第21話 辰砂
「レ、レノさん……?」
あまりにも普段と見た目が違うため、呆気に取られて本人とは分かっていながらも思わず疑問形になってしまう。知り合いだったのが、全く別の人間になってしまったかのような感覚だ。
注目を集めていた人間が目の前に来たことで、周囲の視線も自然と集まり、弑流は戸惑いを隠せずにしどろもどろになる。
一方のレノは周囲を気にしつつも、自分の容姿に関しては何の疑問もないようで、弑流たちの反応を訝しんだ。
「そうだけど」
「えっと……えっと、髪……染められたんですね……」
弑流が何とか言葉を絞り出すと、レノはああ、と自分の髪に触れた。
「そう。僕の髪、変な色で目立つから染めた。こんなとこで顔覚えられても嫌だし」
“髪染めてもその顔が見えている時点で覚えられると思いますよ”
弑流は思ったが、わざわざ言うことはしない。
「元の髪の色、自分は結構好きですけど、目立つのはそうでしょうね」
「……まあ、帰ったら流すし」
「それが良いと思います。それと、目の色、黒だったんですね」
「いや、違うけど黒にした。髪と目は同じ色の方が目立たないから」
「わりと目立ってるけどな」
「うるさい」
割り込んだ燐の声は小声だったがレノにはしっかり聞こえたらしい。不服そうに眉根を寄せた。
「それは君たちが遅いからでしょ。見るからに金持ちしかいないところに僕みたいな貧相なのがいたら目立つに決まってるのに、いつまで経っても来ないから」
“そっちで目立っていたわけではないんだけどなあ、本当に自覚ないんだなぁ”
弑流は若干言いそうになって、何とか言葉を飲み込んだ。
「それはすみません。まさか髪色などまで変えているとは思わず。素顔を拝見したのも初めてでしたので」
「む……まあ確かに説明不足だったけど」
レノはばつが悪そうにそっぽを向いて、ほら行くよ、と店に向かって歩き出した。弑流たちも慌てて後を追う。
彼が向かったのは店の正面ではなく裏側で、そのまま別の建物との間にある路地に入り、店の裏口とおぼしき扉の前に立った。入ることはせずその場で電話をかける。
「もしもし。遅くなりました、警察局です。…………はい。ご指定通り裏口の前にいます。……はい、よろしくお願い致します」
「あいつ、ちゃんとした敬語使えるんだな」
「いや、聞こえちゃうから……」
「別に悪口言ってるわけじゃない。僕が出来ないから素直に感心してるんだ」
おそらく依頼先と電話しているであろうレノの脇で、燐と弑流は呑気に話をしていた。
レノが電話を切ってから数分後、扉の内側で音がしてそこが開けられた。彼だけが顔を扉の中に入れて中にいる誰かしらと話し、それから弑流達に自分に続いて入るよう合図した。二人は促されるまま後に続く。
中は、裏口から入ったというのに外観に負けず劣らずの豪華さだった。
「よく来てくれたね。時間に遅れたのは気に食わないが、まあ及第点さね」
彼らを招き入れたのは、少々キツい印象がある老年の女性だった。猛禽類を思わせる目付きとハッキリした顔立ちで、若い頃は相当な美女だったことが窺える。現在は隙一つないやり手の経営者といった感じだ。
彼女は弑流たちを値踏みするように見ると、燐に目を留めた。
「そこのは子供みたいに見えるが、本当に役に立つのかい?」
「交渉の際には僕か彼が、武力行使となれば彼女が役に立つと思います」
疑い深い女性にレノが説明する。燐の見た目はおよそ成人しているとは思えないので無理もないことだが。
「ふん。まあ話をつけてくれるなら何でもいいさ。……おっと、そこの二人には言ってなかったが、あたしがこの妓楼の責任者兼経営者、そして今回の依頼主だよ。名前を教える気もないしあんたらに聞く気もないからね、あたしのことはお婆とでも呼んでおくれ」
不敵に笑うお婆に三人もそれぞれ挨拶した。提案されたとはいえ初対面の高齢女性に突然お婆と言うのはさすがに憚られ、全員が“さん”や“様”を付けた。
「今日もあの客はうちの辰砂を口説きに来るのさ。あの子に限らず、うちの妓女は売らないって何度も言ってるのにねぇ。全く、執拗いことだ」
