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電波猫のお仕事  作者: おばば
石器時代編
50/128

50.電波猫と原始人

 掘り下げられた水汲み場に小さな滝の様に水が落ちていく。床材の溶岩を濡らしながら広がった水は、やがて隅の排水口に吸い込まれていく。

 土が剥き出しだった四方を切り出した溶岩の板で普請して洗掘を防ぐ。夏海が作ってくれた階段の形を、春陽の歩幅に合わせて掘ったり埋めたりしながら調節し、最後に石段を敷いて安定させた。

 床に降りた春陽の頭近くからザバザバと音を立てて流れる水、その流れに水瓶を差し出すと澄んだ水が瓶を満たした。

 春陽がはしゃぐ。


「なにこれ!楽しい!」


 今度は吐水口に手を翳して、水を浴びては冷たい、涼しいと華やかな声を上げる。

 なるほど、水汲み場としてしか考えていなかったが、沐浴場としても使えるかも知れぬ。改めて見れば各辺が2m程の直方体状の空間に、底から高さ1.5mほどの位置から水が注ぐそこは、かつての「家」の沐浴室より余程、広く快適そうである。私は水を好かないので、正直な所は分からぬが。

 夕陽に照らされる中で水と戯れる春陽はひどく楽しげで、なにやら今日一日の疲労が洗い流される心地がした。


「春陽、今日は暑かったし汗もかいたであろう。着替えを持ってくるからそのまま水浴びもしてはどうだ?」


 やったー、と声を上げるが早いか、バサバサと服を脱ぎ出す。

 さて、着替えを取りに行くかと、踵を返すと、尻尾の先を軽く摘ままれた。その先には微笑む春菜が。


「………分かった、春菜の服も持ってくるから、春陽を洗ってやってくれ」


 春菜が泥塗れになっていた服を脱ぎ出すのを尻目に、小屋に向かった。



 陽がすっかりと落ちた後、皆で囲炉裏を囲んで夕餉を摂る。水浴びを終えた直後は随分と浮かれていた春陽と春菜だったが、流石に疲れが出てきたのか、眠たげに見える。春陽など、分かりやすく舟を漕いで、半分ばかしは寝ているようにも見える。常ならばそれを窘める春菜も、瞼が重いのか、うつらうつらとしつつ、時折、思い出したように匙を口に運んでいる。

 その様を微笑ましく眺めていると、夏海と目が合った。声を出さずに口元が僅かに動く。

 音声解析。

「二人とも可愛らしいものでしょう?」

 頷きを返して首肯する。夏海の口元に微笑が浮かんだ。

 

 言葉少なに夕食を終えると、皆、早々に床につく。

 小屋の隅、定位置となった狼の毛皮の上で体を丸めながら思う。あれだけの作業をこなしてまだ余裕ありげな夏海。彼の体力はどうなっているのかと。

 そんな益体もないことを考えていたら、いつの間にか私も眠ってしまっていた。



 土を掘るザラついた音で目が覚めた。

 まだ寝ている春陽と春菜を起こさぬように、足音を殺して間口を潜る。

 遠く東の空が微かに白んでいた。

 濃紺の空には星々が未だに瞬き、細く長い絹雲が高いところにたなびく様が見える。

 月下と見間違う程の仄かな明かりの下、夏海は既に作業を始めていた。


「早いな」


 地を踏む足が朝露で僅かに濡れる。未だ、大気は夜露を孕んで地に落ちきらぬ。少し寒い程に澄み切った夏の朝だ。

 夏海はこちらを見る。頭を下げた後、すぐに作業に戻る。黒色の瞳で地面を捉え、黙々と穴を掘る。

 その姿が痛々しく見えるのは何故だろうか。


「夏海。なぜそうまで働く?ここに来てからロクに休みを取っていないのではないか?」


 私の言葉に、夏海は手を止めると腰を伸ばして空を仰いだ。


「何故、ですか。その様な事は考えたこともありませんでしたな」


 その答えを怪訝に思う。この男はここでだけでなく、常日頃からこの様な生き方をしているのであろうか。

 いや、そうなのであろう。夏海の体に刻まれた数多の傷跡が、逞しい四肢に反して深く皺めいた体躯が、彼の日常の全てが酷使とも言える運動によって成り立つことを物語る。

 見誤っていた、そう思った。


「トラ様は豊かな地よりお越し召されたのでしょうな」


 その一言は、私の胸中を射抜く様だった。

 僅かに前屈みになり、遠く東の空に視線を向ける夏海に衒った様子は無い。何処までも純真で素朴であるのだ。故に、その一言一言は彼等の歩んできた生そのものの重さに等しい価値を持つ。


「里の男衆は皆、この時分より動きます。獣を追うにしろ、女衆が届かぬ地に採取に行くにせよ、朝日の昇り始めるこの時が、機というもの。夏に日が長いのは、この天地が我らに食い物を探す時間をくれている。冬に日が短いのは、獣が眠り、それを狩る我らに利するもの。その様に天が我らを生かそうとしているのだと、私はそう思います」


 私はトラ様と違い学が無いので、良くは分かりませぬが、そう言ってこちらに向き直る夏海は、登り始めた朝日を背負っている。逆光の中、その表情は窺い知れぬ。それでも、アイツと同じく、気負うこと無い笑みを浮かべていることが容易く想像つく。


 違う。


 その一言は喉に詰まって終ぞ放たれない。その様な過酷な生き方のみが許される、それ程にこの天地はそなたらに厳しいのだ、そう言いたかった。しかし、ただ生きている、その事への感謝と愛着が充ちる夏海へ、そう言うことは、私には出来ない。

 私は知っている。貴方の様に命を削るように生きる以外の術を。見知った隣人の赤子が、翌朝には冷たくなっている、その事を異常に思う程に恵まれた暮らしを。私の知る「人」とは、貴方よりもっと傲慢で、遙かに怠惰であった、そう叫びたかった。


 だが。

 だが。

 

 だから、何だと言うのだ。

 私は無力だ。

 春陽一人を養うにも儘ならぬこの身で、何を言える。

 産まれた時代が、環境が、少しズレていれば貴方はその様な傷を負わずに済んだ。命を削るように生きることは無かった。


 そう言って何になる。


 我々は時を超えられぬ。

 ここにあるもので生きるしかない。

 

 気付けば、足音もなく近付いてきた夏海に頭を撫でられていた。


「トラ様。また地を見詰めておいででいらっしゃる」


 そう言って、私の頭を撫でる。

 少し注意すれば容易に知れる。

 タコにまみれて分厚い掌。関節の動きがぎこちないのは、度重なる負傷に依るものか。

 あべこべも良いところだ。

 私から見れば、貴方達のほうがよっぽど可愛そうなのだ。こんな誰も助けてくれない所で、それでも命を削るように懸命に生きて。何故そんなにも穏やかな顔で笑っていられるのだ。


 分からない。

 分からないことは恐ろしい。

 そうだ。私はこの時、心の底から彼の人らを恐れ、畏れたのだ。

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