第23話 お婆
一時間ほど男の愚痴を聞かされて、畳の部屋で正座をしていた弑流達が、足が痺れるのを何とかするために何度めかの体勢変更をした頃。驚くほど良く喋る男に対して、元気だなあなどと考えていると、外がにわかに騒がしくなった。
聞こえてきたのは数人の足音と誰かが話す声。話し声は、近付くにつれてお婆が何か文句を言い、非難するような声だということが分かる。足音は三人分ほどで、確実にこちらに向かって来ていた。
足音は部屋の前で止まると、戸をトントンと叩く音がする。顔を上げた四人の内から男の名前が呼ばれ、男が訝しげに部屋の外に出る。
と、外から大声で、
「辰砂!?」
と叫ぶ声が聞こえた。本人が外にいるのだろう。弑流たちは顔を見合わせ、自分たちも外に出るべきか思案する。が、部屋にお婆が入ってきたことでその思案は無駄に終わった。
「どうかしたんですか?」
「辰砂が本人と話したい、ってさ。あたしは絶対やめなって言ったんだけどね、聞く耳を持たないよ」
お婆は呆れ顔だが、内心弑流たちの方がその顔をしたい気分だった。
「……最初からそうなされば良かったのではないですか?」
レノが感情を抑えつつ言った。
「まあね。でも万が一が起こったら、って考えると出来なかったのさ」
「では、何故今になって?」
「そりゃ、あんたらが真横にいるからさ。辰砂は声が出せないから助けも呼べなくてね。でも、ここなら物音がした時にあんたらが助けてくれるし、念のために別の妓女も付けといたから、いざとなったら呼んでくれるだろうさ」
そう言われると、わざわざ西区くんだりまで来たことは一応無駄ではなかったと思える。……思えるが、今までの時間はどう考えても無駄と言わざるを得ない。
「でしたら、そのようにしていただければ我々もそれなりの準備をしてきましたのに」
弑流が出来るだけ穏やかに言う。今現在、弑流たちは丸腰だ。老紳士相手に遅れは取らないとは思うが、武装していた方がより迅速に制圧出来るのは言うまでもない。先にそれを言われていれば、小型の武器を持ち込めただろう。
「それを先に言ったら、あんたらは武器を持ってくるだろ? ここは妓楼だ、そんな所に武器所持で来られちゃあ溜ったもんじゃない」
「ああ、ハイ。それは、確かに」
お婆の言うことは一理ある。女しかいない場所に武装した男が入ってくることほど驚異なことはない。だが、それならそれでそう言えば良いだけの話である。
「ええと、では、何故あのお客様と対談させたのでしょうか? そのままお通しになれば良かったのでは?」
「あんたらは男だから分からないだろうけどね、女には準備する時間が必要なのさ。あの御仁はいつも朝一に来るからね、辰砂の準備が間に合わないんだよ。だからあんたらと会わせて話して貰ったんだ」
「要するに、時間稼ぎですか」
「そうだよ。それと、あの御仁を引き留めて貰うためでもあるけどね」
お婆は飄々と言ってのけた。半ば騙されるような形で来てしまった弑流たちにとっては腹立たしい限りだが、依頼主の期待に添えたという点ではこちらにもデメリットはない。時間が無駄になったことを除けばだが。
見た目通りやり手らしい。
部屋の外では男が辰砂を口説いている声が聞こえる。今のところ強引に誘っている様子はないが、時折落胆したような声が聞こえることからあまり上手く行っていないようだ。
「……お婆様は、もし辰砂さんがあのお客様に着いて行ってしまったらどうなさるんですか」
外の声を聞くために黙った弑流の代わりに、レノが聞く。
「なんだい、お馬鹿なことをお言いでないよ。あの子のことはあたしが一番分かってる。絶対着いて行かないさ」
「あのお客様も“着いてくるはずだ”と自信ありげでしたけど?」
お婆は片眉を跳ね上げた。
「……あの御仁は何て言ってたんだい?」
「外の世界を知らないし、何不自由なく暮らせるから問題はないって仰ってました」
レノがそのまま簡潔に伝えると、お婆は鼻を鳴らした。
「ふん。やっぱり何も知らないじゃないか。あの御仁に辰砂を口説くのは無理さね」
老紳士にも引けを取らない自信だった。
「その心は?」
「辰砂はね、住み込みじゃないのさ。身寄りのなかった妓女たちの中には住み込みもいるし、寮代わりに住んでる妓女もいるけどね、辰砂は違う。ちゃんと家があって、その家を支える為に働きに来てるんだ。それを外の世界を知らないだって? 笑わせてくれるじゃないか」
「…………。その生活に嫌気が差している、ということは?」
「ないね」
「その根拠は」
「なんだい、妙に肩入れするねぇ。そんなことしたって会わせないよ」
「別にいいですけど」
「可愛げのない男だね。まあいいさ。根拠はね、あの子の顔と態度だよ。やる気があるかないかは隠していても分かる。あたしだって伊達に責任者なんかやってないからね、見る目はあるんだ。やる気のない妓女なんて雇ってても仕方ないよ」
お婆がそう言いきった時、外から男の納得したような声と紙がカサカサ鳴る音がした。部屋の戸が開いて、男が入ってくる。
「管理人……と、警察局の方々。大変な迷惑をお掛けして済まなかった」
男は先程の自信溢れる姿とは打って変わって、神妙な顔つきで頭を下げた。心做しか体まで一回り小さくなったように見える。
これだけで、その場にいた全員が、男が辰砂にしっかりと断られたことを理解した。
「どうしたんだい、急に改まって」
分かっているくせにそんな質問を投げかけるのは、今までの仕返しだろうか。
「彼女には、正面から断られたよ。“ずっと家にいる女には、いつか飽きるものですよ”なんて言われてね」
「で、やめたのかい」
「いいや、そんなことはないと伝えようとした。そうしたら彼女、“欲しければ欲しいものほど、買った瞬間から興味がなくなるものです”と。……言われてみれば、買ってそのまま開けてもいないものが沢山あることに気付いたんだ。ぐうの音も出なかった」
「賢い女を相手にするなら、もっと内容を詰めて来ないとねぇ」
「全くその通りだ」
どこか清々しく笑う老紳士と、勝気に笑うお婆。何事もなかったことで仕事もなくなった弑流たちは、“もうこの二人がくっつけばいいのでは? 意外と、お似合いなのでは?”などとどうでもいいことを考えていた。




