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電波猫のお仕事  作者: おばば
鉄器時代編
125/125

125.神獣と夜

 現世で苦労しろ、と紫月は言った。

 苦労、苦労か。はて、どうしたら良いものか。

 そんな事を考えながら里の中心に向かって歩いて行く。春の空は微かに霞み。まだ柔らかい陽光が耕される前の田園を照らしている。僅かに残った残雪に足跡を残しながら、子らが凧揚げに興じている。キャーキャーと、嬌声がそこかしこで聞こえてきて、それなりに姦しい。それでも、春の陽気に誘われた鳥たちは、田園のそこかしこに降り立ちて、土中の虫を食べているようだ。時折、子らが近づくと、慣れた様子で羽ばたいては、やはり近場で餌を探している。

 この田畑を拓いてから、既に20年近くになる。獣の数も少なくなり、鳥たちも人慣れしてきている。何処までも長閑な道のりを、ゆっくりと時間をかけて歩いて行く。点々と佇む家々、その一戸一戸に人々の生活の息吹を感じる。

 幸せだな、と、ふとそう思った。

 もはやここの者たちが浮民であったことなど、誰も意識していないだろう。既に世代も変わっているかも知れない。それ位には時が経った。講への返済も終わった頃なのだろう。幾つかの家には、増築や改築の跡が見て取れる。そうして人は土地に慣れていく。それらが目に見える。いまは枯れた田畑だが、毎年の収量を見ていれば、それらは実に豊かに育っている。この里の中心部ほどの活気は無いが、それでも確かに人は息づき、またこの国の食糧事情を支える確かな地盤である。

 そう言えば、と思い出す。里では毎年、この里にとって大きな貢献をした者を表彰している。元は弥源の提案であって、私は殆ど関与していない。それでも、それらの表彰者の多くが農民であることは知っている。国を支える基盤は食であるとの理念が伝わってきて、好ましく思っているが、それを伝えた事は無い。

 なるほど。これは好機かも知れない。今まではおざなりにしていた所感を伝えるのは、今のような暇なときが良いかも知れない。私はそう思い立って、郷庁に足を向ける。

 とりあえずの目的地を定めて、それでも急ぐ事無く歩を進める。田園が途切れ、周囲の景色が変わる。電車の停車駅近くに、長屋の類や食料品店が並び、その周囲を囲むように農村が広がる。その輪が徐々に狭くなり、やがて商店が建ち並び始める。その様な様を、必ずしも企図した訳では無い。私が20年ほど前に目覚めた時はこの辺りは里山だったはずだ。それでも、何時しか山は拓かれ、農地となり、今では人の営みそのものの容れものとなっている。

 ある意味では都市計画の破綻とも言えるかも知れない。いつの日か、弥源と組み立てた都市の様相とは、何処か異なる。しかし、その根底に流れるのは同じ思想である。思い浮かべるのは兄弟の様な有様だ。似ている、しかし確かに異なる。それを見る今の心地を形容する言葉を、私は知らない。強いて言えば郷愁だろうか。何時かみた夢の名残を、現実に投影するような、そんな心地がした。

 垣間見える里の変化を追いながら、政庁に登る。すれ違う里人の多くは私を気にも留めない。狸か狢か。意外にも町を往来する獣は多い。その中に紛れてしまえば、私の姿を気に留めるの者は限られる。稀に、酔漢などが戯れに手を伸ばし、酒の肴ににされかける程度である。

 朝と呼ぶには遅く、昼と呼ぶには早い時分。政庁に近付けば衛兵が音も無く扉を開く。会釈を返してから受付に赴き、弥源に用があると告げる。

「急ぎの用事では無いので、アイツの仕事が落ち着く時間を教えてくれないだろうか?遅くとも構わないから」

 そう言えば、最近は仕事も落ち着いていて、夕飯の時間には空いているという。では、その時分にまた訪れると告げて、その場を辞した。

 政庁の中を見渡せば、様々な人が往来する。転居してきた者たち、或いは郷から出て、他の地で身を立てると決めた者たち。見るからに豊かそうな身なりの者は、或いは成功した商家の子供だろうか、付き人と共に転居の申請をしている。その傍に、浮民と見間違うばかりの者が保護を求めて、職員と話している。

 それらの様子を、離れた場所から見守っていたら、いつの間にか日が傾いていた。昼間には人で溢れんばかりだった広間は人影も疎らになり、帰り支度を済ませた職員達がチラホラと帰って行く。残っている者は、恐らくは替えの効かない役職なのだろう。位の高い衣を身に付けた者たちばかりだ。

 そんな者たちですら、太陽が海に沈む頃にはいなくなる。衛兵に聞けば、そろそろ弥源も帰る頃だという。夜警の担当に交代する間際に教えてくれた。礼を告げて、政庁の外で待つ。陽光が細くなり、夜が忍び寄る。飯場の軒先の行燈に火が入れられ、色とりどりの提灯が夜闇を押し退ける。遠く酔客の話し声が届き始める。

 本当に豊かになった。

 もはや夜闇は恐れるモノですら無い。それはその日の仕事の終わりを示す指標であり、飯や酒を親しい者と交わす合図であり、また来る明日への安息の時間だ。夜警の者や飯場の主人達にとっては稼ぎ時とも言える。

「お待たせしました、トラ様」

 夜景に見入っていれば、後ろから声を掛けられた。

 見れば、既に壮年の域に足を掛けた男が立っている。相変わらずの痩躯。顔には消えない皺が幾筋も刻まれているが、悲愴な様子は無い。若い頃の紅顔は姿を消して、どこか樹木を思わせる厳かさすら漂わせていた。

「いや、久々に里を眺めていたらあっという間だったよ。大して待ってなどいないさ」

 向き直る。斑な夜の向こうに見える姿。烏よりも暗く黒い髪には白いモノが交じり、心なしか肥えた。それでもその瞳の黒はかつての儘だ。

 私の視線に何を感じ取ったのか、視線を外して里に向ける。

 幾許か、漣の様な喧噪の中に、二人だけの静けさの幕が降りる。

「豊かになったな」

 衒い無く、そう言った。

 そうですな。と、弥源は返した。その言葉は私のそれより遙かに重い。そんな風に思ったのは、ここまでの歳月の重みが、私と弥源で異なるからなのだろうか。

 頭を振ってそんな感傷を振り払う。

 ココはまだ道半ばだ。帰路につく弥源とゆっくりと歩きながら、これからの里のことを話し合う。いよいよ活気付いた街は五月蝿く。それでいて、とても静かな夜だった。

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