20.電波猫とルイオディウ
業火が身を灼く。
破れた血管が、灼かれた神経が、裂けた筋繊維が、総てがその存在を主張する。
爛れた水晶体が映し出すのは白濁した視界。破れた鼓膜が伝えるは、果てなき波濤。総ての感覚器官が、振り切れたノイズのみを返してくる。
ただ痛覚のみが己の生を実感させる。
何という苦痛。
何という生の実感か。
そして私/俺は受肉する。
拍動する心臓から血が溢れ出す。損傷箇所を見付ける度に魔力膜が、それらを覆い隠す。
信号が途絶する度に、その原型を模した仮初めの神経を、筋繊維を、臓器を、魔力膜が創造する。
脳髄に至るまで、ソレが及んだとき、懐かしいアラートが拡張された視界を埋め尽くす。
その総てを魔晶石を経由して、復旧する。
俺ならばソレが出来る。
色を取り戻す視界。制御仕切れぬ魔力の残滓が周囲を紫に染める。
傍らに若葉の姿を認める。
驚きと恐怖に充ちている。
その瞳に映る、私の姿。
幾重に重ねられた魔力膜。
獅子にも似た、その異様。
人の首など一振りで落とせるその爪牙を、私は認める。
「あの者はどうなるのだ?」
途切れた問いを私は継ぐ。
若葉が居住まいを糺す。
否や、その四肢は恐怖に塗れて、硬直する。
遠く川底で獣の皮を剥ぐ人の群れ。
石室に駆け寄る男。
その岩肌には無数の爪痕。
その隙間から倒れ込む娘の姿。
回答を待つ必要すら無い。
娘の正中にある魔晶石。
血肉を喰らって赤く光るそれが、輝きを失っていく。
それが俺からはよく見える。
頭垂れて、若葉が答える。
「あの者は、長くは生きられませぬ。数日の間、苦しみ、やがて弱りて死に至ります。故にその親が介錯するのが習わしでございます」
「承知した。では棄てられた命、私が貰い受ける」
拡張された声帯から、怒号の如き雷声。
水音を裂いて、総ての人がこちらに気づく。
投石。
紫色の壁がソレを阻む。
尾を想念。幾重を別れたその一本が、石を振りかぶる彼の人の足を掬いあげる。
流れる上体を、別の一本で受け止めて、地に寝かす。
分かたれた尾が、中空に蜷局を巻く。
地に充ちた獣の遺体、その正中に向けて一斉に動く。
寸分の狂い無く、数多の魔晶石を取り込む。
流れ込む呪詛と饑餓。
知っている。
魔力とは、そういうモノだと俺は理解している。
跳ぶ。
石室まで一息に。
娘の首に石剣を押し当てる男を、柔らかく押し倒す。
娘を口に咥える。
娘の正中に、針を模した魔力膜を打ち込む。
私に流れ込む魔力、そして拡散する魔力が赤紫の鬼火となって、霧散する。
「次の祭りは何時か?」
既に声は肉体ではなく、膨張する魔力膜のどこかから、発せられる。
籠もった低音が、川底の砂を微動させる。
恐怖に戦く人々からの返答は鈍い。
高く、堤防の上に立つ若葉が声を張り上げる。
「トラ様、次は秋の終わり、獣の最も肥えた頃にございます」
「承知した。ではその時には私が、ルイオディウの役目を負う」
そう、私は宣言する。
一拍。
「これは約定だ。豊猟を約束しよう。しかし、また人の子を贄とせんとするならば、私はソレを全力で阻止しよう」
言いたい事は総て告げた。
「約定が果たされる事を私は祈っているぞ」
一時の猶予もない。
咥えた娘の体から、急速に熱が失われていく。
知っている。私/俺はこれを知っている。
何故知っているか、私には分からない。
逃げ込むように向かった先は、人里から隠れ住む、もう一人のルイオディウの塒だった。
陽は遠く水平線の向こうに消えかけている。口元に咥えた娘の命が、その光のある内はこの世に留まってくれているように感じる。残雪と半ばまで腐った落ち葉を蹴散らしながら、疎らに茂る林の中の小屋を目指す。
夕日の中で見付けたその小屋は、つい一昨日まで足繁く通っていたにも関わらず、懐かしさすら感じられた。
「ルイオディウ!トラだ、入れてくれ!」
魔力探査により、家主が小屋の中にいることは知れている。入口で立ち止まり、声を張り上げる。余りの声量に木々に留まっていた鳥達が驚きと共に飛び去っていく。
焦れる様な間を開けて、ルイオディウは間口に現れる。
魔力膜で膨張した私の姿に、その体躯が硬直する。それを認めて、私は自分の迂闊さを呪った。せめて、娘を預けるまでは彼の知ったる姿でいるべきであったか。否や、それを問答する時間は無いのだ。
「ルイオディウ、この娘は今代のルイオディウだ。今、この娘は死に向かっている。助けてくれ」
必要なことを総て詰め込んだ。
一瞬。だが永遠に感じられる程の間。
硬く唾を呑み込む姿が痛々しく見えた。
残照に照らされて、皺の刻まれた頬が僅かに蠢く。
「入れ、話は後で聞く」
強張った表情で、ルイオディウはそう言った。




