第4話 門
美術館を訪問した日の夕方。
絵画を『勝手に金銭と交換した』女性について、リチャードは局長である蘭童キョウカに連絡を取った。
生命に関わるような事件ではないが、榊原と東雲にとっては重大なことだと。
『うぅん、そうだねェ。こう言うのは不謹慎だが、些か面白い事件だ。……それで今後の方針は決まっているのかね?』
「ええ。プレーゼの門番及び入国審査官に確認を取ってみようと考えています。局長は連絡手段などお持ちではないですか?」
『ああァ。残念だが、手紙しかないねェ。国境門には東極の入国管理官もいるけれど、門自体は他国のものだから、俺が勝手に電話の回線を繋ぐとか出来ないんだよォ。……急ぎなら、車の方が断然早いね』
「そうですか……ありがとうございます」
『はいはい、よろしく頼むよォ』
部長室で受話器を置いた彼は、明日の方針を固めた。
依頼に期限はないが、東雲の話では出来るだけ早くとのことだ。動けるなら明日にでも動きたい。プレーゼの正門を女性が通ったのかどうかだけでもさっと調べられれば良かったのだが、それは無理そうだ。
リチャードは席を立つと、明日車で門まで向かうことを部下達に伝えに向かった。
§―――§―――§
次の日。
用意した警察車両に乗り込んだのは、リチャード、弑流、燐だった。
シャルルはレノと共に、動物が殺されていないかどうか森を見回ってくるそうで、こちらには参加出来なかった。代わりに手が空いていた燐が同行することになったのだ。
「運転任せてしまってすみません、部長」
「いやいや、良いんだ。その代わり道案内を頼むよ。地図ならそこにあるから」
「任せてください」
弑流はダッシュボードの中から東極の地図を出した。しばらくは問題ないが、道が分からなくなったらすぐ指示できるように、今いる場所を把握しておく。
「犯人の女性はプレーゼの門を通っているでしょうか?」
「出来れば通っていて欲しいね。東極と比べて入国管理とかがしっかりしているから、入国後にどこへ行ったのかすぐ分かるだろうし」
「東極だと、北区とかに行かれたらなかなか探せませんよね」
「そうなんだよ。正直、そういうところから国を変えていった方が良いと思うのだけど、現実はそう簡単にいかないものだ」
東極は五区に分かれているが、北区と東区はほとんど自然のままだ。山や森を少し切り開き、そこにぽつりぽつりといくつかの集落や村がある。当然電波もほとんど通じない。よく言えば自然溢れる、悪く言えば開拓の遅れている区域である。そこらに犯罪者が隠れ住んだとしたら、捜索にはかなり骨が折れるだろう。
出発から二時間ほどで、車は東区内の林道に差し掛かった。越境する人たちが通る道のためある程度は整備されているが、当然の様に舗装はされていなかった。
若干ガタガタする道を二十分ほど走った頃。
唐突に、道が二手に分かれた。リチャードが車を止める。
「弑流君、これどっちだい?」
「ええと……。あ、左だと思います。その先が”正門”になってますから。右は”黙認の花園”って書いてあります」
「ああ、なるほどね。じゃあ左だ」
納得した様子で左の道に車を進めた。
「”黙認の花園”って何ですか?」
「プレーゼの国境にある非正規の門だよ。あの国は北と南で貧富の差が激しいだろう? ”黙認の花園”は南側の国境門なんだ」
富裕層が住む北側の門が“正門”、貧困層が住む南側の門が“黙認の花園”と呼ばれているらしい。
「何故”黙認の花園”と?」
「”正門”から出国できない人々が出入りする門だから、かな。後ろ暗くても何でも、東極には害をもたらさない商人が多いから、仕方なく黙認しているんだ。困った事にプレーゼの上部も放置していて、閉鎖も難しいし」
「なるほど、そうなんですね」
「犯人の女がそっちに行ったってことはないのか?」
