21.電波猫と静かな夜
薪の爆ぜる音がする。
黴臭い土間の中に敷かれた、まだ褪せていない毛皮に、半ばまで埋もれるように娘が寝かされている。部屋の中央、若葉の家と同じように拵えられた囲炉裏には、湯を張った土器が火に掛けられている。
その水面に泡が浮くのを確認すると、ルイオディウは粗く砕いた獣の骨を入れた。湯の中に沈む骨が、パリャリと音を立て、跳ねた飛沫が灰に落ちては乾いていった。
静かな夜だった。
散らされた野鳥の類は今宵の塒を他所に求めたのか、夜の帳の中は生き物の息遣いが感じられない。ただ、浅く動く娘の胸とそれに応じて微かに伝わる喘鳴が、僅かに響くのみだ。
どれ程そうしていたのか、何時しか湯の上辺に薄く脂が浮いてくる。それは見る間に大きくなる。やがて、骨の髄が総て溶けきった頃、ルイオディウは土器を火から下ろした。まだ湯気の立ち上るそれから、箸を使って色の抜けた骨を取り出していく。
炎に照らされて、白濁した汁に黄金色の脂が浮くのが見えた。それを木片、いや、造りの粗い匙と呼ぶべきか、とにかくルイオディウは汁を掬って娘の口元に運ぶ。微かに開いた唇に、汁を流し込むが、嚥下することも難しいのか、その大半は頬を伝って流れ落ちていく。
何度か繰り返していたが、埒があかないと思ったか、ルイオディウは汁を自分の口に含み、娘の唇に合わせると、口移しで飲ませ始めた。娘の喉が確かに動き、微かにゴクリと音がした。そうして、器に充ちていた汁が半ばほどまで減ると、娘は僅かに首を横に振り、それ以上は飲み込まなくなった。青ざめていた娘の頬に、僅かに赤味が戻った様に見えたのは、あるいは冷え切っていた体に熱が戻ったからだろうか。
ルイオディウは残っていた汁を自分で飲み干すと、いつの間に用意していたのか、囲炉裏の隅で炙られていた干し肉を齧り始める。しばらく、彼の肉を咀嚼する音のみが、狭い小屋の中に充ちた。
それらを、ただ見ていた。
頭の中に水銀が詰まった様な心地がした。重く、だか確かに循環する。その流れが様々な疑問を、深い所から表層に運んでくる。それは言語化すれば、この娘が助かるのだろうか、だとか、ルイオディウも贄とされたのだろうか、その時はどうやって助かったのだ、などとなるだろう。あるいは、私達が去った後、祭りがどうなったのか、若葉は無事だろうか、そんな形をしているかも知れない。だが、それよりももっと根源的な疑問がどろりと、脳髄を侵すのだ。
彼等は本当に私の知る人なのだろうか。
焚き火の向こう、薄闇に浮かぶルイオディウの姿を見遣る。初めて出会った時よりも肉がついた。それでも尚、瘦軀と呼んで差し支えない、締まった体。夜闇の中に溶け込むような黒い髪と、同じ色の瞳。その姿は私の知る人と何ら差異がない。だが。
娘が石室に入る様を見ていた人々が脳裏に浮かぶ。滴る様な獣欲を瞳に漲らせた彼の人達が。
傍らで石を投げつける巌の様な彼の人を思い出す。自らもその血族を亡くした彼女が、やはり熱に浮かされたように命を劫掠する歓びに身を浸していた。
墓前に花を手向けに向かう、母の姿を思い出す。あの姿こそが、私の知る人の姿。
彼等は本当に同じ人なのだろうか。
或いは。
「里で祭りを見たのだな」
思案に耽っていた私の意識が呼び起こされた。未だ肉片を口に食みながら、ルイオディウが問い掛ける。その問いに頷きを返す。
「………ルイオディウとは、あの石室で獣を呼ぶ贄とその為に使う石の名前だと聞いた。贄となった者は、祭りの後に必ず死ぬ、とも。私は分からない。お前が何故そんな名前を名乗ったのか」
ルイオディウは食んでいた肉片を一際強く噛み締めると、掴んでいた手をグイと引いて、咬み裂いた。その一片を口いっぱいに頬張りながら、モゴモゴと答える。
「別に他意はない。俺は何代か前にルイオディウとして選ばれた。石室で石も飲んだし、父親に首も切られそうになったさ。だが、もう死んだと思って意識が遠くなった後に、気が付いたらここの近くに倒れていて、しかも生きていた」
口の中の肉を飲み込み、傍らから水差しを手に取る。その縁に直接口を付けて、一口、二口。口の端に滴る水滴を手の甲で荒く拭ってから、彼はまた口を開いた。
「ルイオディウに選ばれた者はそれまでの名前を禁じられる。俺や恐らくその娘も、それまで名前など覚えてもいない。だから、俺が名乗れるとすれば、ルイオディウしかないということだ」
もう寝る、と言わんばかりに毛皮の山の中に潜り込む。そんな彼の姿に気負った雰囲気は感じられない。娘を運び込んだ時こそ、緊張が感じられたものの、それ以降は淡々としている。日々の生活の延長にあるような、そんな触れ方が私の奥に蟠る何かを少し溶かした様に思われた。
「………お前が最初に名乗ったとき。なにか、もう一つの名を言っていただろう。あれは何だったのか」
毛皮の中に潜り込んだ彼が、身動ぎする。
「ワディエツヤ ドゥイグ、狂った獣という意味だ。ルイオディウとなり、生き残ったものは際限なく獣を追う様になり、また同じ様に狂った獣を呼ぶ様になる。だから、仮に生き残ったとしてもルイオディウは明晩殺されるのだ」
もう寝るから、お前も休め。そう言い残して彼はこちらに背を向けた。
焚いていた薪は殆どが燃え落ちて、暗闇に僅かに熾火が灯っていた。




