34.電波猫と春陽と鹿
春陽に繋いだ魔力糸が震えた。起きた様だと、当たりを付ける。
丁度、組み敷いていた熊の首を魔力爪で切り裂き、絶命させる。その正中の魔晶石を取り込むと、他の獲物と纏めて背中に載せる。
魔力膜で鎧った四肢を撓めて跳ぶ、跳ぶ。
玄関前に獲物を置いて、春陽の様子を見に行く。
夕陽に照らされて茜色に染まる縁側で、春陽はぐずぐずと泣いていた。
「春陽、どうかしたのか?」
春陽の傍らに座り、その顔を覗き込む。急いで来たつもりだったが、遅かったのであろうか。ずいぶんと泣いたようで、目元が赤く腫れている。鼻を啜り上げている。
「お家に帰りたい。お母さんに会いたい」
ヒックヒックと引きつけるように搾り出されたのは、家族の不在を嘆く言葉。この様な事態を想像していなかった訳ではない。アイツと、幾度となく話した。その時にどのように説明するのか、或いは請われるままに里に帰すのか。それを思い出しながら、私は話す。
「春陽は祭りの事を覚えているか?」
春陽の顔から視線を外す。庭とは到底呼べない倒木が散在した空き地を眺める。
「………良く分かんない。石室に着いて、石を飲んだ後がぼやー、としてる」
話始めた事で少しは落ち着いたのか、泣き声交じりながらも、そう答える。
アイツも、そして私もそうだ。荒ぶる魔力の前に意識とは斯くも脆弱である。
「春陽は、祭りの時に頑張ったのだ。だから、しばらくはお休みを取って良いことになった。毎日お腹いっぱい食べて良いし、好きなだけ寝ていても良い。私はその手伝いをしているのだ」
春陽はキョトンとしている。言われた事を噛み締めるように、口の中で反芻している。
これは嘘であろうか。私はそうは思わなかった。村の民に食料を齎したことは、間違いない。その後に誉れを得ることはあっても、殺されるなど道理が合わぬ。そう思った者が、少なくとも一人と一匹はいた。だから私が春陽を助けるのだ。
これはきっと嘘では無い。私はそう思った。
「………お母さんとお父さんは?」
どこか遠慮がちに、春陽はそう聞く。その裏に、訝しむような、或いは怯えるような色を見た。この子は、私たちが思っているよりも遙かに賢い。誤魔化しが通じると思ったことが、浅はかであったかも知れないと、思い直す。しかし。
「春陽は父と母がいなくては寂しいか?」
質問に質問で返す。私の中に明瞭な答えが無いことを、彼女は悟っただろうか。
「………お母さんもお父さんも、いつもお腹を鳴らしていて。でも私はルイオディウだからって自分の分もご飯をくれた。いまもそうなのかなぁ。お母さんとお父さんにも、ご飯を持っていってあげたい」
そこまで言って、顔を俯かせる。私から視線を外して、庭先のどこかを見つめている。そして、ポツリと呟くように問い掛ける。
「トラはどうして私のことをハルヒと呼ぶの?」
「その前に聞いておきたい。春陽の村にルイオディウは何人いた?」
春陽は指を折って数え始める。その様を見て、私は確信する。春陽は幼い。私の想定よりも、かなり。
「たぶん5人くらいじゃないかな」
ふむ、思ったよりも少ない。春陽を入れて6人程度ということは、3年先までの準備をしているということか。名を奪われ、元の名を忘れると言うことは、選ばれるのは遅くとも3-4才頃では無いだろうか。そうすると、春陽は6-7才くらいか。
「春陽は、同じ名前の人が5人もいて」
そこまで口に出してから、切り口を変えることにする。あまり直裁に過ぎる事を言えば、後々になって後悔しそうである。
「私も良く分からないが、ルイオディウというのは、例えば母であったり、兄であったりといった関係性を表す名前なのだと思う」
春陽は首を傾げている。理解が及ばないのだろう。それでいい。
「つまり、祭りの時に役割を果たす人をルイオディウと言っているだけで、その人の元々の名前は他にあるのだ」
まだ考えている春陽に、春陽の母は「お母さん」以外の名前で呼ばれる事もあるだろう?と問い掛ける。
春陽は得心がいった様で。
「お母さんはね。春菜っていうの!」
と、嬉しそうに教えてくれた。
その様を目を細めて見守る。
名を奪われるとは、この様な事なのだ。ただ一つの部品として扱われ、全体の為にのみ機能する。他者が当たり前に持っている物を、自分が持っていないことに疑問を抱かない。自己の認識という考え自体が希薄なのだろう。それに気付かずに笑っている春陽が不憫とも、幸福とも見えた。
「つまり、祭りの時にルイオディウとして頑張った春陽は、ルイオディウを勤め上げた。今はルイオディウになる前の名前に戻っていいのだ」
「私はもともとハルヒって名前なの?トラはどうしてそんなことを知っているの?」
春陽の質問攻めが始まった。それらの問いに答えるには、春陽の兄の話をせねばならぬ。長い話になるだろう。だから、私はそれを先延ばす。
「そうだな、それは長い話になるから、先ずはご飯を食べよう。春陽は鹿と熊ならどちらが食べたい?」
ご飯と聞いた春陽は大きく手を開いて跳ねた。そして、大きな声で答える。
「鹿!」
伸ばした魔力爪で鹿を解体して夕飯の準備をする。他の獲物も纏めて処理しては、肉として干したり、皮として加工していく。その間、春陽とずっと話していた。ここに着いてからのアイツとの出来事を、春陽の両親のことを、色んな事を話した。
日が暮れて、真っ暗になった部屋の中で、アイツが残してくれた毛皮に包まって二人で寝た。
長い一日がようやく終わった。




