43.電波猫と若葉の選択
「そんな訳で、里の者に手伝いを頼みたい。出来れば力の強い男を一人、紹介してほしいのだが」
蒸し暑い夜であった。
夕べに降った雨が、地面に染み込んだ熱で気化して、夕闇にも白い靄が立ち上がる。既に日の落ちた空に残照が微かに照り返り、濃い藍色の空を、影だけを残した鳥たちが西に向かって飛んでいく。遠く、しかし確かに耳に届く彼等の鳴き声が、どこか哀愁を招く、そんな夜だった。
私の言葉に若葉は眉を顰める。半ばまで閉じられた瞳を、更に押さえ付ける様に瞼に力が籠められる。頬に刻まれた皺が寄って、薄闇の中、いよいよ巌めいて見える。
「………トラ様………」
若葉は、そこで言葉を切った。
深く思案に耽っていく。
最近の、熟れた関係を無にするかのような申し出をしている自覚はある。彼女の考えも、大凡のところ読めている。そして、私が若葉の考えを読んでいることを、若葉も分かっている。故に、彼女は言葉を発することが出来ない。
口に出せば、二つに一つ。そして、そのどちらもが決別を意味する。
言外に問う。私か、因習か、そのどちらかを捨てよ、と。
すこし、背中を押す。こちら側に向かって。
「謝礼は用意する。一日当たり鹿を一頭、それに籠一つ分の山菜でどうだろうか。私の見込みなら、短くとも5日、長くても7日ほどだろう。勿論、長引けばその分の謝礼も付けるし、泊まり込んで貰うことになるから、その間の寝床と食事も用意する」
鹿が少なくとも5頭。それは、里の皆で分け合っても十分な量である。
十分に、いま既に飢えている者を賦活出来うる。少なくとも、秋の祭りまでは。
故に若葉は迷う。実益とルイオディウ、或いはワディエツヤ ドゥイグと呼ばれるべき私と春陽。それらとより深く関わるべきか否かを秤に掛ける。もしそれを認めれば、これまで命を絶たれてきた数多のルイオディウを、その死を見送ってきた数々の親兄弟を、或いは冒涜する事になる、その様な感情が、渦巻く様が見て取れる。
探査範囲に二人。春の終わりに私が若葉と逢いだしてすぐの頃から、こうして遠巻きに私達を見ている。探っている、という雰囲気では無い。恐らく、風の気紛れによって所々聞こえる会話を拾っているのだ。
男の顔を、電磁探査で解析する。解析結果をバックグラウンドに流し込み、先の祭りの際の視覚記録と照らし合わせる。女の方は、分からない。しかし、解析結果は、春陽の首に石剣を押し当てた男と、我らを見詰める男が同一人物であることを示している。
過去の経緯。それによって積み上げられた因習。それらは重い。
それでも、我が子の無事が知れるかも、或いは一目見えることが適うかも知れない。そんな情念は、容易く、暗黙の内に編み込まれた掟を踏み越える、そう言うものであろう。
贄を送る。その苦しみを内在して皆を救う術そのものが、きっと、亡くしたくない誰かを救うために熾った火種、その燠火に類するものならば。
故に問う。過去を慰めることと、今を生きる者と、そのどちらに重きを置くか。その双方を、自らの生の内に取り込んだ、老いし者には、その天秤たることを宿命付けられる。
辛いだろうな。と他人事故に一言で片付ける。どちらを選ぼうとも、若葉は責め苛まれる。それが、生き延びてしまったものの責任である。
それでも、私は若葉に選択を委ねようと思った。同時に思う。既に引き返せぬ所まで、私も若葉も踏み込んでしまっている。この夏に、この里では4人の子が産まれた。いま孕んでいる女の数は片手で余る。彼等、彼女等が次の春を迎えられるか、否か。そして増える人口を賄う為に、何が最適か。
私が若葉に与えた獲物。それを若葉が幼子を抱える家族に分け与えていることも、私は知っているのだ。
故に。
「………心当たりがございます。夏海という男、しかし彼だけでは炊事もままなりませぬ。その連れ合いの春菜と二人ででしたら、トラ様のお望みに適うかと………」
巨大な巌から、小石の一欠片が落ちる。そのような様を想起させる、それは微かな声だった。
翌朝にその二人を迎えに来ると言い残して、その場を離れる。私を見送った若葉が、私達を見ていた二人組に歩み寄る。何かを伝えられると、その二人は手を取り合って、固く握り合った。何かを呟く。何を言ったのかは分からない。だが、その瞳から零れた涙は、私の探査でも知覚できた。
翌朝。
遠く東の山々から、太陽が輪郭を顕し始めた。私は魔力膜で拡張させた体に獲物を巻き付けて里を訪れる。
まだ寝ている者も多い時刻だ。それでも集落の入り口には既に3人の人影が見えた。
彼等に近付き、魔力膜を解く。
運んできた獲物がドスリと重い音を立てた。
驚きを浮かべる3人が口を開く前に、こちらから声を掛ける。
「私とした事が、人を紹介してくれた若葉に礼を渡すのを忘れていたな。これは詫びだ。里の皆で分けてくれ」
若葉は、口の端に苦い笑みを浮かべる。
「………トラ様は、本当に。慈しみ深い、山神様でございますね」
山積した猟果を尻目に、若葉はそう呟いた。




