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虚偽を謳う獣たち  作者: 弟切 湊
file.1 道具か生命か
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第17話 乱闘

 ひじりから『“ドール”を引き付けた』という無線を受けてしばらくのこと。


 弑流しいなたちが待つビルにバタバタという足音と、時折響く金属音が近付いてきた。彼らが上手いこと誘導してきたようだ。

 燐とレノの二人は連絡がつかず姿も見えないが、そちらに気を配っている余裕はない。あの二人なら大抵のことには対処出来るであろうし、出来ない何かがあったとしても今だけは見放さざるを得ない。

 “ドール”を捕まえるか否かで区民の安全に関わるからだ。非情なようだが、二人よりも数万の命を守る方が大切なのだ。


 聖からの報告によると、“ドール”は何故か酷く疲弊しているらしい。ガブリエレの言う通りこちらを探してくれていたようだが、その過程で何かトラブルに巻き込まれたのかもしれない。ちょっとのことで死にかねないため、攻撃は最小限に抑えるべきだという。ただ、仙術には気を付けてとの事だ。

 当初は強力な敵に備える予定だったが、こうなってくるとこれはこれで難しい任務である。


 弒流以外の全員が銃を構えて到着を待つ。いきなり撃つ必要もないので、引き金(トリガー)には指をかけずに人差し指をピンと伸ばした。万が一誤射しても困る。ただ、有事にはすぐに撃てるように撃鉄ハンマーだけは起こしてあった。


 体勢が整った“ステージ”へ最初に呼吸を荒らげて駆け込んできたのは聖だ。歳のせいもあってか大汗をかいて辛そうだった。持久走の後のような状態である。その後ろから余裕綽々にやってきたのはみおで、彼らがビルの中ほどまで来てから誘い込まれてきたのは標的の“ドール”だった。


 体は聖に聞いた通り目も当てられない惨状であるのに、表情だけは全くの無なのがこれまた不気味であった。傷が付いて血が流れている部分は否応いやおうなしに生を見せつけてくるくせに、それ以外の部分はまるで無機質なのだ。一つの体に矛盾が混在していることが気持ち悪いのである。ホラー映画などでこのような存在が追いかけてきたら恐怖で竦んでしまうことだろう。

 ただ、重い攻撃を喰らわせたら一撃で手折たおってしまいそうでもあった。


 ”ドール”はビル内に誘い込まれた後も、臆することなく手当たり次第に狙ってきた。圧倒的不利な状況にさせられたのだから怯んでも良いはずだが、彼は淡々と命令を遂行するだけだった。

 彼は、長距離を無線で話ながら走ってきたために酷く消耗している聖を真っ先に狙った。背後から斬りかかり、それを澪が防ぐ。


「狙うなら義父とうさんじゃなくて僕にしてよね」


 文句を口走りながら得物を持っていない方の指先から糸を出現させて”ドール”を絡め取ろうとするが、”ドール”は小刀でそれを器用に切り裂き、手に纏わせた炎で焼いて振り払った。澪と”ドール”は空中戦ののち、互いにダメージを負わせることなく地面に降りる。

 その着地のタイミングを見計らってリチャードの拳銃から弾丸が放たれた。”ドール”の左足が地に着くと同時に、鉛弾が(ふく)(はぎ)の辺りを貫く。貫通して足の反対側から飛び出した弾丸と供に、血が噴き出して地面を紅に染め上げた。全体重を支えるはずの足を撃たれたことでバランスを崩した“ドール”は、溜らず片膝を付いた。

 出来るだけ血を流させたくはなかったが、こちらの被害を最小限に抑えつつ確保するためには仕方のないことだ。このことは、聖からの無線を受けた後にビル待機組が話し合って決めた。式神とはいえ生き物である以上、ある程度の傷を負えば動けなくなるはずである。そのために、手足を使えなくすることで戦力を削ぎつつ捕縛へと持っていこうという計画だ。

 捕獲にあたって立てた作戦では、”ドール”が動けなくなるまで殺さないように傷を負わせ、動けなくなったあたりで用意してある水をかけ、それから捕縛することになっている。その後は眠らせるか何かしてから待機させてある救急部の車両で応急処置をし、そのまま病院へ運び、クローフィに預ける手筈だ。鉛弾を溶かすほどの仙術が水でどうにかなるとは思えないが、気休めにはなるだろう。


 片膝を付いた”ドール”はしかし、すぐに立ち上がると自分を撃ったリチャードに攻撃を仕掛けた。まだ銃弾一発受けたくらいでは動きを抑えられないらしい。


(…………あれは?)


