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電波猫のお仕事  作者: おばば
石器時代編
47/128

47.電波猫と夜

 溶岩の末端崖と小屋とを幾度も往復する。魔力膜で鎧った体躯に限界まで石材を積んでも、それは日暮れまでには終わらなかった。

 肥大した私を見た夏海と春菜は、最初こそ驚き畏れた様子であったが、春陽が私に接する様を見て安心したのか、夕食時には少しは慣れた様であった。

 小屋の南側に、夏海一人がすっぽりと入れるほどの穴が掘られ、そこから少し離れた所に、石材が山のように積まれる。

 太陽は西の森に姿を隠し、辺りに夕闇が広がった。淡く藍から茜に変わる空に、野鳥が列を成して飛んでいく。蝉の声が種類を変えて、風にも涼しさを覚える頃合いとなった。

 夏海は私の思う以上に頑健であった。私が今日は仕舞いと石材を運び込んだその時まで、休むこと無く働き続けていた。春陽に様子を聞くと、昼餉の際に少し休んだきり、殆ど手を止めていないという。

 予想よりも遙かに進んだ進捗を見ると、少し複雑な心地がした。


 夕餉の席である。

 開け放した雨戸から涼風が吹き抜けて、常ならば感じる暑気も幾分か和らいだ。囲炉裏に掛けられた鍋には、私や春陽がそうするよりも、ずっと綺麗に揃えて切られた山菜と肉が煮込まれている。幾つか見慣れないものがあったので、春菜に問うてみれば、この辺りに自生するものの中には、まだまだ食用に足る野草の類があるらしい。それらの詳細を聞いていくと、傍らで春陽が、私もそれを見付けたのだ、これはどこそこに生えているのだ、と合いの手を入れる。母に教わったことが、どれ程に嬉しいのだろうか、終始、上機嫌で話す姿を春菜と夏海は慈愛に満ちた表情で見ていた。


 はしゃぎ疲れた春陽が炉端で寝こけると、私はゆっくりと雨戸を閉めた。部屋の隅に畳んであった毛皮を取り出し、春菜と夏海に渡す。

「春陽に掛けてやってくれないだろうか、きっとその方が喜ぶ」

 春菜がやや恥じ入るような、それでも紛れもない喜色を浮かべてイソイソと春陽に毛皮を掛ける。赤味の強い燠火に照らされてたその顔は、親子らしくよく似ている。

 それを見ている夏海に声を掛ける。


「夏海殿、少し散歩に付き合ってくれないだろうか?」


 仄明るい室内で見たその横顔はアイツとよく似ている。私の言葉に、なにか思い至る事があったのが、眉間に僅かに皺を寄せて、ゆっくりと頷いた。


 太陽は夜の帳に身を隠し、真円を描く月の周りに煌々と星が煌めいていた。あまりに多くの星の群れは、赤紫から乳白色までの光の帯となって、遙かに聳える山々から遠く北方に延びる。

 感じる暑気こそ違えど、それはアイツに出会ったあの秋の夜によく似ていた。


 夏海の歩調に合わせて、東に向かう。春陽の為に、木々の間の下生えを刈り払ったそこは、夜闇の中でも足を踏み違える事が無い。暫く、互いに無言で歩くと、木々が途切れて、遠くを流れる大きな河が見えた。河岸段丘の際、笹薮になっているそこを魔力尾で薙ぎ払う。

 鈴虫の類が飛び立ち、一瞬の喧噪に包まれる。藪の中に出来た空白地に、夏海を招く。


「なにから言えばよいのか…………」


 歩いている最中に、あれよこれよと考えてみたものの、上手く言葉にする事は出来なかった。口火を切ったはよいものの、上手い接ぎ穂を見付けることが出来ずに、ごにょごにょと口籠もる。

 暫くそうしていると、夏海は眉間の皺を解いて話し始めた。


「トラ様、ここは良いところです」


 夏海の目は私を捉えていなかった。遙か頭上の月と星々に目をやり、ゆっくりと視線を下ろす。


「我々はあの河の水で飯を炊き、あの水で喉を潤しますが、それがあのように星を抱く様は初めて目にしました」


 夏海の言葉に、視線を河に移す。真っ黒に塗り潰されたような原野の中で、河面に星々が映る。水の流れに、淡く乱されながらも黒地に一筋の虹を描いた様なそれは、夏海の言葉通り、美しかった。

