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虚偽を謳う獣たち  作者: 弟切 湊
file.4 フォビア
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第18話 矢面


「――というわけで、初めて一人で他部署と仕事をすることになりまして」


 仕事終わりにネガの病室にやってきた弑流しいなは、差し入れを渡しながら事情を話した。今日の差し入れは棒状の乾酪かんらくだ。乾酪は牛乳を発酵させて固めた後、水気を切った固形の食べ物で、ほんの少し癖がある。ネガが好きな発酵乳に似ているため、もしかしたら好きなのではと食材店で買ってきたのだ。


「ありがとう。ん、初めて? オレと初めて会ったときも、一人だったけど」


 病室に置いてあるカメラに一瞥をくれる。


「あれは現場でだけで、なので。実は他の皆さんも建物内にはいたんです。でも、今回は出発から自分一人ですから」

「ん、なるほど。――えっと、これって乾酪だよね? 食べるのは初めて。どう食べる?」

「そのまま囓るで大丈夫ですよ」


 乳白色で棒状の固体を黒白の目で不思議そうに見つめ、スンスンと香りを嗅ぐ。半信半疑の目で弑流を見た。香りがそれほど良くなかったらしい。普段は抜けている割に、口に入る物に関しては案外用心深い。今思えば、喫茶店でも同じメニューを順繰りに頼んでいた。

 安心させるために乾酪の先を少し切って食べて見せた。それをしばらく観察したネガも、やっと食べ始める。比較的食べやすい種類を選んだため、それほど抵抗感はないはずだ。


「んー、匂いは変だけど、味はおいしい」

「良かった、人によっては苦手な方もいるので」

「そっか。うん、おいしいよ」


 もぐもぐと口を動かしながら、それで、と切り出す。


「一人で行くの、不安?」

「あ……分かりますか? 実は、ちょっとというか、かなり緊張していて。今晩寝られるか心配です」


 弑流はあはは……と情けない笑みを浮かべる。


「それ、明日から?」

「ええ。部長が局長に話したら即決まったらしく。ひじりさんの作った調査依頼書が早速配られて、しかも人員がすぐ集まったそうです。かなりの募集人数だったのに。さすが局長、一声が強力です」


 調査部からの依頼ならこうは行かなかったに違いない。悲しくも断言できてしまう。


「おかげですぐ調査が進みそうです。それは有り難いんですが。心の準備がなかなか出来ず」


 部署名で既に風当たりが強いこと自体、ハードルが上がってしまう。

 ネガへの見舞いは定期的に来ているが、今日も来たのは緊張を和らげるためでもあった。あっけらかんとした彼に会えば、緊張も少しは和らぐと思ったのだ。

 ネガは無言で弑流を見上げて、自分の横にある椅子をポンポンと叩いた。横に座れと言いたいらしい。示されたとおりに座ると、彼は満足そうに口を開いた。


「うん。オレも一人は嫌。人の目、ってさ。一回刺さったら、なかなか抜けないから」


 軽さを感じる口調ではあるものの、その重さは十分理解出来た。ネガと過ごした数日間を思い出す。飄々としている故、失念しがちだが、嫌じゃない訳がない。


「ですよね。それでも人目のあるところに行かないといけないとき、どうされてますか?」

「言っちゃうと慣れ、なんだけど。アドバイスなら、うーん、強くなった気分、かなー」

「と言いますと?」

「誰に何を言われても、『でもオレ、関係ないし』って思う。大事なことはもちろん聞くけど、聞かなくて良いことなら、聞かない」

「俺――あー、自分でも出来ますか?」

「うん。理不尽なら『だから何?』って思うといいよ。右耳から入って、左耳から出て行ってもらう」


 感覚的なものかと思いきや、きちんとしたアドバイスだった。所謂いわゆるスルースキルというやつだろうか。ネガの場合は性格的なものもあるだろうが、工夫して対処しているらしい。


「すごい! 参考になります」

「使えそう?」

「使えそうです」


 実際使えるかはさておき、対処法があるのとないのとでは心持ちに大きな差がある。


「レノたちのために頑張った。でしょ? なら、あと少し頑張れ、だよ」

「ありがとうございます。頑張ります!」

「うん」

「あ! それから、ネガさんたちフルム人のためにもしっかり任務してきます」

「うん。ありがと」


 ネガの唇から八重歯が覗く。

 不安が完全に消えたわけではない。それでも、かなり心が軽くなった。

 さて、と居住まいを正して、


「時にネガさん、傷の具合はどうですか?」

「ん、たぶん治ってる? かゆい」

「痒いんですか?」

「なんかこう、むずむずするというか、痛がゆい。触るとにぶい感じ」

「それって大丈夫なんでしょうか?」

「お医者さんは治りかけって言ってた」

「なら大丈夫ですね。ほっとしました」

「次はリハビリってやつを頑張らなきゃいけないんだって」

「りはびり?」


 聞き慣れない言葉だったので聞いてみると、どうやら原状復帰するのに訓練がいるらしい。

 人間の筋肉は使わない状態であればあるほど、どんどん体から減ってなくなっていく。入院中のようにずっとベッドの上状態だと、数週間後には立てなくなるそうだ。そうした筋力の低下から復帰するために、リハビリという運動があるらしい。


