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電波猫のお仕事  作者: おばば
石器時代編
37/128

37.電波猫と海神の噂

 海神様の餌を横取りすると、海神様とやらが怒って人を襲うらしい。その襲うと言うことが、人を食べるという事なのか、里に大水、恐らくは津波だろうか、を起こすことなのかはよく分からない。

 兎に角、魚を見た春陽は大騒ぎして、とても昼飯といった雰囲気では無くなった。早く海に戻せと急かすので、仕留めた魚を海に返す振りをした。実際は春陽に見えぬ程の細い魔力糸を繋いで運んでいる。

 春陽を背に乗せて、塩の入った甕を掴み、海岸段丘を駆け上がる。藪の繁る森の中を、展開した魔力膜で押し広げる様にして小屋まで走った。

 小屋に辿り着く。春陽はまだ興奮した様子で海神様が如何に恐ろしいかを力説している。その必死さは良く伝わってくるのだが、如何せん要領を得ない。とりあえず、もう魚は採らないから、と繰り返し、昼飯の用意をする。遅くなった昼飯であるのに、ずっと喋っている。差し出した匙を握り締め、振り回しては身振り手振りを交えた大演説である。

 沸いた鍋の中身に今日の成果である塩を振る。春陽に、味をみてみてはくれないか、と頼む。漸く、話すことを止めて、汁を一口啜った。

「すごい!美味しい!」

 そこからはいつもの春陽であった。ガツガツと椀の中身を空にして、鍋の中から次をよそう。鍋に齧り付いている春陽に気付かれないように小屋からでる。

 裏手に回り、春陽に向けて探査を掛ける。戻り値から、こちらに注意が来ていないことを確認して、藪の中に隠した魚に齧り付く。

 この上ないほど美味しかった。


 夜陰に紛れて森を走る。

 遠出に疲れたのか、日が沈む頃には寝こけていた春陽を置いて、一路、北に向かう。

 海岸段丘の上に、集落を見付け、更に加速。

 春陽に繋いだ魔力糸からの反応に異常は無いが、長く一人にするのは心配だ。手早く済めば良いのだが。


 集落の中に入る。人目を忍んで、若葉の塒を探す。入口からは焚き火だろうか、赤味の強い光が漏れている。小屋の内部に探査を掛ける。若葉と、その娘夫婦がいるようだ。若葉は小屋の中の、奥まった所に座っていて、なにか繕い物をしている様だった。

 夫婦も各々なにかをしている。夫の方は、蔦草を編んで縄の様なものを作っているし、妻の方は、土器の中で何かをすり潰しているように見えた。

 どうするか、逡巡する。若葉にならば、姿を見せても良いかと考えていたが、娘達はどうであろう。祭りの時の事を考えれば、化け物が来たと驚くのでは無いだろうか。あまり騒がれれば、春陽を里に戻す時に差し障るかも知れない。化け物扱いされるのは、私だけで良いのだ。

 細く、薄くのばした尾を小屋の中に差し入れる。見えぬとは思うが、念には念を入れて、娘達の視界に入らぬように若葉の傍に伸ばし、若葉の膝をつつく。トントンと何度か膝を叩いていると、若葉がこちらに視線を遣る。そのタイミングで姿を現し、前脚で手招きする。

 若葉の顔に一瞬、驚きの表情が浮かぶ。それを押し殺したように、一度、視線を下にやる。さも、繕い物に疲れたようなため息を付き、少し夜風に当たる、と娘達に言い残して小屋から出てきてくれた。


「トラ様、お久しゅうございます」

 里から少し離れた森の際まで移動すると、若葉はそう切り出した。

「こちらこそ、夜分に済まない」

 私はそう、若葉に詫びる。

「祭りの時は済まなかった。里の者の習わしに水を差すようなことをしてしまって。あの後、迷惑は掛からなかっただろうか?」

 ずっと言わねばならぬと思っていた事だった。彼等の生き方を、事情も知らぬ私が乱してしまった事。それが間違いだったとは思わない。だが、あのように乱暴なやり方で無くとも、他に方策はあったのでは無いだろうかと、思い返していた。思い返す度に、あれ以外に手は無かった、と、ただタイミングが悪かったと、その様にも思ってしまうのではあるが。

「トラ様。我らとて、好き好んで贄を送っておるわけではありませぬ。皆、内心では我が子がルイオディウに選ばれないかと、怯えています。トラ様が贄役を担ってくれるのであれば、それに反対するものはいないでしょう」

 ただ、と若葉は続ける。

「何分、トラ様が獣を寄せられるか、皆は計りかねております。次の祭りにも念の為と、ルイオディウを」

 若葉は、そこで言葉を切った。深く刻まれた皺が寄せられ、なお一層、巌めいて映る。或いは、幾多の贄を送ってきた彼女の脳裏に、その子らが思い出されるのであろうか。

「………祭りのことは、任せて欲しい。いまはまだ、信じてくれと言うより他にないが、必ず成し遂げてみせよう」

 若葉は黙したまま、ただ静かに頭を下げる。

「トラ様ならば、約束を違えることはない。私はそう信じております」

 信じてくれて構わない、とは言わなかった。ただ若葉の目を真っ直ぐに見詰めて、深く頷いた。


「それで、話は変わるのだが」

 ここ最近の困り事を若葉に相談する。春陽の服はどう作れば良いか。春陽の言う海神様とは何なのか。ゆくゆくは里に春陽を戻したいのだが、どう思うか。話す内に、相談したい事が次々と溢れてきて止まらなかった。気が付けば、若葉が呆れた様な、或いはなにか微笑ましいものを見るような顔をしている。

