49.電波猫と墓参り
朝靄の中に、黒い墓標が佇んでいる。
その前に、道中で摘んできた花を供える。
名前は分からない。
やや深い青色が鮮やかな花だった。萼に近づくにつれて淡く白む二枚の花弁が対を成していて、その間から、薄い黄色の蕊が垂れる。もう一種、菱を象るように四方に細長い花弁を伸ばす白い花。両方とも小ぶりな花だ。何故か、はにかむように咲くそれらの花が、アイツには似つかわしい気がした。
それらを1把、墓前に置く。
「………ここで、夜月は逝ったのですか………」
暫し黙したままだった夏海が、口を開いた。
そうだ、と返す。
その時の事を知りたいか、と問えば、眉根に深い皺を寄せて、暫し黙考する。
辺りは霞がかかり、周囲の様子は判然としない。あの日に辺りを赤く染めた血痕も、或いは散乱していた小屋の残骸も、今年の雨で流されてしまったのだろうか。
住む者のいなくなった疎林は、夏草が繁茂している。朝露に濡れた草が、夏海の踝辺りをじっとりと濡らしている。
まだ四半年も経ってはいない。
それでもこの夏の暑気に背を伸ばした若木が増え、踏み跡が草叢に薄く覆われたそこは、どこか見慣れない場所の様に感じる。
考え込む夏海の傍で、暫く辺りを見渡していた。目に映る物の中に、なんとかアイツの痕跡を探そうとしているのだと、ふと気付く。
否応なしに進む時間が、アイツがこの世にいた証の全てを呑み込んで、押し流して行くことに納得がいかない自分を見付けてしまった。
「………トラ様、あいつは、夜月は、どの様な顔で逝きましたか?」
或いは、この男も私と同じモノを見ようとしているのかもしれない。
「………穏やかな顔だった。本当に優しげで、妹を、春陽を思う兄として、アイツは逝った」
少し風が出てきた。靄が速く流され、合間から辺りが見える。
墓に刻まれた文字に目が付いたのか、夏海が問う。
「この溝は何でしょうか?トラ様の御手によるものですか?」
ああ、これは。とその意味を伝える。
墓標を動かして、骨壷を見せる。
その中に納めた一つ一つから、アイツを思い出しては夏海に語っていく。
私の伝えるアイツの姿を、瞼の内に描くように、時折、瞳を閉じて思案する。
それを待ち、また食い入るように両目を開く度、次はこれをと、語っていく。
夏海と二人で、アイツを思う。途切れ途切れに投げ掛けられる夏海の質問に答えながら、アイツの最後を消化していく。
それが、私達にとっての葬送だった。
最後に、骨壷の表面に夜月と刻む。
墓標に刻む必要は無いのだと、夏海はそう言った。
根拠は無い。だけど、私も同じように思っていた。
小屋に戻れば、春陽はまだ寝こけていた。
北側だけ開かれた雨戸から、鈍く朝日が入り込む。薄暗いその中で、春菜が静々と朝食の支度をしていた。
お帰りなさいませ、と粛として頭を下げる春菜に、夏海が声を掛ける。
「トラ様が夜月の墓を建てて下さった。アイツは、春陽の兄として逝ったらしい」
そうですか、と囁くように応えて、春菜は手を止めた。
ちょうど炉端に食器を並べようとしていたらしい、その手には重ねた椀が携えられている。
夏海が、水を汲みに行く、と水瓶を手に間口を潜る。眉間に深く刻まれた皺が、彼が未だにアイツとの記憶に沈んでいることを示しているようだった。
囲炉裏の光に茜に照らされた春菜の横顔。視線を炉端に移し、手にした椀を並べる。僅かに、その手が震える。縁石に木椀が当たって、微かにカタカタと音がする。
何気なく、春菜の顔を見た。
一瞬。だが確かに、春菜に恐怖の表情が浮かぶ。
その真意を私が見定めるより早く、いつもの柔和な微笑みが、それを押し隠す。まるで何も無かったかのように、炉端に食器を並べ終わると、雨戸をゆっくりと開ける。薄暗い室内に、薄雲に濾された白っぽい朝日が入ってくる。春陽が光から逃げるように寝返りを打つのを手で制しつつ、朝ですよ、と優しげに体を揺する。むにゃむにゃとくぐもった寝言を口にしながら、春陽が身を起こし、そのまま春菜に抱き着く。しだれ掛かる春陽を抱き止めながら、庭先に目線を送っている。
