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電波猫のお仕事  作者: おばば
鉄器時代編
112/128

112.神獣は悩み、研究者は泣く

 研究というモノを語る上で、避けて通れないモノが査読である。研究者は観測記録やら実験データやらを駆使して、持論を展開する。大凡の場合に於いて、本人からすれば証明が成立したと確信した場合に、それらを論文として提出する。トラの学び舎に於いてもそれは同じである。

 然して、岡目八目という言葉があるように、研究者本人は自信を持って執筆した論文であろうと、他者から見れば穴だらけ、と言うことも往々にして起こりうる。そんなことを防ぐ為の仕組みが、査読、即ち他の研究者からの確認作業である。内容は様々だが、単なる不備の指摘、質疑応答から、論旨の根幹に関わる論理的矛盾の指摘まで様々である。そんな査読であるが、実際にはどんなことなのか、といえば自信満々で出した論文の原稿が、赤ペンでこれでもか、とボコボコにされて返ってくる。それを涙を流しながら修正する。そんな作業を査読対応という。とは言え、査読対応まで漕ぎ着けられれば良い方で、論文として公表する価値なしと判断されれば、棄却されることもある。


 さて、ここに春陽という研究者がいる。

 国中の者を抑えて、初の専従研究者となった碩学であり、人々の彼女に向ける尊敬の念は察するに余りある。そんな彼女は宛がわれた部屋の中、机に突っ伏して涙していた。

「………もうやだぁ………………」

 ずいぶんそうしていたのか。顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃである。組んだ腕の上に載せていた額には赤い斑の様に痕が付いている。

 机の上にはこれまでに作成した論文が積み上げられている。それらの一編一編が、春陽にとっては血を吐くような思いをして書き上げた珠玉の一品であった。院の中にある、提出箱の中にそれらを入れたときの高揚感も冷めやらぬ今朝、返却されてきた論文には悉くとして論理的矛盾を指摘する言葉が、これでもかと言うほど付されて返ってきた。前向きに、ではここはこう修正しよう、ここは少し説明が足りていなかったと、そう受け止められたのは最初の内だけである。遂にはそのコメントの辛辣さに心が折れた。

 それからずっと、机に突っ伏しては泣いていた。

 そんな春陽の様子を、伸ばした魔力糸越しに、私は盗み見ているのだった。


「………………ぁ、トラさま。トラ様!」

 目の前の男が至近から私の顔を覗いている。

 春陽に逸れていた意識が、脳髄に戻ってくる。

「………あ、うん。聞こえている。えっと、何だったかな?」

 私の言葉に、男は安堵したような呆れたような様子である。溜め息を隠すこと無く、その頭をガリガリと搔く。

「隣の郷に通す道の話ですよ。あっちとこっちの山の間を縫っていけば良いのでしたよね?」

 うん、と反射的に答えそうになってから、会話のログを確認。幾つか指示を出さねば。

「基本的にはそれで良い。ただ、北の山は薪取り用の里山として残す。悪いが何人か杣人を手配してくれ、道の方は私の方で伐採して整地する。刈り取った木々は丸太にして、ここに置いておくので牛車の用意を頼む。あとは石切場から石材の手配だな。最終的な成形はこっちでやるので、兎に角、デカイ石を大量に持ってきてくれ」

 私の言葉に、男は手記を取り出してメモを取る。幾つか細かい点を確認しあってから。

「しっかし、こんな山深い所まで道を通すってのは信じられませんね」

 パタリと手記を懐にしまうと、男はそう溢す。その言葉に少しだけ苦い笑みを浮かべる。

「………ここからは見えないがな。山を二つ三つ越えたところに、大きな盆地があるのだ。そこを次の耕作地にするつもりなのだろう」

 何せ、人の流入は留まることを知らない。食料生産に直結する耕作地の確保は常に必要である。

「今はまだ人と牛車用の道だけだが、その内、電車も通さなくてはならなくなるだろうな」

 私の言葉に男は、額に手を当てて空を仰ぐ。

「まったく、偉い人の考えられる事は壮大すぎて、私のような者には理解しかねます」

 そうかもな、と軽く返す。そろそろ作業を始めようと、促せば、男は馬を駆って里に向かう。恐らくは先ほど言った牛車やら何やらの手配をするのだろう。

 ふぅ、と息をつく。目の前には鬱蒼とした樹海が広がる。そこは未だに原始の姿を留める異界だ。気を抜く訳にもいかない。そう、自分に言い聞かせて、魔力爪を振るった。


 既に日も落ちた頃になって、春陽が帰ってきた。

「お帰り、飯が出来ているぞ」

 何やら疲れた様子で外套を衣紋掛けに掛ける。

 そのまま、囲炉裏の傍に座り込む。

 顔を俯かせたまま、その表情は様として知れない。

 その目の前に、膳を押し出しても、箸を持つ気配も無い。

 暫く、何とも言い難い気詰まりな沈黙が降りる。

「トラだよね?」

 春陽がそう切り出した。その口調に淀みは無い。

「何の話だ?」

 私は素っ恍けた。

 その日は、それ以上の追求は無かった。




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