 見惚れる様にしばし佇む。

 幾つか、星が流れる様を見送ってから、夏海は話し始めた。


「トラ様がお救い下さったのは、春陽だけでは無い。その様に若葉様から聞いております」


 頬から延びる髭がピクリと動く。夜風にでは無い。あの巌の如き媼がその様なことを伝えていた。それが心底、意外だったのだ。

 なにか感じ入るところがあったのが、それともこの男は私の表情すらも読めるのか、僅かに口角を上げて微笑むと、私の目を見据えて続ける。


「トラ様がお考えになるよりも、若葉様は甘いお方ですよ。あの方の言う、他のものには言ってはならぬ話、に私達がどれだけ救われたでしょうか」


 改めて感謝を、と夏海は深く頭を下げる。


「………それでは、やはり夏海殿はアイツの事もご存知か………?」


 人を模した声帯は、或いは私の思う以上に精巧だった。私の中の迷いすらも正しく発声して、その声は戸惑いに揺れている。

 夏海は私から視線を外すと、また遠くを見詰める。その視線が河を見ているのか、或いは空を映しているのか、私からは分からない。近いようで、そうでいて遙か遠くを見るように、彼は話す。


「夜月、と名付けました。朝に産気づいた妻が、まさに命を掛けて産み落とした時には、この様に美しい月の出る夜となっておりましたので。ただ、トラ様も知るように、その名で呼んでやれた時間はそう長くはありませんでしたが」


 奇妙であった。

 懐かしい思い出を語るような柔和な表情。それでいて、肩には力が漲り、手の皮が裂けんとする程に、拳は固く握り締められている。

 それでも揺れぬ声音が、人の親の強さなのであろうか。


「感謝されることなど………」


 言葉に詰まる。目の前で傷付くアイツを思い出す。

 風塊を全身で受け、木偶のように壊されたあの様を思い出す。

 遺体と、そう呼べるほどの原型も残せなかった。

 集めきれなかったアイツの代わりに、アイツとの思い出を自分勝手に詰め込んだ骨壷を思い出す。

 紛れもない後悔の念に、また押し潰されそうになる。


 ふと、頭を撫でられた。

 視線を上げれば、悪戯めいて目尻を下げた夏海の顔。


「春陽が申しておりました。トラ様が地面を食い入るように見詰め始めた時は、御頭を撫でることが一番であると」


 春陽は子供のクセに知ったような事ばかり、と詰る合間も優しく頭を撫でられる。私の泣き言が途切れるのを待ってから、夏海は優しく続ける。


「いいえ、トラ様は確かにお救い下さった。貴女のお陰で、私は夜月の本心を知れたのですから」


 夏海は私の傍らに腰を下ろす。尚も私を撫でさすりながら、アイツの話を始める。

 それは夜伽話の様だった。




 彼の子は、産まれながらに不具であったという。足の付け根が奇妙に曲がり、それ故か齢2つを数えても尚、ただ虫のように這いずるのみであった。

 早くに母を亡くした為か、或いは母の命を蝕んで産まれたその因果の末か、父でさえも彼をどの様に扱えば良いか、戸惑う有様であった。

 立ち、歩くより先に言葉を覚えた後は、気後れする父を煙たがるように女衆に混じって細工物を拵えたという。

 その様に育つ息子に、掛ける言葉を探し倦ねたまま、後妻を娶り、やがて春陽が産まれた。 

 その頃には、アイツは、里から少し離れたところで独居し、食事の時以外は細工物を拵えていたという。


「夜月は聡い子供でした。恐らく私の事も春陽や春菜のことも全て承知で、あのように振る舞っていたのだと、いまとなってはそう思います」


 春陽が齢3つを数える程になると、アイツは自分からルイオディウを名乗り出たと言う。卜占に与らぬその様に、周囲は戸惑ったそうであるが、頑としてそれを譲らぬ様子に、或いは生来のワディエツヤ ドゥイグかと、人々も何時しか諦めた。