問い質す事でも無い、と自分を納得させる。春陽に向ける表情は、正しく慈母のそれである。なれば、何を案ずることがあろうか。
夏海の掘った穴は既に彼の身の丈を大きく超えた。深く掘るために階段状になったその穴の中心、最も深いそこに切り出した溶岩の板を据える。板、と言っても厚みをとったそれは、もはや岩塊と言っても遜色ない。表土を貫いて基盤岩が露出したそこに、岩塊を据えれば緩み弛まずにズッと重い音がする。
その中央に降りる。
想念は鋼糸、硬く細く何処までも伸びる。意匠を変えた魔力尾を西に向かって伸ばす。目視することすら出来ぬ細糸が、暗褐色の泥岩の中に吸い込まれるようにして伸びていく。西、海岸段丘を成す崖まで600mと少し。その間を泥の粒子の間隙に数μmの糸を通す。既に他の感覚器では知覚できない距離。魔力尾から伝わる触覚だけを頼りに、ひたすらに尾を伸ばす。
最初は興味深そうに見ていた春陽が、飽きて小屋に戻っていく。春菜の手を取り、駒遊びに誘う。その声すらも遠く霞む。
紫瞳の猫との契約の後、格段に増した魔力制御。それをもってすら、ここまでの拡張を試みた事は無い。思わず尾が逆立ち、髭が揺れる。口腔が乾いて、掠れた呼吸音が耳に付く。
脳髄が灼けていく。ジリジリと焦げ付いていく感覚が脊柱から這い上る。
限界か、と諦めかけたその時に、抵抗が消失する。事前にプリセットされた形態が展開。抵抗値から逆算された末端に向けて、半円錐の刃が形成される。魔力糸から、末端が瓦解する感触。そこから更にバイパスして、穴を広げていく。半時程も掛かっただろうか。黒色の溶岩の床の際、私の頭ほどの穴が繋がった。
疲れた、というのが正直な感想である。
北側の縁側。板張りのそこに寝転がって涼を取る。視界の端には黙々と穴を掘る夏海。小川までの水路を掘っている様だが、早い。あと数時間もすれば次の作業に進めるだろう。
次の作業。また魔力を行使せねば成らぬ事に頭が痛い。目が疲れた時にも似た、頭の奥が重く痛むような感覚がする。
ゴロゴロと床を転がる。
空の高いところにはまだ雲が出ているが、それを抜けて尚、陽光が燦々と照りつける。遙か西には影すら伴う巨大な入道雲。気温は高いが、風が出ている為なのか、これまでと違い湿気はあまり感じない。頬を撫でる風に、一抹の涼を感じる。
ゴロゴロ。
「トラー、あんまりゴロゴロしてるのは失礼だよ。お父様もお母様も働いているのに」
両手で抱える様に籠を持った春陽が、そんなことを言ってくる。夏海が穴を掘り、私が狩りやら何やらをしている随に、春陽は春菜から採取の事を随分と学んだ様だ。
毎日毎日、籠がいっぱいになるまで山菜の類を取ってくる。その他にも枝を編んだ籠や笊の作り方や、野草の中でも乾かして保存できるもの、その乾燥の仕方、簡単な土器の作り方などを習っているようだ。
今、春陽が抱えている籠もそうだ。私の目からも編み目の歪なそれは、昨日の雨の中で二人で作ったものだろう。まだほんの3日程であるというのに、春陽の成長は目覚ましい。或いは、柔和な表情をしている春菜が、思った以上にスパルタであるのか。
恐らく、ルイオディウで無い普通の子らに施す教育を、ここに来て初めて受けているのであろう。春陽は元来、賢い娘のようである。砂地が水を吸い込むように、春菜から与えられる知識を吸い上げては己の物にしていっている様である。
若葉と約束した、日に1籠の山菜というのも、既に充分過ぎるほどに集まっている。まだ決まらぬが、夏海と春菜が戻る日まで、日持ちするものを分けておく必要があるかも知れない。
腹を出して寝ている私を撫でる春陽を眺めながらそんなことを考えていた。
いよいよ五月蝿い蝉の声に囲まれつつ、皆で昼餉を摂る。春陽が額に汗を浮かべて、暑い暑いと騒ぐ。それを窘める春菜と夏海も、顔を真っ赤にして辛そうである。
ふと思い付いて問うてみる。
「里では煮炊きをする時どうしている?やはりこの様に暑いのか?」
はい、と肯き春菜が答える。
