10.電波猫とワタシ
覚醒した。というのはやや見当外れな表現だろう。私は常にここにあり、その全ては私によって為された。
いまここで、それが分裂したのは、脳髄と記憶に焼き付けられた人類への非殺傷に関するアラームによる、反動に近い。
ともあれ、食欲に駆動されたワタシと、それよりは少し真面な私は2つに分かれ、それは直接的な出力の形で顕現した。
その結果、振り下ろされた爪先は、砂を叩いたが如き音と共に厚い魔力膜に寄って受け止められた。
暴走する魔力の奔流が夜陰を切り裂く、魔力膜を全力で形成する私に対して、魔力爪を振るうワタシもまた、全力だった。
繰り返し打ち付けられる爪、それを受け止める度、堀の如き溝が刻まれ、砂埃が立ち上がる。
その内実はチャンネル争いだった。魔力の放出系の主導権を奪い合って、あらゆるリソースをぶち込んでいる。肉体制御系からも手を引いたからか、姿勢が維持出来なくなってきていることは、私にとっては僥倖だ。このままだらしなく地面に這い蹲ってしまえば、位置エネルギーの利用によって拮抗している状況が、こちらに傾くだろうよ。
脳髄が焼き切れそうだった。
そもそも、私のチャンネル数など1つしかない。そこを分裂した思考が双方全力で回しているのだ、いつ回路が焼き切れてもおかしくない。
だが、それであっても私は人類の脅威たる自分を否定しなくてはいけない。
………己は滑稽だよ、お前の見るソレはお前の定義する人間と同じである筈がない。それを置き去りにして何故、躊躇うことがある。
半休眠でサスペンドさせていた感覚器に至近からの通信、発信源は己自身。ともすればショートに近い芸当をなんでも無いかのようにやってくれる。
不思議な高揚感、このワタシは私と同程度にはこの体の使い方を識っている。
………「私は慎重な性分なんでね、そうと分かるまてはキチンと観察と検分をすすめたいのさ。そんなわけでここは手を引いてくれないかな?」
間髪入れずの応答、自分宛のメールを綴っているかの如き不毛さと、新鮮な感覚がない交ぜになる。
同時に刻々と大きくなる虚脱感。当たり前だ、お互いが1つの体を使って全力を挙げている。魔力はもとより、カロリーの消費も甚大だ。恐らくは、ソレを見越しての対話であろう。お互い分かっているのだ、こんなことを後数瞬も続けていれば、それは餓死に繋がると。
………よく考えろ、お前の知る人間が魔結晶を内在するものか。そも、魔力などある世界において、ただソレと似ているだけの獣に、何故人間を重ねるのか。
体表に積層していた魔力膜が瓦解していく。鱗のように剥離した魔力の残滓が、紫の蛍のように夜に舞う。
………「それを含めて、これから考えるよ。だが私たちに焼き付けられた記憶が反応している。今はそれだけで充分だろ。分かったら大人しくしていてくれ」
魔力放出系に割いていたリソースを肉体制御に全てぶち込む。強引に取り戻した反動に筋繊維が断裂する。それと引き換えに奪い取った運動エネルギーを肩から回す。同時に後ろ足で深く地を叩いた。
のし上がった上体に、紫をまとった爪が深々と突き刺さり、その正中に位置する魔晶石を抉り取る。
………こういった小狡い手には参るな。今回は譲るよ。だが、ワタシはお前自身だ。またの邂逅を期待しているよ。
血飛沫と共に、巨大な魔晶石が中空を舞う。それは中天に差し掛かかった月に照らされて、なお薄紫に輝いていた。