お婆は広い館内を歩きながら事の顛末を説明しだした。
その話をまとめると、こうだ。
この妓楼は西区の繁華街で最も高級かつ貞淑な場所であり、娼館に付き物のいかがわしい行為は一切行っていない。客にも許可していない。また、妓女の身請けも行っていないため、どれほどの高値を出されても妓女を売ることはしないと客に了承を取ってから妓女に会わせている。
今回強引な身請けを迫られている妓女は“辰砂”という、この最高級娼館の中でも最も高級な妓女で、一般人は元より資産家の中でも限られた人物しか会うことは出来ない。
彼女に会うためには、まずお婆のお眼鏡に適うことから始め、お婆の許可が出たら彼女が選んだ妓女と会うことになる。二回目からは自分で妓女を選べるが、この時点ではまだ辰砂を含む位の高い妓女を選ぶことは出来ない。
そうして何度も通ううちに、徐々に選べる妓女の位が上がっていき、最終的にようやく辰砂との目通りが叶う。
が、一度だけでは顔を見ることも出来ず、御簾で仕切られた部屋で御簾越しに対面し、目の前にいるのに手紙でやり取りをする。それでも、それを何度も繰り返した客だけ、辰砂の顔や彼女の舞、楽器の演奏などを見ることが出来るという。まさに雲の上の存在だ。
辰砂に会えるだけで相当な額を積んだお得意様で、資産家なのは言うまでもない。最初に了承を得たとはいえ断りきれないのは道理だろう。
「そうまでしないと会えないなんて、辰砂さんは余程綺麗な人なんですね」
弑流は廊下にある調度品の数々に目眩を覚えながら呟いた。
「ああ、そうさ。あの子は唯一あたしがスカウトした子じゃないんだ。向こうから“売ってくれ”って頼みに来たのさ。家が貧乏みたいでね。そんなぽっと出、ここでは扱えないと断ろうとしたけどね、でも出来なかった」
「綺麗だったから、ですか?」
「そうさね。あたしがあんなに頑張って集めた妓女たちが纏めて霞むくらいだった。本当に悔しかったさ。だからあたしは“芸が出来ない妓女はいらない”って言って追い出した」
「追い出したんですか!?」
「ああ。少しムキになったのもある。だが、一番の理由はあの子が喋れなかったことだ。うちは顔だけの女を揃えているんじゃあない。芸も接客も出来なきゃ話にならない」
「でも、今は一番の妓女ってことは……」
「あの子、あたしがやれと言った芸を、全部やったんだよ。しかも完璧にだ。出来なかった芸は、追い出す度にすぐ覚えてまた頼みに来る。最後にはあたしが根負けしたのさ。で、あれよあれよと上り詰めて今では西区一の高嶺の花さ。喋れないことなんて何の障害にもならない。全く、大したものだよ」
お婆は言いながら一つの部屋の前で止まる。良い香りのする引き戸を開けて、中に入るよう促す。
「ほら、着いたよ。ここで待っていてくれたらあの客が来るからね、頼んだよ」
「当の辰砂さんには会えないのですか? 被害者のはずですが」
今まで弑流が喋っていたので、ずっと口を噤んでいたレノが聞く。それを聞いたお婆は鼻を鳴らした。
「何言ってるんだい。あんたらは一銭も払わない上にこっちが依頼料出してんだ、会わせられるわけないじゃないか。そんなことをしたらうちの信用がガタ落ちだよ。あんたらは客の方に会って説得しておくれ」
「分かりました」
レノは無表情で答えるが、もしここが依頼人の前でなかったら舌打ちの一つや二つしていたことだろう。
静かに苛ついているレノをハラハラして眺めながら、弑流はお婆に話しかける。
「お婆様、少し気になっていたことなんですが、身請けを迫られる以外に何かされたことはないですか? 密室ですし、他に困ったことがあれば聞かせていただければ」
「気持ちは分かるが、浅はかな質問だね。うちは大事な妓女に手を出すような輩は入れないよ。そんなことをすればこっちは大々的に情報を出すから、その客も生きてはいけないだろうし、誰も得がない」
「なるほど……」
「それに、辰砂はそんな気すら起きないような上玉だ。ただ会えるだけで満足できるようなね。だから、その心配は余計なお世話だよ」
もしかしたら依頼は建前で、何か手を出されたとかではないのかと思ったが杞憂だったらしい。