「私も一瞬そう思ったよ。だけど、”黙認の花園”の先にあるのは治安が最悪な南側だ。大金と引き換えに手に入れた絵画を持って行くような所ではない。……から、可能性は低いと考えているよ。まあ、”正門”を通っていなかったらそっちも見に行かなくてはいけないけど」
「そうか」
固く整えられた道を運転しながら、二人の質問に答える。分かれ道から更に二十分ほど走った辺りで、ようやく”正門”が見えてきた。それが徐々に大きくなるにつれ、左右の森がなくなり、目の前が開ける。
高い塀にぽっかりと、トンネル形に穴が空いているのが見えた。あれが越境手続きをする場所だろう。今はまだ昼頃だからか鉄の門が開かれてあった。
速度を落として近付いていくと、門番らしき屈強な男が、身振りで止まるように指示してきた。指示通り、門の脇に車を停めて降車する。日差しが強いので、門の中に入れてもらった。
「本日はプレーゼへの入国をご希望でしょうか?」
少し歳の行った入国審査官が出迎えた。
「いえ、私達は東極警察局の者でして」
彼らに対して、リチャードが身分証を見せる。途端に入国審査官の顔に緊張が走った。彼らが悪事を働いている訳ではないので、妙な心労を与えないためにすぐさま事情を説明する。東雲からもらった資料写真も手渡した。
「――なるほど。つまりその女性がここを通っていないかをお尋ねにいらしたんですね」
「はい。捜査に必要ですので、お教えいただけると有り難いです」
「ええ、勿論です。我が国としましても犯罪者を野放しにしたくありませんので。すぐお調べしますね。そちらにおかけになってお待ちください」
事情を聞いた入国審査官は協力的な態度を見せ、情報確認に向かってくれた。その間、涼しい城壁の中で座って待たせてもらう。身分を証明したためか門番の見張りはなかった。
数十分後。
「お待たせ致しました。その女性ですが、確かにここを通過していますね」
「そうですか! ご確認ありがとうございます」
「いえいえ、仕事ですから。……それで、美術品もかなり厳重に持ち込まれています。不審物でないか確認した記録が残っていました。『とても大事な物だから、絶対に触るな』と言われたようです。ご本人が開けられて中身も安全だったことや、美術館からの品質証明書が付随していたことなどから入国を認めたとか」
「品質証明書……?」
「その美術品は本物である、という血統書のような物のようです」
「……恐らく偽物でしょう。美術館が発行していないのに、あるはずがありません」
「そうでしょうね。すぐにプレーゼの上層部に連絡して対応してもらいます。後はこちらにお任せください」
入国審査官は犯人の身柄を自国の組織で確保するつもりらしい。リチャード達は一度戻って準備を整えてから入国するつもりだったため、一瞬顔を見合わせた。
「しかし、よろしいのですか? 我々の仕事ですのにお手数をおかけしても」
「問題ありません。そのような不届き者を入れてしまったこちらの責任ですから。のんびりしつつ吉報をお待ちください」
「そ、そうですか。それはありがとうございます」
警察局の人間とはいえ、次の入国者を許可するより自国で対処した方が楽なのだろう。調査部としても、任せられるのならその方が楽だ。地理はプレーゼ国民の方がよほど分かっているのだから。わざわざ不利な状況で追跡することもない。
しばし話した後三人で納得して、全面的に任せることになった。念の為、捜査委託書と身柄引き渡し同意書に記入してもらった。
それも終わると、やることがなくなったのでお暇することにした。
帰る素振りを見せる三人に入国審査官が話を振る。
「そういえば、“鼠の穴”にはもう行かれたのですか?」
「“鼠の穴”?」
「ああ、東極では確か……“黙認の花園”でしたっけ? 南門のことです」
