108.神獣の教え子たち
「さて、今回は実習である。各々、やる事は分かっておるな?」
明け方。暗闇に仄かな暁光が差し込む時分。
私の目の前には緊急した面持ちの皆々。
年齢も性別も様々だ。一目では何の集団なのかは分からないだろう。分かるのは里の者たちだけだ。曰く、トラの学び舎の学生達である。
朝靄の立ち込める山中。佇む我らの背後には堆く積まれた米俵がある。それは私の張る魔力膜によって虫や鳥の類から守られている。それ故に、私からは目視できる強度の魔力糸が伸びているのだが。
我らの財産に目を遣った私を、皆が固唾を飲んで見守っている。強く緊張した人間特有の匂いを嗅ぎ分ける。
「………………そう、緊張するな、と言ってやりたい所だが。難しいであろう、ただ一つだけ言っておく」
皆の顔を見渡す。一人一人の目を見詰める。じっくりと時間を掛けて全員と視線を合わせると、私は言う。
「何があっても責任は私がとる。心配するな。お前達はよく学んできた、自分を信じてくれ。さて、では行こうか」
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昨年は冷夏であった。
その仕返しの様に、今年は酷暑とも言える日が長く続き、里の苗ですら幾らかが駄目になった。里ではそれでも充分な収穫が見込めるが、そこから一歩外に出れば、見えてくるのは地獄の如き様相だった。
二つ年をして不作であった世は、餓死者が後を絶たず、遂には土壁を崩しては稲藁を掘り出して食む有様だ。私の背に負う春陽が、骨の浮いた人々の姿に怯える。トラ、と掠れるように呟いて私の毛の中に顔を埋める。
齢4つを数えて、口達者になってはきたが、怖がりな所はあまり変わらない。或いは、私と四六時中一緒にいるために依存心が強いのか。いや、春陽で無くともこの景色には怯えるしか無かろう。それ程までに、この国は危機に瀕している。
「………………春陽、大丈夫。我らは我らの出来ることをしよう」
そう言って、赤味さす小さな頬を舐め上げる。
近くの町から姿を隠しつつ、樹上に立つ我らは、我らの共連れたちの仕事ぶりを見ることしか出来ない。
それでも、これもきっと無駄では無い。そう信じるしかない。
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………………
………
「………ここにある銅器を全て売ってくれないか?支払いは米で払う」
「米を高値で買い取ってくれると聞いた、相場は幾らか?」
「鉱石が欲しい。支払いは米で…」
皆に繋げた魔力糸が種々の会話を拾ってくる。支払いを米で、そう言った途端に、交渉相手の気配が変わる。ソレをまともに受けた彼等の緊張すらも捉えられる。
臆するな、と言ってやりたい。しかし、それは出来ない。これは彼等の実習でもあるのだから。
それでも、あちこちから弛緩した気配が伝わってくる。それは無事に交渉が済んだ安堵故だ。魔力糸が揺れる。その回数を冷静にカウントしていく。西の町には60俵、東から160俵、南西には。
それらの情報をバックグラウンドに流し込んで計算を重ねていく。各々の魔力糸を引くと、その先に結ばれた鈴がなる。私からの合図。意味は「問題ない」だ。
「………行くぞ春陽。商談が纏まったところからサッサと運んでしまおう」
全身に魔力膜を展開。文字通り山のような米を背負って走り出す。早く早く、と急かす声が聞こえる様だ。それぞれの町の入り口に待機した里人に、即席の荷車と先程合図された量の米を置いて、また直ぐさまに駆け出す。
私の首に腕を巻き付けた春陽が目を回し始める。慣れた春陽でもそうなるほどだ。どれ程の速度が出ているのか、自分でも分からなくなる。
散って行った里人は数百に及ぶ。集合地点から近い町から次々と合図が飛んでくる。それでも、この国を覆うには数ヶ月間を要する。北に南にと、駆け回る日々が過ぎる。野営には慣れている春陽ですら、疲れを見せ始める。
5年分だ。私が飽つ海の北に切り拓き、種を蒔き、日々の世話に明け暮れた田畑。毎年と浮民を受け容れるごとに、私の担当する面積は減っていったが、其れを圧して尚、蓄えた糧食は莫大である。それらを一息に放出していく、私の計算では二千万人程度が一年ほどは保つ量だ。適切な分配すら可能であれば。
適切な分配。其れが最大の問題だった。私一人では間に合わない。様々な町を周り、状態を確認し、ただ施すのでは無く対価を得つつ、この国難を乗り越える。圧倒的なまでの人的資源が必要なのだ。故に。
「………本当に、私の子らは優秀だ………」
すでに夏も終わりつつある日のこと。里から最も遠い南の町に米を運び込んだ後に嘆息する。コレまでの実績は殆ど最適解と呼んでも良い。私の保有していた食料は全てが最適な形で国中に分配された。最後の里人は、米の対価にと渡された大量の資源を牛車に山と積んで里に戻るという。恐らく、里に着く頃には年が明けているだろう。苦労を掛けて済まない、と言えば、これで私の成績は優で宜しいでしょうか、と軽口を返される。
もちろんだとも、そう返す。顔を綻ばせたその顔には飢えた民を、自分が救ったのだという自負心と、それを誇りに思う気高さがまざまざと浮かぶ。
「………トラ、これでみんなお腹を空かせなくて済むのかな?」
里に戻る道中。山野の中で野営をしていた時のことだ。
春陽が不意にそう問うた。
「………難しい問いだな」
私はそこで言葉を切る。春陽の目に、俄に不安げな色が浮かぶ。
「私たちがやったことは、応急手当に過ぎない。適切な食料分配、それ以前に農業の刷新。この様な危機を乗り越えるために、やるべき事は山ほどある」
嘆息する。
そんな私を春陽が不安げな目で見詰めている。その頭を撫でてやりながら、言葉を継ぐ。
「………なに、気に病むことは無い。我らの郷司殿が何とかするだろう」
そう言えば、眉間に皺を寄せて、何とも言い難い表情をする。
フフフ、と思わず人の様に笑う。
街道から離れた山中。使い熟れた野営道具に包まって二人で寝る。澄んだ空には数え切れない程の星の光。それをみながら眠りに落ちる。
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その年の秋のことである。
人伝に聞く所に寄れば、飽つ海の郷司が都に税を納めたという。
絢爛な牛車が並び、祝儀と言わんばかりに街道沿いの町から町に、様々宝物をばら撒きながら進むその一行は、人の目には王よりも尚、煌びやかに見えたそうな。




