第16話 家
「逃げられた……んですかね?」
シャルルの素朴な質問には誰も答えなかったが、いないということはそうなのだろう。たまたま外出していた可能性もなくはないが、数値としては低いと言える。
「勘の、良い相手だったんだろうな」
聖が全員の心中を代弁した。
「はい。自分もそう思います。…………しかし、そうなると呪術師は捕まった燐を見捨てたということなのでしょうか」
弑流は自分とそう歳も変わらない少女の境遇を案じて眉を顰めつつ、彼女が呪術師から解放されたということだろうかと期待の眼差しを浮かべる。
「うーん……どうでしょう。俺は自分の武器はそう簡単に見捨てないと思います。その人本人じゃないので何とも言えませんけど。やつが一時的に待避して燐さんを取り戻す機会を窺っているっていう方が、どちらかと言えば信憑性は高いと思います」
シャルルは小さく首を振った。ここにクローフィがいれば、”自分の印が入った式神を手放すわけないから、危険を察知して逃げただけ”と言っただろうが、ここにいる面々ではちゃんとした結論は出せなかった。
「ひとまず、ここは封鎖して調査は然るべき所に任せましょう。俺たちでは手に負えませんし」
彼はそう付け足して、この家の玄関の鍵を内側から開けに行った。開けたままにして応援を呼び、次回は玄関から入れるようにするためだ。
その間他の三人は、興味深そうに室内を見渡し、荒らさない程度に物色していた。元々家具以外の物が少ない家で、家具すら置いていない部屋もあるくらいだったため、物色先は自然と引き出しの中や本棚になる。
燐がいたと思われる部屋の本棚には、古びた子供向けの絵本からつい最近の小説、図鑑等々多岐にわたる種類の本が入っていた。先程見た本棚には呪術関係の本が入っていたため、この家に入るために窓を割った部屋が呪術師の寝室だったのだろう。
引き出しの中は何ら変わったことはなく、主にペンやらメモやらの文房具が入っていた。
「アレ以外普通の家じゃん」
レノが若干面白くなさそうに呟いた。弑流はそうですね、と返事をして、シャルルの帰りを待つ。レノの言うとおり鉄格子と呪術書以外は全く普通の家だったので、もう見るべきところがなく手持ち無沙汰だった。一応先輩達の手前、暇そうにぶらぶらする訳にもいかないので直立不動の体勢をとっているが、暇なことには変わりはなかった。
同じく何もせずに立っていた聖が、急に思い出したように携帯電話を取り出す。遠慮がちに弑流に近付くと、
「これ、持ってますか……?」
と自分の携帯と弑流を交互に指さして言った。薄い本体に大きな液晶が付いた、画面を直接触って操作できる高性能な携帯電話は、この国では持てる人が限られている。値段が高いこともあるが、電波の問題もある。中央区は何処も問題なく通じるが、他の区では通じない場所もあるため買っても使えないのだ。有線の固定電話なら一般家庭に一台のレベルで普及しているので、他区はそれを使っていることが多く、またそれだけで事足りる。
警察局員や医者など職業によって出先で必要な場合は大抵が局や院から支給されるが、武器同様、弑流はまだ支給されていない可能性があるので、聖はそう聞いたのだ。
弑流には丁度今朝届いていたため、
「はい、持ってます」
と取り出して見せた。聖はほっとしたように目を伏せて、
「現場部に連絡していただけませんか」
と懇願した。
「大丈夫ですけど……」
どうして連絡するのか。弑流が皆まで言う前に、聖が口を挟んだ。
「ここを調べて貰うために封鎖して貰わなければいけないので、電話をしたいんですが、その。俺が電話をするのは憚られるというか、電話しづらいというか…………」
目を泳がせてそう言う彼を見て、
(ああ、電話で話すのが苦手なんだな)
と察した弑流は、
「分かりました、自分がかけますね」
そう返事をした。申し訳なさそうな聖を見て軽く笑いかけると、彼は一度驚いた顔をした後、微かだが初めて笑顔を見せた。笑うと目元が優しくなり、いくらか若く見える。
弑流が電話で応援を呼び終わった頃、シャルルがようやく戻ってきた。
玄関を開けた後、扉が閉まらないように固定して、更に敵がいないか周囲を見てきたらしい。頭に葉っぱが付いていた。
それから数分後には現場部が到着し、警察局員以外が寄りつかないように処置がなされた。弑流がこれを見るのは二度目で、現場部が弑流を見るのも二度目だった。彼らの反応は”またこいつか”という顔をするものとまるで初めて会ったかのように接するもので二分された。当たり前だが全員同じ面子という訳ではないので、本当に初めて会う人もいた。
彼らがいればその他の処理や調査は彼ら自身がやったり、他の部署に委託したりしてくれるので、弑流たち四人はお役御免だった。これ以上ここにいる必要もなくなり、彼らに軽く挨拶をして家を出る。
結局得られた情報は『ここは情報通り呪術師の家だった』『危機察知能力が高い』『意外と綺麗好き』などといったどうでもいい微々たるものだけだったが、弑流としては何も起こらなかったことが有り難くもあった。捜査部では猫探しのつもりがあんなことになったため、ここでも何か起きたら真剣にお祓いを考えていたかもしれない。
ほっとした表情の黒髪の青年と、大型犬の様な男と、顔の見えない人間と、無精髭の男が――主に前者二人が――談笑しながら自分たちの車へと戻っていくのを、一人の男が見ていた。
金髪でピンクの目をして眼鏡をかけた、氷のような無表情の男が見ていた。