「里の家に比べればこちらの方が幾分か涼しゅうございます。里では風が通る事がありませんし、土壁が熱を帯びて尚のこと暑い事もあります」
ただ、この様に暑い時は家の中ではなく外で煮炊きをする事の方が多い、と夏海がボソリと付け加える。
なるほどその手があったか、と感心する傍らで、春菜がキッっと夏海を睨む。夏海は椀を深く傾けて表情を隠した。春陽が燠火に灰を掛けて火を消した。
なるほど、春菜と春陽は親子である。きっと二人とも気が強い。
昼餉までに夏海は水路を掘ってしまった。小川まであと1mほどの所で作業を止めて貰っている。掘ってもらった堀は水汲み場から200m程である。そこにポンポンと土管もどきを置いていく。土管もどき、要は筒状に切り出した溶岩塊である。内径は30cm、長さは60cmに揃えて切り出した。継手の部分には浅く溝を切ってあり、簡易なネジの様に細工してある。私が置いた土管もどきを、春菜と春陽がせっせと組み立てていく。緩い接合部は僅かな凹凸に応じて緩む為、見た目はぐねぐねと不格好であるものの機能としては申し分ない。30分程で敷設が終わる。
小川の近くまで移動し、先行していた夏海を労う。表情は涼しげだが、髪を伝って滴る程に汗をかいている。急ぐ仕事でも無い、ゆっくりと進めてくれても構わないのだが、根が真面目なのだろうか。暫く水浴びでもして休んでくれて構わない、と伝えると、どうせ夕べまでには同じくなりますので、と言い残して、今度はオンドル用の穴を掘りに行った。その調子があまりにも自然であったので、私はふと思い至る。動けば動いただけ、働けば働いただけ、食を初めとする生活が豊かになる環境での人の有様とは、この様なものなのであろうか、と。
頭の片隅に、寝癖をつけただらしのないアイツの姿が過る。独身貴族と妻帯者の差の方が大きい気もした。
ともあれ、水路に関しては詰めの段階と言って良い。体を魔力膜で覆って四肢を強化すると、一際巨大な石塊を持ち上げる。それを小川の中央に沈める。
今回の水路造りで一番苦心したと言っても良い細工物である。見た目は黒色の溶岩を直方体に切り出しただけの様に見えるが、内部は二重の入れ子構造になっている。砂の交じった水が外側の箱を満たすと、内側の箱に上澄みだけが入り込む。内側の箱から伸びる円筒が、外に飛び出していて、ここが吐水口になる。吐水口の位置に合わせて、箱の置き場を調整する。あとはここまで伸ばした土管もどきと吐水口を繋げれば、ひとまず、水は流れる。
吐水口と土管もどきの間、1m弱の区間を春菜に掘って貰う。その間に、石材置き場から残りの材を取ってくる。取水筺の周りに、小さな堰を作るように板状の溶岩塊を配置していく。川の一部が堰き止められて、筺の周囲の水位が上がる。
漸く内部が満たされたのか、吐水口から勢い良く水が出る。その流量を計りながら、取水筺の外側、筺の底部近くに泥抜きの為の孔を穿つ。吐水口からの水の勢いが減って、代わりに排泥孔から砂の交じった茶色い水が流れ出る。
暫く様子を見てみたが、特に問題は無さそうである。恐らく、川の流量が変われば調整が必要であろうが、石造りの悲しさよ。筺は一点物で調整は難しい。周りに組んだ堰の方を組み替えて調整するほか無いだろう。
春菜が掘ってくれた溝にも土管もどきを据える。土管もどき一本を置くには半端な長さの残りを、その場で細工した土管もどきで調節する。筺の吐水口と土管もどきを繋いだ。
土管の中を水が流れていく音がする。
春陽が嬌声をあげながら、音を追って走って行く。
その様子を見送る。
さて、と一言入れて春菜に告げる。
「このまま野晒しにすると、管が痛むのでな。この後は土を掛けて埋め戻す必要があるのだ」
春菜の目の前で、土を搔く。魔力膜を解いた私が搔いた程度では中々埋まらない。
そっと春菜を見る。
柔和な表情を浮かべている。しかし、その口元が引き攣る様に僅かに動いたことを私は見逃さなかった。
埋め戻しは日暮れまで続いた。
夕焼けで照らされた縁側で寝こける春陽を、頬をつねって起こす春菜が、一瞬だけ修羅の様に見えたのは、きっと私の気のせいであろう。




