46.電波猫と春陽と春菜と夏海
小屋の中に、少し恥じらうような夏海と春菜が見えた。こちらに視線を向け、軽く頭を下げる。二人は互いに目配せすると、夏海が居住まいを正して座り直した。春菜は膝行のまま、やや奥に移動する。
「トラ様、若葉様と春陽からご事情は伺っております。まずは我が娘の命を助けて頂けたこと、厚く御礼申し上げる」
夏海はそう言うと、胡座に組んだ両膝の少し前に両の拳を付き、深く頭を下げた。春菜は両膝を揃えた腕に掌を重ねると、同じ様に深く頭を下げる。
あまり見たことのない所作であったが、何らかの敬意を払う仕草であると、伺い知れた。
春陽に抱き着いたままであった私は、慌てて地面に降りる。
両の前脚を揃え、尻尾を尻の下へ。目線を爪に送るように下げて、名乗る。
「トラと申す。故あってこの地に至り、貴方達の地を間借りしている。無礼千万ではあるものの、幼子の命が散るのを見過ごせず、春陽とともに里より離れて暮らしておる。どうか頭を上げて欲しい」
小屋の中で夏海が言葉を放つ。
「トラ様の御神力により、我が娘を始めて、これまで多くの民が救われました。毎年、秋までに散る命は数多なれども、今年は御身のお恵みにより、一人の欠けもありませぬ。我ら一族のことは、どうか如何様にもお使い下さい」
そう言うと、一層に頭を下げる。
遂には床に頭を擦り付けかねない勢いである。
そうされると、こちらもどうしたら良いか分からなくなる。人に此程まで改まった所作にて接せられる経験は初めてである。
身に染みついた慣習が、相手よりも先に頭を上げることは無礼であると、警鐘を鳴らす。私の脳髄に灼かれた簡易催眠に置いて、人が私に敬意を払う場面は想定されていない。
息をのむような数瞬が、通り過ぎる。
「みんな、固まっちゃってどうしたの?」
春陽が呆れて取り持つまで、三人とも身動ぎすら出来なかった。
大人って馬鹿だよねぇー、と春陽は暢気に言い放った。返す言葉も無い。あのままでは、何もせぬまま日が暮れる所であった。
気楽に私に接する春陽を、心配げに見詰める夏海と春菜に、この様に隔意無く接してくれた方がありがたいのだ、と伝えると二人は困惑しつつも頷いてくれた。
「それでトラ様、若葉様からは何か仕事を頼まれると聞いてきたのですが」
まだ若干の気後れを滲ませながらも、夏海はそう聞いてきた。聞けば、三人とも朝飯は既に済ませたそうである。移動の疲れは大丈夫か、と問えば、それも問題ないと言う。強がりなのか、それとも本心なのかは読み取れないが、とりあえず、始めて貰ってから様子を見れば良いであろうか。
三人と共に、春陽と作った立体模型の前に移動する。魔力尾を操って模型を元の配置に戻してから、順を追って説明していく。
「あちらの方角に小川が流れている、そこから水を取って便所を作りたいのだが、傾斜が足りん。そこで、小屋の南側から西に向かって弧を描くように穴を掘って欲しいのだ。深いところだと、丁度、夏海の背丈ほどの深さになると思う。出来るであろうか?」
周囲を尾で指し示し、水路の予定位置に魔力尾で引っ掻いて跡を付けていく。
「丁度、この辺りで水くみのための段差を設けようと思っている。不思議に思うかも知れないが、先ずはここを夏海の背丈ほどまで掘ってくれないだろうか」
後の事には少し考えがあると言うと、存外に素直に頷いた。前に春陽のために作ったシャベルを渡すと、下生えごとゴソリと掘り返す。
こちらに目を遣って、これで良いかと聞いてくるので、そのまま続けてくれ、と伝えた。
その傍らで春陽と春菜は何かを話している。春陽が身振り手振りを交えて何かを言う度に、春菜がコロコロと笑う。なんという杞憂であったことか。あのように笑うものが、我が子を手に掛けることを危惧していたなど。
二人に近づいていく。こちらに気付いた春陽がはしゃいだ声を上げる。
「ねぇ!母様は駒遊びをしたことがないんだって!一緒に遊んでいい?」
もちろんよいよ、と返す。春陽は春菜の手を取って縁側に駆け出そうとする。それを遮る。
「遊び過ぎはいけないぞ、私はやることがあるから晩飯の準備は任せた。肉や野菜で足りないものが無いか、見て置いてくれ」
分かってるよー、と言い残すと、寸分も惜しいとばかりに、春菜の手を引いて行った。こちらを見遣る春菜が申し訳なさそうな顔をする。気にするなと、一言言い残す。
さて、私も私のやるべき事をしよう。
木漏れ日が注ぐ湖沼まで一息に駆けた。
昂揚している。その自覚がある。
弾む呼吸もそのままに、魔力爪を振るう、振るう。
大小さまざまな溶岩が切り出される。
脳内の図面に合うように、石塊を切り出しながら、笑う、笑う。
嬉しかった。春陽と春陽の家族が、楽しそうにしているところを目に出来たことが、これ程なく嬉しかった。
それこそが私の見たかった、アイツにも見せてやりたかった景色だった。
猫も笑う。牙を剥き出しに、全身を緩み無く稼働させ、踊るように笑う。あまりに大きな嬉しさを全身で表現する。
切り出した石材を、拡張した体躯に巻き付けて、森を駆ける。その間もずっと喉の奥がムズムズする。思わず吼える。
野鳥が一斉に飛び立つ。
木々が揺れて、弾けた光の破片が森の中を彩っていく。なんと世界は明るいのか。
途方もない達成感が私を充たして、思わず春陽の様にはしゃぎながら家路を辿った。