「春陽、懐かしい名前でございます。そうですか、あの子はトラ様に春陽と、そう呼んで頂いているのですね」

 ひとしきり私が話終わった後、若葉はそう呟いた。それは、名状し難い声音だった。深い、哀しみと、喜びと、諦めの混じった複雑な音。憑き物が落ちる、とはこのような様を言うのであろうか、どこか悲愴な気配を帯びていた若葉が、一吹きの生気を得たようにも見えた。

 私がその名をどうやって知ったのか、若葉は聞かなかった。だから、私も話さなかった。それでもきっと、この巌の様な媼は気付いている。私が春陽の名を知っていることの意味を、今になって生活の為のアレコレを尋ねに来た意味を。慈愛と、同情に満ちた瞳が、何よりも雄弁に、それを物語る。


 細く長い雲が、空の高い所を流れていた。

 切れ切れに月が顔を出す夜に、若葉は様々な事を教えてくれた。毛皮の鞣し方、それらから服を作る方法、鹿の骨から針を作り、或いは草を縒って糸を編む方法。土器を作るのに都合の良い土の見極め方から、炭の作り方。痛みにくい乾し肉の作り方、食べられる野草の簡単な見極め方まで。そして。


「海神様は、私も見たのは遙か昔の事でございます」

 そう言って、若葉は語る。遙か昔に見たという、その神の話を。

「かつては、我らは木を組み、舟を作って魚を捕る生活をしておりました。しかし、あるときから海神様が荒ぶり、沖に出た舟を襲うようになりました。その姿は、仄かに光る大蛇の様でありました。海神様は山と見紛うばかりに大きく、里の者の矢や銛を弾く程に硬く、尾の一振りで津波を起こすほどに力ある神でございます」

 そこまで語り、一度、口を噤む。僅かに唇を噛み締め、強く瞼を閉じた。硬く閉ざされた唇が微かに揺れて、次の言葉を放ち始めた。

「海神様が御顕れになり、直ぐに我らは沖での漁を諦めました。しかし、浜辺なら、浅瀬なら、と密かに魚を捕る者もおりました。私たちも、あの大神様が岸にまで来られるとは思ってはおりませんでした。しかし、その事をお怒りになった海神様は、天に届かんほどの津波を引き起こし、我らの里は一瞬にして流されてしまったのです。以来、我らは里を山辺に移し、海に出ること無く、山のモノを狩りて生きているのです」

 それを見たときの恐怖を思い出したのだろうか、若葉は体は震えていた。指先が真っ白になるほどに、力いっぱい拳を握る。

「………済まないことをした。辛いことを語らせてしまった」

 私はそう詫びる。しかし。

「済まない。もう一つだけ教えてくれないか。海神が里を襲ったのはどれ程前のことだ?」

 若葉が震える声で答える。

「私が今の春陽と同じ、ほんの童であった頃にございます」

 ありがとう、と礼を言って、言葉に詰まる。若葉の幼い頃に顕れたという海神。里を襲う津波。しかし、私の想像が正しければ、里を襲った津波は海神によるものではないのでは無いだろうか。

 若葉を見る。未だに恐怖に震える老女に、それ以上を聞くことは憚られた。話題を変える。


「ところで、里の者に私はどのように思われているのだろうか?今後も若葉に会いに来たいと考えているのだが、この姿で里を歩くと大事になるだろうか?」

 明るい調子で問い掛ける。若葉はこちらの意を汲んでくれた。全身から力を抜いて、僅かに冗談めかして答える。

「先の祭りで、トラ様のお姿は知られてしまいました。もしお越しになりましたら、里から皆は逃げ出して、大わらわになりましょう」

 やはりそうか、と笑う。否や笑うフリである。猫は声を出しては笑わない。しかし、鈍い人にも分かるようにするには、そうするしか無い。

「では、これではどうだろうか?」

 全身に薄く、しかし密度の高い魔力膜を纏う。その外形は。

 若葉が驚きに目を見張る。

「何という神力でしょうか。トラ様。灰色の子狼にしか見えませぬ」

 灰色。なるほど、夜陰のせいで曇って見えるのであろう。もしくは、若葉も年である。目玉が曇って来ていても仕方が無い。聞き流すこととする。魔力膜を解く。

「分かった。では今度からは狼の姿で邪魔しよう。済まないが、若葉の娘夫婦には、それを伝えておいてくれないだろうか?」

「分かりました。あれには新しく子狼を餌付けし始めたと言っておきます」

 餌付け。まぁ、それでよいか。何となくショックではあるが、この辺りを彷徨いていても、疑問に思われない理由があれば、何でも良いのだ。

「最後に、これはもし出来れば、で良いのだが」

 唾を呑み込む。自分の喉笛が戦慄くのを感じる。緊張している。柄にも無く。

「………春陽の親に、春陽は元気にしていると、伝えてくれないだろうか?」

 若葉は穏やかに微笑んだ。しかし、何も言わなかった。

 その微笑みが、喜びを表すものではなく、哀しみを隠すためのものだと悟った。それは言えないのだと、言外に、そう言っている。それが分かってしまった。

「そうだ、土産を渡すのを忘れていたな」

 先ほどのやり取りが無かったかのように、私は言い繕う。少し待っていろ、と言い残して、里の外に置いてきた山鳥を持ち帰る。それを若葉の前に置く。

「今日はありがとう。若葉が色々と教えてくれて助かった。次にいつ来るかも分からんが、また世話になる」

 若葉は屈んで山鳥を手に取る。小さく、トラ様は約束を果たしてくれましたね、と呟く。夜闇の中でも分かる、安堵した表情が、私は嬉しかった。


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