表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
電波猫のお仕事  作者: おばば
石器時代編
23/122

23.電波猫と朝

 どれ程そうしていたのか。いつの間にか辺りには朝靄が立ちこめていた。星々は既に白み始めた空の向こうに微かに光るのみだ。

 狩りを始めた野鳥達が甲高い嬌声を残して飛び立っていく。

 山の尾根から立ち上がる陽光が、朝靄に光柱を差し込み、その中で揺れる水の粒子がゆらゆらと伸び上がっていく。

 柔らかな朝日の中で、広葉樹に残った色褪せた葉が照らされて、白く靄つく視界の中で尚鮮やかだった。

 

 期せずして、涙が流れていた。

 情動に突き動かされたとき、人はこの様に泣くのだという。

 初めての経験だった。

 己の正中、魔晶石から溢れんばかりの哀切が込み上げてくる。

 人由来の魔晶石を取り込んだ事が、私を変えてしまったのだろうか。

 その音無き泣き声が止まるまで、涙を流す自分の頭を前足で撫でてやりながら、昇る朝日をずっと見ていた。


 疎林に建つ小屋から細く煙がたなびいていた。戸口で立ち止まり、声を掛けようかと思った所で、娘がまだ寝ていることが分かった。

 起こさぬようと、静かに小屋に入り込み、ルイオディウの姿を見付ける。小屋の中央で湯を沸かしながら、昨晩と同じ様に砕いた骨を煮ている。私に気付いた彼に小声で挨拶してから、娘の傍に立つ。


 昨日までより遙かに精度の上がった魔力探査。それを通して見た娘の体の中では、体内に僅かに残る魔力が血流を介して循環し、その正中で渦巻く様が見て取れた。娘の体に残るカロリーから絞り出すように魔力が抜き取られる。

 魔力とは、如のように血肉と混じる。

 その流れをつぶさに観察する。脳裏でその収支を計算する。

 足りない。

 新たな魔晶石を創造しようと荒ぶる魔力が、娘の痩せた体を蝕む方が、ルイオディウの与える食事で賄う熱量よりも尚多い。

 しかし、その魔力の一切を一度に抜き去ってしまえば、その時点で娘の命は尽きるだろう。熱量に擬態した魔力の補助なしには、既に生きられぬほどに、その身は疲弊している。


 探査を電磁気に切り換える。消化器系を中心に、精密に調べていく。

 悲惨とも言うべき状況だった。

 これでは、物を食ったところで、体内に吸収することすら侭ならない。


 娘の正中に細く伸ばした魔力爪を差し込む。見掛けに反して荒れ狂う体内の魔力の制御を一時的に奪い取る。私の魔晶石を介して、魔力を流し込み、娘の体内に新たな魔晶石を形成する。そこからさらにバイパスして、弱った消化器系を中心に体内を魔力膜で補強していく。

 暴走状態だった魔力がゆっくりと落ち着きを取り戻していく。血肉に染まった魔力から赤味が薄れて、私のものに近い、薄紫の魔力が循環する。一時的に混じり合った私の魔力と娘の魔力が再会を喜ぶように微かに揺れた。


 娘の呼吸が、浅く速い喘鳴から、ゆっくりと深いものに変わっていく。体から強張りが解けて、体が毛皮の下敷きの中にゆっくりと埋まっていく。


「………いま、何をした?」


 背後からルイオディウに問い掛けられる。その手には、湯気の上がる器が持たれている。


「娘の魔力の流れを調整した。これで、少しはマシになるはずだ」 


 魔力、魔力、と小声で繰り返してから、それはあの紫色の力のことか、と彼は私に問う。


「そうだ、アレのことを私は魔力と呼んでいる」


 それにそうだ、もう一つ言っておかなくては。


「皆がルイオディウと呼ぶ石のことだけども、あれは魔力の結晶のようなものだ。私はアレを魔晶石と呼ぼうと思う。ルイオディウと呼ばれる人は、体の中に魔晶石を持っている者のことだと思う。それが産まれながらにそうなのか、或いは何か別の要因があるのかは分からんが」


 ルイオディウはそれを聞いて、娘の傍に座り込んだ。固く握った拳から血の気が失せて、白っぽくなっている。

 食いしばった歯の間から絞り出すように、彼は話し始めた。


「その、魔晶石とやらのせいで、俺達は贄とされたということか。生き延びたとしても、饑餓に突き動かされる狂った獣に成り果てて、村にも戻れずにいるのは、全てその魔力とやらのせいなのか?」


 その声は怒りと、哀切と、郷愁と、様々な感情が混淆した複雑な色をしていた。そしてそれはどこか、我が身の魔晶石が星々に抱く情動にも似ていた。

 ルイオディウの問い掛けに、私はしばらく答えられない。そうだ、とも言えるし、そうでは無い、とも言える。魔晶石を持つ者が新たな魔晶石を取り込めば、肥大した魔力に思考を占有され、ただ更なる魔力を求める獣に成り果てることを私は知っている。アレが彼等のいう狂った獣、とやらだろうと推測はできる。

 だが、彼が魔晶石を飲んだ時、体内に魔晶石を持っていたのか、魔晶石を持たぬ者がそれを取り込んだ時どうなるのか、私は知らなかった。

 それに加えて。


「………いま、この娘の体は既に死体と変わらぬ状態だ。余りの飢えに体は疲れ切っていて、物を食べることも出来なければ、心の臓を動かすことも出来ぬ。今この時、娘の命が辛うじて繋がっているのは、娘に宿る魔力もまた、娘を生かそうと懸命だからなんだ」


 魔力への憎悪を立ち上らせる彼の姿は、昨日までの自分を見るようだった。己の意思を奪い、或いはその生を大きく狂わせる異質な何か。それを憎むことを誰が咎められるというのか。

 その片方で、魔晶石から受け取った哀切を思い出す。彼等とて彼等の生を全うしようとしているだけだと、今の私は知っている。私の中で、或いは娘の中で循環する魔力は、宿主を過酷な環境で生き長らえさせ、或いは適応することで、彼等の同胞を収集しようとする。その意思の一つ一つは希薄であろうとも、同胞を追い求める彼等を悪と断じる事もまた、私には出来なかった。


 立ち上がる。娘の傍を離れて戸口に向かう。幾ら魔力で補強しようとも、その体を己の力だけで維持出来なければ、完治とは言えないだろう。そのためには、今の娘にも食べられる、何かを探さなければ。


 娘の傍で項垂れるルイオディウを見遣る。食いしばった歯から、強張った体から、彼の中に渦巻く激情が読み取れる。

 何か、掛けられる言葉は無いだろうか。

 足を止めて、しばらく立ち尽くした。

 踵を返して、彼に近づく。

 薄く泥にまみれた、彼の腕に顔を寄せて、舐め上げる。傷付いたときは我らはこうするのだと、言い訳をするように囁いて、彼が落ち着くまで、子猫にそうしてやるようにずっとそうしていた。

 その腕は、涙の味がした。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