 常であれば幼子が選ばれるという祭りの贄に、幾らか程も知己を得た彼はどの様な心地でそれに臨んだのか。

 魔晶石を呑み込み、殺到する獣の随から見えた表情は思いがけず穏やかであったと、夏海は語る。


「私は、夜月が私達の事を恨んでいるのでは無いかと、ずっとそう思っておりました。不自由な体に産まれ、蔑まれ、疎まれて生きることを余儀なくされたことを恨んでいるのだと。故に自ら命を絶ったのだと」


 何時しか、月は西の彼方に沈んでいった。

 いよいよ煌々として見える星明かりの下、夏海の頬を流れる涙が微かに見える。


「それが思い違いではないかと、最初に思ったのは、祭りの後になってから、夜月の小屋の中に幼子がよく遊ぶ玩具が大量に隠されているのを見付けたときです」


 それらは夜月の細工にしては随分と丁寧に作られていたという。苦心して作ったであろうそれらは、然して使用した痕も見付けられず。どの様な思いで作られたものが、父でさえも思い至るのには時間が掛かった。

 ただ、家の片隅に置いてあったそれらで、春陽が遊び始めた際に、或いはこれは兄から妹への贈り物では無いかと、そう思い至ったという。


「そんなあの子の考えも知らず、祭りの仕舞いに、あの子の首に当てた石剣を引くことが、私には出来なかった。ただ気道を塞ぎ、石室の中に置き去りにしました。あの足では、獣の爪牙を逃れて生きることなど叶わぬからと、自分の手を汚す事すら嫌ったのです」


 私は父としての最後の責任からすらも、逃げたのです。そう言って、夏海は押し黙った。

 

 ただ夏虫の声と、風の抜き抜ける音がした。

 悲愴にくれるこの男の姿は、何時の日か見たアイツの姿によく似ている。

 やり場の無い怒りと悲しみに打ち拉がれたその様が、アイツに重なって見えた。


 場違いなのは承知だ。

 私は、春菜を真似てコロコロと笑った。

 その声に、夏海がこちらに視線を向ける。

 その視線を受け止める勇気は無い。

 だから、私は私の思ったことを、直裁に言う。


「今日の昼に、夏海殿があれ程に働く様を見ていたのでな、私は夏海殿がアイツの父とは思えなかったのだ。私の知るアイツはぐうたらで、放っておけば昼まで寝ていて、いつも寝癖塗れ、埃まみれのだらしない奴だった」


 一息に言い放つ。間髪を入れず、続ける。血反吐を吐くように思い出を語る。


「こんな得体の知れない獣にも情けを掛けて、面倒くさそうにしながらも言葉を教えてくれて、春陽を運び込んだ時にも何も聞かずに介抱して。あの時に自分の妹だと、そう言えば良かったのだ。それが今際の際までそんな素振りも見せないで、とんだ格好付けだ」


 息を吸う。

 限界まで吸い込んで、そして大きく吐き出した。


「本当に、どうしようも無いほどのひねくれ者だ」


 夏海の目を見詰める。

 暗闇の中で表情が読み取れない。

 或いは、これは彼を愚弄する行為かも知れない。


 恐い。

 恐くて仕方ない。

 しかし伝えなくてはいけない。

 アイツの最期を看取ったものとして、私の知るアイツを伝える義務が私にはあると、そう思った。

 それは、私が若葉に強いたことと同じ事柄だ。

 一人だけ逃げることは許されない。

 私がそれを赦さなかったように。


「それでも、誰かのために涙を流し、誰かと共に笑う貴方の姿は、私の知るアイツにとても、とてもよく似ているよ」


 そう言って、夏海の傍に近づく。

 固まったままの体をよじ登り、その腕を舐め上げる。

 薄く泥にまみれた、彼の腕に顔を寄せて、舐め上げる。傷付いたときは我らはこうするのだと、自分に言い含めるように呟いて、彼の涙が止まるまで、子猫にそうしてやるようにずっとそうしていた。


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