返せば、滴るような未練を滾らせながらも、二人は頷いた。
最初から決めていた事だ。
新居が出来れば、二人は里に帰す。
約束の報酬と共に。
そして、それを春陽には最後まで隠しておくことも。
二人を背に乗せて里に向かう。
各々が固く口を噤むなかで、否応なく思考が巡る。
暁光の中、親の不在を不審がる春陽を想像する。
その痛みに、耐えられるのか、今はまだ考えたくも無かった。