第6話 護送
リチャードたちが正門を訪ねて僅か数日後。
プレーゼの国境門から『女性の身柄を確保した』と調査部に連絡が入った。わざわざ門から早馬を走らせて手紙を届けに来たらしい。女性の入国記録を確認した時といい、随分と仕事の早い国だ。
業務としては女性の確保が最優先であるため、今日予定していた事務作業は京極親子に任せ、弑流と燐は警察車両に乗り込んだ。身柄引き受けのために席を空けなければならない上、仕事があるとのことでリチャードは乗らないそうだ。
幽の面倒見は今回もシャルルに頼んだ。
「うう……緊張でお腹痛くなってきた」
犯人の護送という大仕事で運転をしなければならない弑流は、下腹の辺りを押さえながら呻いた。仕事を任されるのは嬉しいことだが、よりによってこんな重要な役割とは思いもしなかった。燐がいるだけ少し気が楽ではあるが。
「弑流は運転に集中しておけばいい。犯人は僕が見ておくから」
「う、うん。ありがとう……。その言葉を励みに頑張るよ」
「ああ、頑張ってくれ」
正門までの道のりは覚えている。地図を見ることもなく、多少狼狽えながら安全運転で現地まで向かう。
正門に着くと、あの時の入国審査官が迎えてくれた。
「お待ちしておりました。今日はお二人だけなのですね」
「はい……。車両が四人乗りなもので……」
「ああ。心中お察しします。例の女性は門の中におりますので、こちらへどうぞ」
弑流の顔色を見て色々納得した入国審査官は、同情の素振りを見せながら案内してくれた。
着いていくと、門の中にはプレーゼの警官隊とみられる二人が立っており、その傍に写真で見た女性が立っていた。非常に仕事が出来そうな、それでいて美人な女性だったが、その表情は不貞腐れたような顰めっ面だった。
絵画は女性が大事そうに抱えて、離す様子はない。
「あなた方が東極警察局の方ですか?」
プレーゼ警官隊の内一人が尋ねてきた。
「はい。そちらはプレーゼの?」
「ええ。警官隊です。例の女性を連行しました」
「ありがとうございます。随分お仕事が早くて驚きました」
「はは、そう言っていただけて光栄です。我が国は入国後も入国者を厳重に管理しておりますので、情報を辿ればすぐ発見できます」
「それは頼もしいです。迅速な対応感謝します」
一通り話が終わったところで、身柄の引き渡しに関して軽く手続きを行って、女性を車両まで連れていく。
逃げられては困るので燐が警戒していたが、特に動きもなく車両の後部座席に乗り込んだ。絵だけはまだ離さず、自分の脇に置いて固定した。
逃げる気はないようだが、特に反省している様子もない。
無事に引き渡しが終わり、これ以上ここにいる必要もなくなったため、警官隊と入国審査官に別れを告げて正門を後にする。
弑流が運転席、燐が助手席に収まると、行きよりも更に慎重に発車させる。
(ここまでは順調だけど、あまりに大役すぎて酸欠になってきた……)
突然任せられる仕事がこれとは運がないにも程がある。逆に上手くやれば信頼を勝ち取るチャンスなのだが、失敗を恐れるせいで極度の緊張状態だ。
燐はそんな彼を横目で見ながら軽くため息をついた。大抵こういう時に限って、何か良からぬ事が起こるものだ。気楽にやった方が上手くいくこともある。
そして実際その通りになった。
正門と“黙認の花園”との分かれ道に差し掛かった時だった。“黙認の花園”の方から、突然人影が飛び出してきたのだ。
「うわっ……!?」
驚いた勢いのまま右足はブレーキを踏みつけ、車体は滑りながら急停止する。慣性で全員の体が前のめりになった。
「ちょっと! 何してるの! 絵に傷が付いたらどうするのよ!?」
きちんと停止した後、後部座席から女性が怒った声を上げる。彼女は身を呈して絵を庇っており、その姿はまるで愛する我が子を守るかのようだった。
「す、すみません! 急に人が飛び出してきて……」
それほど速度を出していなかったのが幸いして、飛び出してきた人間にも車内の人間にも怪我はなかった。
「ちょ、ちょっと様子を見てきます」
弑流は外の人間の無事を確認するため、車を降りた。燐は降りずに後部座席を振り返る。
「あんたは降りるなよ」
「はぁ。降りないわよこんなところ。絵に何かあったらどうするの」
「余程大事なんだな、それ」
「当たり前でしょ。この絵は私の全て。一目見た時からずっとずっと好きだったし、今も変わらず大好きよ。何をしてでも手に入れたかったんだから。私を捕まえたなら事情は知っているでしょ」
「そうだな。でも、それだけ熱意があっても、画家は売ってくれなかったんだな」
