100.神獣と春
教師とは何か。意外に難しい問いである。
要は何かを人、特に子供に教える職業である。その様に返すと、遊女達は揃って嫌そうな顔をした。
「………それは遣り手婆のような者なのでありんすか?」
そう問われると、それも違うように思う。誠に、新しい概念を人に教えるのは難しい。
「恐らく、違う。まず教える相手は、学びたいと進んでやってくる子供達であるし、折檻などは禁止する」
ゆっくりと言葉を選びながら説明していく。
「お主らは、読み書きも出来るし、その妙なありんす言葉の他に都の言葉も話せるであろう?それに朝雲などは、碁も将棋もこなせば、三味線、であったか?兎に角、楽器や舞もできる。それらを子供らに教えてやって欲しいのだ」
私の言葉に、未だに怪訝な表情。
「………それは、この里で遊女を育てると言うことなの?」
「違う。とも言えるし違わない、とも言える」
なんと言えば良いかな。思わず、後ろ脚で耳の辺りを掻き毟る。
「客観的に見て、お主らはこの時代の中で最高峰に近い教育を受けているのだ。まず、そこに自信を持って欲しい」
私の言葉に険しかった表情が少し和らぐ。
「それで、だ。お主らの持っている教養を里に広めて欲しい、これが一つ目だ」
その後に、やって欲しいことを羅列していく。里の子らの皆が読み書き算盤、出来れば書や演舞などの芸事も教えてやって欲しい。
「………つまりだ、私はお主らに色では無く、芸を売って欲しいのだ」
その言葉を聞いた遊女達の顔は、まるで光を浴びた天女の様に美しい。自分のやって来たこと、恐らくは苦痛を伴いながら身に付けた事を、認められた。自身への価値を見出した者特有の輝きだ。それを眩しく見詰める。
「それでな、教えて欲しいことを書にして纏める。夏の間は里人は農作業で忙しい。秋までに、教師として研鑽に励んでくれ。私が書、私達の言葉では教科書と呼ぶが、それを用意するまでは、各々の得意な事をお互いに教え合ってみてくれぬか?人に何かを教えるというのは、存外に難しい。叱らず、折檻せず、それでも上達させる、そんな方法を見付けてみてくれ」
優しく教えるのだぞ、と朝雲を見て念を押す。
「どうしてワッチを見るのでありんすか?」
「それは、お主が芸事に一番秀でているけらだ。だから教える事も多いだろう。そして、それはつまりお主が一番、厳しく仕込まれた事に相違ない。そう言った者は、他の者に教えるときに、特に厳しくなりがちだからだ」
俄に不機嫌そうになった朝雲に説明する。
「よいか、くれぐれも仲良くするのだそ」
そう言って、館を辞す。
不安が無いとは言えない。だがしかし、是非とも乗り越えて欲しいものである。とりあえず、学校教育を行うなら教科書と玩具、朝雲達が使っている楽器や囲碁や将棋の道具も必要か。準備は間に合うだろうか。思わず空を見上げる。
冷たい雨が降っている。僅かに霙が交じっている。
その温かさに、春の訪れが近いことを覚える。
急がなくては、いけないな。
それから春までの間、里人から墨やら紙を分けて貰い、と言うよりも私の財産から支払いを済まし、未だに山積している木材から教育道具を仕立てては館に運ぶ。時折、遊女達の中で起こる諍いを仲裁する。そんな慌ただしい早春を終えた。
「………お主ら、仲良くしろとあれ程言ったのに、どうしてそんなに喧嘩ばかりするのだ?」
もう種蒔きの時期まで間が無い頃である。
ギャーギャーと争う彼女らを集めて、正座させる。
それでも、誰それが何々が云々かんぬん。
もう何と言えば良いか、情報量が多すぎて追いつかない。
「そんな有様では子供らに笑われかねないぞ。それにこれからは私も畑に出る。私の保有している畑からの収穫物を納屋に収めてあるので、食うに困ることは無いだろう、だからな。もう一度お願いするが、子供らに模範とされるような先生になってくれ」
もはや懇願である。
しかし、本当にもう時間がない。
後は信じて待つしか出来ないのである。
「………それは御神も大変ですな」
言葉では私を労るようであるが、顔には隠しきれない喜色を浮かべていれば、面白がっていることは明白である。思わず叩いてやろうかと思うが自重する。
「………まぁ、そんなわけで安心は出来ないが、次の秋からは子供らの世話を頼める様になるだろう。だから今回の行商では、幼子なども連れてこい。人数も多いに超した事は無い。今回の交易品なら、それも可能であろう?」
私の言葉に弥源は顔を破顔させる。
「ご心配なさらず。上手く行けば近隣の主要都市から浮民を丸ごと連れてこられます。今回は都までは行かぬので、帰りも早いかと」
「あいわかった。では壮健でな」
そう言って、旅立つ弥源達を見送った。




