106.神獣と愛し子
「里長殿。今回の会合ですが、私から議題を提供しても宜しいですかな?」
朝から大粒の雪の降る日だった。毎年の事なれど、この土地の冬は長く、深い。弥源らが里に戻ったのは夏の終わりとも秋の始まりともつかぬ時期であったが、アレから既に五つ月が過ぎている。雪雲はいよいよ厚く、深々と視界を白く染めていく。
集会所には充分に薪がくべられているものの、それでも寒さを感じるのは、ある種の錯覚なのだろうか。
深く積もった雪が音を吸うのだろうか、常に無く静かだった。弥源の言葉を咀嚼するように訪れた沈黙が、耳に痛い。
どうしてだろうか。こんな日は、どれだけの年月を経ても、幼くして逝ってしまったあの子を思い出す。私の傍ら、多重展開した魔力膜の中で、玩具で遊ぶ春陽を見る。根拠など無く、大丈夫と言い聞かせる。神様ごっこには慣れたと思っていたが、こんな日だけはソレが重く感じる。祈る神が居ないことが、堪らなく寂しく思う。
弥源が今の里の状況を説明していく。淡々とした声が柔らかく耳朶を打つ。果たしてこの場の何人が、彼の物語る現状を理解しているのか。余りにも柔らかい声音は、この場こそが里の未来を決める岐路にあることを気付かせない。
「………先程も述べたように、今回、受け容れた浮民達の中には自活の難しい幼子もおります。彼等を受け容れて、かつ里に馴染ませるためには、共通の知的地盤が必要でしょう。そこで、孤児を住まわせる孤児院、ひいては幼子の教育水準を引き上げるための学院の設立を提案します」
弥源はそう締め括る。
さて、女狐。どう出る。
長い沈黙が降りた。
「………私としては弥源様のご提案は至極、当然と思いますが、異論のある者はおりますか?」
意表を突かれるとはこの事か。思わず、尾の毛が逆立つ。反射的に里長に視線を送れば、そこには私を真っ直ぐに見詰める里長の黒瞳。その奥底は、深く、深く、読み取れぬ。
何なのだ、これは。
思わず背中に怖気が走る。脊柱に氷柱を捻じ込まれたような恐怖を感じる。
会合は続く、それでもその中身が、入ってこない。
薄暗闇の中で、柔らかく微笑む里長からは何も読み取れない。その能面じみた顔を凝視する以外に、何も出来ない。
凍り付いたような私は、然して起こされる。
いつの間にか春陽に巻き付けるように伸ばしていた尻尾が春陽に握られる。ハッと視線を送る。此方を見詰める漆黒の瞳。濡れたように輝く瞳を大きく開いて、私の尻尾の先を食む。その後で、私の顔を見て悪戯げに笑う。
釣られて私も笑う。人のように目を細めて、口角を上げて。猫のように喉をコロコロと鳴らしながら。
「とらー」
春陽が私を呼ぶ。きっと意味は無い。腹が空くには時間が早いし、最近は排泄の時間も決まってきた。私の鼻も、彼女が粗相をしていないことを告げている。
この冬が過ぎて、夏が来れば二歳になる。早いモノだな、と思う。最近ではハイハイと摑まり立ちが出来るようになり、数歩だけなら、支えなく歩くようになった。
愛らしい顔に、額を近付けて話し掛ける。
「どうした?遊びたくなったのか?」
うーん、と首をかしげる素振り。
「そうかも!」
言葉の字面と違い、勢いの良い返事にはすっかり遊びたい気持ちになったと告げている。
そうか、と軽く返して。背に負う。
トコトコと弥源に近付き、今日はこれで暇を請うことにする。
「………もし、建築などで用が有るようなら私の塒を訪ねてくれ。そうで無くとも、今日の話のあらましを聞かせてくれると助かる」
はい、と答える弥源に軽く頭を下げて、集会所を辞す。
戸口を潜る間際、もう一度だけ里長に視線を送る。そこには変わらず微笑む女がいた。
その次の日である。私の塒こと、トラの家を訪れた弥源は挨拶もそこそこに地形図を広げて、これからの事を話したいという。異論は無いが、ちょうど春陽と遊んでいたので、魔力尾を展開する。春陽の相手は尻尾と玩具に任せて、机に躙り寄る。
「御神と練った案は概ね、そのまま受け容れられました」
弥源は直裁に切り出す。その表情が曇っているのは、私と同じ理由だろう。
「………つまり、あの場の誰も未来絵図は描けなかったか………」
私の言葉に弥源は頷きを返す。眉根を寄せて顔を顰めながら、言葉を続ける。
「仕方ありますまい。長く閉じた里では、ここ最近の変化は早すぎる。先を読むまでには至らないのでしょう」
はぁ、と溢した溜め息が重なった。思わず、顔を見合わせて苦笑する。
「………まぁ、妙に目端が利く者がいて、邪魔が入るよりはマシと言うモノです。して、御神には郷府の建築と、今の集会所を病院に改装して頂きたい。加えて里の東端に新たな仮宿、北端に学院と寮、御神の耕作地の東に広がる丘陵地に可能な限り広い牧場と………………」
途中で気が付いた。コヤツ、この冬の間に私を使い倒すつもりであると。熱心に里の改造計画を話す弥源に、農地に越す浮民達の家も作らねばならぬのだろう、と言い添える。そうですな、と軽く返される。と、また立て板に水を流すように話し始める。
集中すると周りが見えなくなる様は、まるで幼子の様でもある。弥源の言葉を簡易催眠に流し込み、次の春までの作業計画に落とし込んでいく。
余った思考領域は、可愛い娘とのお遊びに使うとしよう。
いつも感想など書かないストイックな読者の皆様。たまには作者を甘やかしてくれたら嬉しいです( ´∀`)