「ええ、そう。本っ当に頭の固い方よね。絵は好きだけれど彼は嫌い。画家なんだから、絵が売れるのは嬉しいことじゃないの? って毎回疑問よ。それだけの大金を置いてきたわけだし」
「……まあ、本人の許可なく持ち去るのは一応犯罪だからな」
「ふん、分かってるわよ。だから逃げてたんでしょ」
車の中で問答している間に、弑流は飛び出してきた男に話しかけた。身なりは普通で、持ち物も少ない。別段変わったところの無い平凡な男だ。方向的にプレーゼから東極にやってきたようだった。
「大丈夫ですか? 危うくぶつかるところでした。そんなに急いでどうしたのですか」
「ああ、いきなり飛び出してすみません。早くここから離れたかったもので。車が通るとは思わず……迷惑をかけてしまいました」
「いえいえ。生憎、乗せていくことは出来ませんが、良ければ車を手配しましょうか?」
「いや、お気持ちだけで。門から離れた以上、もう大丈夫でしょう」
「……何かあったのですか?」
「ええ、それはもう。あっちの門番はおっかないんです。とても正気とは思えません。金さえ払えば通して貰えますが、何もされなくても生きた心地がしませんでしたよ」
「そ、そんなになんですか」
「用がないなら絶対に通らないことですね」
「は、はあ。ご忠告ありがとうございます」
「はい。ではまた。迷惑をお掛けしてすみませんでした」
正門の入国審査官にも言われたが、“黙認の花園”に近付くと碌なことがないようだ。治安の悪い南側と繋がっている門らしいので、門番も普通ではやっていけないのかもしれない。
そちらから来たということは男にも何か後ろ暗い事情があるのだろうか。商人には見えないし、さりとて浮浪者や身をやつした盗賊などでもなさそうだが。
首を傾げながらも、男が元気に歩いて去っていくのを確認して、車に戻る。
「今度は安全運転でお願いね」
「えっと、人が飛び出してこない限りは」
確か犯人の護送中だったはずだが、何故だか女社長の専属タクシー運転手になった気分だ。リチャードがいれば『窃盗犯なのだから口を慎むように』くらいは言ったかもしれないが、弑流にその勇気はなかった。彼自体、お人好し且つあまり気が強くない性分だからである。よく言えば柔軟、悪く言えば下っ端気質なのだ。
そんな下っ端運転手と女社長とお目付け役の少女を乗せた車は、踏み固められた道をゆっくりと帰っていく。
§―――§―――§
約二時間後。
何とか何事もなく女性を連れ帰って、その身柄を局の上層部に引き渡した。
後は彼らが引き受けてくれるとのことで、ほっと胸を撫で下ろす。朝から生きた心地がしなかったが、これでようやく開放された。
「お疲れ様、二人とも。重要な任務を急に任せて悪かったけれど、無事に完遂出来て良かったよ。君たちにとって良い経験になったと思う」
部長室でリチャードに報告すると、そう労いの言葉をかけてくれた。
「ありがとうございます。ですが、その。もし逃げられてしまったら大変なのに、どうして自分に任せてくださったんですか?」
殺人や脅迫などほど危険ではないが、窃盗も立派な犯罪だ。
ただ盗むだけではなくきちんと大きな金額を払うような律儀な女性なので、逃げる可能性は低いと言える。が、ゼロではない。万一逃げられたら大失態だ。調査部を頼ってくれた東雲にも申し訳が立たない。
「そろそろ任せても良いと思ったからだよ。万が一逃げたとしても、燐さんから逃げられるとは思えないし、二人でならいけるだろうってね」
確かに人よりも数倍身体能力に長けた式神から、絵を抱えた女性が逃げるのは無理だろう。二人とも念の為武装していたので、そうでなくとも逃げる気は起きなかったかもしれない。
「ああ、なるほど。おかげで良い経験が出来ましたが、緊張も凄かったです……」
「ははは! それは申し訳なかった。胃が痛くなるタイプかい?」
「胃というより、お腹を下すタイプです」
「そうなのか。私は胃なんだ。互いに苦労するね」
「ええ、でもちゃんと終わって良かったです」
リチャードは微笑みながら頷いた。
次は回収した絵を持って美術館へ行かなければならない。こちらもリチャードは同行出来ないとのことなので、シャルルと弑流で行くことになりそうだ。
東雲からしても大事にはしたくないようで、絵が返還された後は金を女性に返すように言われている。そこに女性も同行させるかは上層部次第だ。が、どちらにしても審議をする気はないらしい。
(このまま何事もなく終わってくれればいいけど)
今までの経験上、上手くいかないことの方が多かった。今のところ比較的すんなりと物事が進んでいるため、逆に不安になってしまうのだ。
弑流は小さく下を向いて、東雲に進捗を報告するために部長室を後にした。