「なるほど。いえ、そちらにはまだ行っていません。地図を見て、先に正門の方からと思いまして」
「そうですか。それは良かったです」
「と言うと?」
「あんな穢らわしい所に皆様が行かれては、我が国の恥を晒すことになってしまいますから」
親切だった入国審査官の顔が、苦汁を舐めた様に歪んだ。嫌なことを想像してしまったかのような顔だった。
「穢らわしい、ですか」
「ええ。下水臭いドブネズミどもが徘徊していて、強盗も殺人も日常茶飯事の南側と繋がっているのですから。秩序なんてあったものではありません」
「それは……大変ですね。国の方で何か対処は?」
「していません。北の住民は誰も近寄ろうとしませんし、近寄る理由もありません。東極側からですといくらかマシでしょうけれど、それでも近付くのはお勧め出来ません」
「お話、分かりました。ご忠告ありがとうございます」
「いえいえ。お気をつけてお帰りください」
最後は親切そうな顔に戻って見送ってくれた。
車に戻ると燐が開口一番、
「南側の治安をそのままにしてる方が恥なんじゃないのか?」
とボソリと言った。
「燐さん……それ、審査官の前で言わないでくれてありがとう」
「ああ。さすがに僕でも駄目だと分かったからな」
ただ、燐が言っていることには二人も納得していた。汚らしいものを見るような目をして南門を卑下していたが、『穢らわしい所』にしたのは国である。それにすら思い至らないとすれば、内情は相当深刻だと言わざるを得ない。
帰りも安全運転で来た道を戻る。入国審査官の仕事が早かったおかげで、思ったより早く帰れそうだ。
「あの、部長」
「なんだい?」
「ちょっとだけ、“黙認の花園”に寄っていただけませんか」
「え?」
「門まで行かなくて良いです。遠くからでもどのような所なのか見てみたくて」
「ふむ。危なそうだったらすぐに引き返すけど、それでもいいかい?」
「はい、もちろんです」
ちょうど時間が余っているので、その時間を使って寄ってみることになった。来た時通った分かれ道を弑流の要望通り左に折れる。
正門よりも長く車に揺られること約三十分。塀自体は全く同じ城壁が見えた。そして、
「わお」
正門よりもさらに開けた場所に出た。思わず声が漏れる程に圧巻の、一面の花畑。遠くに小さく見える城門の脇には、小高い丘に一本木が生えている。
道はなく、荷車が通ったような轍があるのみだ。門に用がないのに花畑に踏み込むのも気が引けたので、手前で停車した。
“黙認の花園”は話で聞いていたのとは真逆の、美しい場所だった。
危険もなさそうなので、弑流が恐る恐るドアを開けて降りる。どこからか鳥のさえずりが聞こえ、色とりどりの蝶が舞っていた。
彼に続いて燐とリチャードも降りてくる。三人でしばらく立ち尽くしていた。
「凄く……綺麗な所ですね」
「ああ。ぱっと見る限り、何も問題はなさそうに見えるし、むしろ正門よりもいい所のようだけど……」
入国審査官が言っていた穢らわしさなど微塵も感じない。帰りが間に合うようにしながら、ほんの少し探索する。ただ一人、燐だけは眉根を寄せて不満そうな顔をしていた。
「…………」
「どうしたの?」
「いや、なんか……ここ、気持ち悪いんだよな」
「そうかな?」
「弑流は何も感じないか?」
「うん、特には。綺麗だなってことくらい」
「そうか。なら、その、ちょっと言いにくいんだが」
「うん」
「花の香りに混じって、吐き気を催すような異臭がする」
「えっ」
「なんて言うんだろうな、土地に染み付いてるっていうか。とにかく僕は嫌いだな」
「……やっぱり、審査官が言ってたのは正しかったのかな」
「さあな。何にしても、上辺だけが綺麗でも中身は分からないってことだな」
燐の言うことに納得したようで首を傾げつつ、時間が来たので車に戻った。花畑を後にして、車は元来た道を戻っていく。




