ライフルと火縄銃
讃岐と阿波の境に、前線拠点が完成しようとしている。
竹中半兵衛は、まだ未完成な部分を丹念に見ていた。
「半兵衛さま、河野通直を連れて参りました」
「連れて来たのか・・・そのまま一緒に来るといい」
「はは」
ひときわ大きなテントに近づくと、見張りの足軽が素早く両脇に別れた。
「御免、河野通直を連れて参りました」
テント内では、話し合いがピタリと止まり、視線が集中。
その集中先は、河野通直であった。
椅子に座っていた酒井忠次が、急に立ち上がり河野通直の顔面をのぞき込んだ。
3日後に上陸して、ここ前線拠点へようやくたどり着いたばかりだった。
「殿、しかと今川様へ届けて参ります」
「して、河野をどうするか聞いているか?」
「聞いてません」
「そうか、分かった。連れて行っていいぞ」
「それでは御免」と言って連れていってしまった。
松平元康は、腕を組んで考え込んでいた。
「話の途中だった。話を続けよう」
「河野の支配地をどうするのだ」
「それなら忠次から聞いている。西園寺に与えることになった」
「何、あまり役に立っているとは思わないが・・・」
「最後の最後に、大事な場面で裏切るのだ。それに公家にも頼まれたそうだ」
「公家か・・・あんな奴、必要なのか?」
「朝廷があって上手く回っている部分もあるのだ。むかしからの体制を壊してどうする。矢面にさらされるだけだ」
今川の家臣たちは、思い思いのことをグチっていた。
そんな場面に、若い武者が飛び込んできた。
「敵が現れました!!三階菱に五つ釘抜と丸に七つ片喰の家紋が見え申しました」
「三好と長宗我部か?して軍勢の数は」
「やく8万」
「それはまことか?・・・そうとうに無理をしたのだろう」
「仕方ない、以前に話した方法で迎え撃ちましょう」
「是非に及ばず!」
全員が立ち上がり、テントから出て行った。
岡部元信は、両手でほほをバシバシと叩いて気合を入れていた。
前線拠点がにわかに活気が帯びてきた。
あっちこっちから罵声が飛び交っていた。
両軍がにらみ合っていた。
俺は、高く反り建った櫓を見上げていた。
黄色の旗が振られて、不十分だと知らせていた。
櫓は4ヶ所に建てられていた。
互いに手旗信号で通信を行なっていた。
今回は攻めずに、迎え撃つ作戦だ。
ようやく複製された携帯時計は、9時からのにらみに合いから5時間におよんだ。
そしてようやく敵は動き出した。
敵側からほら貝が鳴り、5万が一斉に動き3万が右側に回り込む動きを見せた。
櫓から黄色旗と赤色旗が必死に振られていた。
「ようやく距離に達したか・・・旗を振れ」
俺の近くにいた武将が赤旗を振った。
それを合図にライフル銃の銃声が、櫓から絶え間なく鳴り響いた。
一番に狙うのが、指揮している武将だった。
馬に乗っているので、狙いやすかった。
ここから双眼鏡で見ていても、次々に馬上の武将が転げ落ちていた。
右側に回った敵兵にも、可哀そうな動きが見えていた。
地面から50センチの高さに、有刺鉄線が張られていた。
その有刺鉄線に傷つき前のめりに倒れてゆく。
それに続くようにその上に倒れ込んでゆく。
両側に深くまで刺さった鉄杭に固定されていて、ビクともしないままピンッと張られている。
その有刺鉄線を草が見事に隠していた。
俺が作った有刺鉄線。刀などでは切れない。
何人かで必死に切ろうしているが、切れたようすは見あたらない。
そこらかしこに有刺鉄線が張られていた。
わざと作った拠点の無防備に、誘われた結果だ。
「黄色の旗を振れ」
櫓に合図が送られた。
俺は、まんじりと双眼鏡をのぞき込んだ。
遠くの陣中の真ん中に居る武将が倒れた。
そしてその横の武将も、同じように倒れた。
あの距離だと40%の命中率だが、一斉に撃てば何時か当たると思っていた。
陣中に居た武将は、地面に全て倒れている。
中の1人は懸命に這っていた。周りが騒がしくなっている。
何人かは、救助に向かっていたが、その武将もすぐに倒れた。
昔から使われていた狙撃の戦法だった。
ようやく火縄銃が鳴り出した。
3人1組で火縄銃を撃っている。
撃つのは、火縄銃の命中率がいい奴だけだ。
後の2人は、早合をして渡すだけだ。
早合は、紙を漆で固めて、それを筒状に成型したもので、その中に弾と火薬が入っている。
その為に、常に2人が早合していて、1人だけが撃ち続けている。
なので火縄銃は3丁が必要だった。
今回使用された火縄銃は2000丁。
大半が俺が作ったコピー品だ。
こちらの柵に、敵が来ることは無かった。
鉄砲隊の後ろには、弓隊も控えていてしきりに弓を射っていた。
17時頃に決着が付いた。
三好と長宗我部は滅んだ。
三好長慶の首や長宗我部元親の首を見せられた。
俺は任すと言ったのに、ダメだと言われシブシブ見てしまった。
あああ、今日の晩飯は食えそうに無い。
それなのに、向こうのテントでは松永久秀がお茶を立てていた。
なにか、今回の戦でさとったようだった。
松平の軍勢が伊予に出発。
松平の軍勢と西園寺の軍勢で挟み撃ちにしながら伊予を制圧。
河野水軍なき河野氏は、もはや統率が取れていなかった。
そしてようやく西園寺公広が、伊予の大名になった。
2ヶ月後には、松永久秀は土佐へ移転となった。
あれ程に覇気があった松永久秀も、あの戦い以降はめっきりと大人しくなり。
今川へ隠居を願い出た。
息子に家督を譲って、茶の世界へと没頭するようになった。
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