101.神獣は怒る
慌ただしい春が終わる。種蒔きが過ぎ、育苗に入った苗の様子を見る。あと長くても一週間ほどて植え付けである。田の荒起こしは済んでいるし、水位の調整も間に合った。
疲れた。クタクタである。これならば一人でやっていた昨年の方が余程、楽であった。その原因の一人が、私の仮住まいの戸を叩く。
「………御神様、わしらの畑の様子を見て欲しいですが………」
あいわかった。返事はするものの体が動かない。
後から行くので、少し待ってくれ、とひとまずは帰した。
この春から此方に移ってきた元浮民を中心とした里人たちである。一言でいえば熱心なのだ。それは良いことである。しかし、水嵩から種蒔きの時期ならまだしも、荒起こしの加減まで一々と聞かれると、正直、困る。元々、里に住んでいた里人はその辺りを要領よくやっている。場所は変われどもやっていることは同じである。その辺りの違いが如実に出ている。翻って、元々浮民であった者は、初めて持った"自分の"田畑である。気合いは十分であるが、経験は無い。それ故になにか疑問があれば、一々と聞きにくる。私などはそんなモノは適当にやってしまえ、と言うことも最適解を知りたがる。
ほぅ、と息をつく。そろそろ行ってやらねば、と体を起こす。
先ほど訪ねてきた里人のところに向かってノロノロと足を運ぶ。
悪い、とは言えないが、それでも弥源と里長の潔癖ぶりに少し愚痴を溢したくなる。あやつらときたら、浮民たちから、ココまでの交通費から、これまでの滞在費、農具や家の代金、果ては土地の代金までを取り立てようとしている。それ故に浮民たちは焦る。何せ、借金を抱えた身で、慣れない農作業をしなくてはいけない。上手く行かなければ、借金を返せない。そうなれば浮民に逆戻りするかも知れない、そう思っている。
そんなことは無いのである。例え失敗しても、浮民に逆戻りなんて事は無い。そもそも、怠けているようであれば、私がこっそりと世話をするつもりである。だから心配するなと言いたい、がそれは弥源と里長が反対した。曰く、多少追い詰められることも、人の成長には必要である、とのこと。だったら自ら世話をしてやれば良いものを、私の人の良さに付け込んで、やりたい放題である。まったく、溜め息の種が尽きることが無い。大体が、である。取り立てた金銭は私に返還されるという、それでは私の資産が増えるだけではないか。
はぁ、ともう一つ溜め息をつく。
先ほどの里人の畑の様子を見る。予想通りと言うべきか、潔癖な程に整備されている。問題ないと大判を押してやって家に戻る。いつもなら意識すらしない春陽すら重いような気がしてくる。
引き摺る様に塒に戻って、春陽の着替えやら飯やらの支度をする。そろそろ乳離れである。粥も米粒が感じられる程になってきたし、上の前歯が2本ほど生えた。真っ白な可愛い歯である。尾でツンツンと押すと、ブブブと口を尖らせる。喃語の一種なのだろう、唇を震わせる感触が楽しいのかも知れない。
そろそろ日暮れであるし、流石に来客も無かろう。そう思って、家の扉に「もう寝てます」の看板を掲げる。丸まって寝ている猫を描いた看板で、文字も書いてあるが、絵だけでも内容は伝わる。これが出ているときは対応しない、という意思表示である。
………
………………
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「おい!里長!いい加減にしないと私が過労死してしまう!」
夏の盛り。
いい加減、頭に来た私は里長の塒に怒鳴り込んでいた。
一歳になった春陽が、とらーどうしたのー、とのんびりと問い掛ける。それに相づちを打ちながらではあるが、最近の私の状況について里長に抗議する。自分の田畑の面倒もあると言うのに、移住者の面倒まではとてもみきれない、何とかせい。そんな事を矢継ぎ早に述べた。
それが罠だと悟ったのは、私の言葉に里長が薄い笑みを浮かべたからである。
「………………御神の窮状、分かり申しました。では里から農業指南のために人を遣りましょう。日当は一人辺り、銅5滴で如何でしょうか?」
なるほど、なるほど。そう言う魂胆か。
「………………分かった、私の小遣いから引いておいてくれ………………」
私は白旗を揚げる事にした。この銭ゲバには勝てぬ。
そんな事があった後に、漸く、春陽と夜に眠れる生活を手に入れた。久しぶりに寝た。春陽が私の尻尾をつかんで起こされるまで、ゆっくりと。