 リチャードに向かう“ドール”を目で追う際、彼の左足首にある入墨のような文様が鈍く輝くのが見えた。足を伝う血とは関係なく、赤黒く光っているように見える。弑流にはそれがどういうことを意味するのか分からない。だが、何か良くないことの前触れであることは本能的に理解した。


「部長! 気をつけてください!」


 思わずそう叫んだが、”ドール”が自分に向かってきている以上、リチャードもそのくらい言われなくても分かっているだろう。彼は相変わらず首を狙ってくる相手の攻撃を、撃ったばかりの銃の根元で受け止めた。グリップの引き金付近は固いため、刃物を受け止めるには丁度良い。どこを攻撃されるかが分かっていれば、運動神経の良くないリチャードでも受けることくらいは出来る。

 攻撃を阻まれた”ドール”に、今度は横から飛来した弾丸が襲った。シャルルが撃ったそれは小刀を握る右腕を貫いて、そこからも血を噴き出させた。撃たれた反動で骨と皮ばかりの腕は強く揺られ、手から小刀が弾け飛ぶ。彼の手を離れた得物は空中を飛んで地面に落ち、ビルの中にカランと金属音を響かせた。撃った直後に走り出したシャルルは、


「ごめんなさい……っと!」


謝りながら、武器をなくした”ドール”の腹に蹴りを入れた。彼をリチャードの元から強制的に引き離した。図体のデカい男に蹴り飛ばされた体重の軽い男は地面に血痕を残しながら転がり、リチャードから十二分に離れた所で止まった。


「げほッ」


 今度は立ち上がることをせず、横たわったまま胃液を吐き出して苦しそうな呼吸を繰り返した。初めて見せる生き物らしい反応だ。

 そもそもが疲弊していた状態から武器も失った相手に少々やり過ぎな感じもするが、式神である分手は抜けない。

 澪が遠くから仙術で縛り、弑流が水をかけようと近付く。格好は悪いがバケツ大のボトルに汲んであった水をそのまま抱えてきた。

 手足を撃たれ、蹴りも入れられた状態でかなり弱っているはずだ。仙術への警戒は怠れないが、そろそろ捕縛出来てもいいのではないだろうか。そう期待したが。


「……っ」


 ”ドール”がゆらりと頭をもたげた。口の端から唾液を流しながらもぞっとするほど変化のない表情でこちらを見て、それは一瞬で炎に遮られて見えなくなった。ごおっと音を立てて四方に放たれた火が壁を作ったのだ。前回と違い相当戦力を削ぎ落としたはずだが、それでもまだ近寄らせてはくれないらしい。コンクリートの中で引火するものもないため大きく燃え広がることはないが、それでも手元の水で消火する。水のボトルはまだいくつかあるし、最悪の場合消防部の車両から水を追加できる。消化しながら近付けば、自ずと倒れ伏している“ドール”にもかけられるだろう。

 が、()()()()()彼が、そんな隙を見逃してくれるはずもなかった。揺らめく炎の中から飛び出してきたかと思うと、


「あっ、え?」


完全に油断している弑流の腰に下げられたシースからナイフだけを抜き取って、その先にいたシャルルを攻撃した。しかも次は首ではなく、顔を狙った。


「うわっ」


 予想外のことに慌て、なんとか避けたシャルルの頬に、ぴっと赤い線が出来る。


「まだ動けるのか!?」


 むしろ先程より素早く動いて次々に攻撃を繰り出す”ドール”に狙いを付けながらリチャードが苦い顔をする。シャルルは全員の一番後ろにいたため、今下手に男を撃てば流れ弾がシャルルに当たる可能性がある。澪が助太刀に入ったおかげでシャルルは無事だが、混戦状態のあの場所に銃弾は撃ち込めない。それに、これ以上戦うと”ドール”が死ぬのは明らかだった。

 体にあった傷のことも考えると、血を流しすぎているのだ。どうにかして止めなければならなかった。傷を負わせれば動かなくなってくれると踏んだのだが、その考えは甘かったようである。銀の目は虚ろで足下も覚束ないように見えるのに、戦うことはやめない。まるで行動指針をそれだけに設定された機械だった。


「このままじゃ……」

「ああ、死ぬだろうね。もしかしたら死ぬまでやめない気なのかもしれない。だけど、それだけは防がないと。指示役が分からずじまいでは意味が無いんだ」


 あの惨劇を起こした“ドール”が死んだとて、その指示役が生きていれば同じことだ。新たな手駒を得て似たようなことを繰り返すに違いない。ここで死なれてしまえば打つ手が無くなり、また捜査は一からやり直しだ。


 武器を取られた弑流が使える物と言えば、奪った相手が使っていた小刀か素手しかない。それでも、何とかしなければ。

 自分が武器を奪われたせいでシャルルの顔に傷を作ってしまった。あと少しだったのに、水もかけられなかった。……後者はかけたところで炎に焼かれていただろうが。

 失態は出来うる限り取り返したいし、何としても“ドール”の動きを止めなければならない。


(あっ)


 必死に頭を巡らせた弑流の頭に、ふとクローフィが呟いた言葉が蘇った。



 ――――『痩せ細った体、丈の足りない衣服、縫合跡に希薄な感情……』

『多分だけど、その子――』


『右目が、見えないんじゃないかな』

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