「もしかして、痛いんですか。それ」

「いや、ベッドの上ではそれほどでもない」


 今までは寝返りを打つとか、軽いストレッチやマッサージをするとかを行っていた。それが”立って”行う場合、だるさや間接の痛みなどと闘いながら歩いたり段差を乗り降りしなければならない。そういう意味で『頑張らないといけない』ようだ。


「寝てたら治るってわけでもないんですね」

「みたい。ねえ、明日からので成果が出たら、オレにおしえて。それ聞いて頑張る」

「えー! 急に責任が……! うっ、何とか伝えられる成果を出せるように頑張ります……!」


 レモンを食べた時のような顔をしながら、弑流はネガと約束した。



 病室を後にして寮に帰り、次の日の支度をする。

 明日は局の駐車場集合で、そこから班に分かれて行動となる。つまり班分けに全てがかかっている。願うことなら普通に接してくれる人だけで固まりたい。


 早々にシャワーを浴びて、買っておいた夕食を温める。緊張で腹痛を起こさないように、お腹に優しい『発酵乳の餅汁』にした。モチモチとした白くて弾力のある丸餅と数種の野菜を、発酵乳で煮込んだ物だ。発酵乳のみだとまろやかで少々味気ないが、この料理には香辛料や香草、調味料が入っていて優しい辛さだ。腹持ちがいいように時間をかけて食べる。

 温めるのに使った鍋と皿だけを洗い、寝床につく。寝間着も寝やすい素材のものを選んだ。

 端から見ればここまで気を遣うのか、と思われるところだろうが、弑流にとってはそれだけ気が重いことだった。



§―――§―――§



 翌日。


(ね、寝られなかった……)


 結局気遣いが徒労に終わった弑流は、もそもそとベッドから起き上がる。意識を失うように数時間寝られたのみだ。妙に悪い夢見の合間、途切れ途切れに見上げた天井が脳裏に焼き付いている。目覚ましも要らなかった。

 朝から憂鬱な気分で寝間着を脱いで、洗面室で顔を洗う。鏡に写る顔は、心なしか目の下が少し黒くなっている。対象的に、目だけは冴え切っていた。


 すっかり慣れ親しんだ調査部ではなく、今日専用の集合場所へ向かう。局の裏手にある駐車場だ。普段は警察車両が停められていて、緊急時や外回りの時以外は縁がない。そんな場所で知らない人たちに会いに行くのは、些か気が滅入る。しかも部署名で針のむしろになるかと思うと尚更だ。

 着いてみると、既に多くの局員でごった返していた。心細さも含めて入局式以来だ。局長が声をかければこんなにもたくさん、尚且つすぐ集まるのだと実感する。普段からこうであってほしいものである。


 車庫付近で指導役の数人が指揮を執っていた。来た人から資料を受け取り、そこに書いてある班での行動になるらしい。とりあえず端の方に陣取って、資料を確認する。担当は東区。班はC班だった。

 早く目が覚めてしまったせいで、資料を読み終わっても時間が余った。落ち着かないまま待って、規定の時間にアナウンスが入る。指導役が拡声器で区ごと、班ごとに場所を指定した。ざわざわと散らばっていた局員達が、徐々に区分けされていく。弑流も流れに従って歩を向けた。C班は見たところ女性が三人と男性が四人のようだ。同じ部署出身なのか、一組の男女が盛んに喋っていた。


 鼓動を抑えつつ、そっと合流する。当たり前だが知り合いはいない。今だけでもシャルルのような社交性が欲しかった。彼のあの明るい笑顔とハキハキした喋りは、どんな相手でも打ち解けられそうだ。自然体なので誰でもすぐ出来そうに見えるが、その実、誰にでも出来る訳ではない。

 どうせ数日間の付き合いだし、と会話を避けるために、少し離れた位置へ。会話する必要があるときだけ会話すればいいだろう。そうしていれば、部署名も聞かれないかもしれない。――そんな気持ちで気配を成る丈消して、全員の視界に入らないようにする。

 ところが残念なことに、男性のうち一人が目ざとく見つけて近寄ってきた。


「貴方もC班ですか?」

「えっと、はい」

「おひとりですか?」

「はい。そう言うあなたも?」

「ええ。同部署の人と班が分かれました」


 年配で落ち着いた雰囲気だ。話しやすそうでもある。弑流が端の方で肩身が狭そうにしているので、気を遣ってくれたらしかった。正直要らぬ気遣いではあったが、この人を味方にすればむしろ円滑にいくかもしれない。


「部署を聞いても?」


 と期待した矢先、早速言葉の拳が飛んできた。それはそうだ、最初の挨拶として最も妥当な質問だからだ。弑流が相手の立場でも、同じ質問をするだろう。

 相手にとってはただのコミュニケーションだが、これに素直に答えてしまったら、一瞬で関係が終了してしまう可能性がある。それだけは御免だ。そんなわけで、


「捜査部です」


彼にしては珍しく、しれっと嘘をついた。一日だけ所属していたので、完全な嘘でもない。罪悪感は少なくて済むし、平静も装えたはずだ。

 しかし悲しいかな、弑流が返した言葉は悪手だった。男性が怪訝な顔で疑問符を浮かべる。嫌な沈黙が流れ、弑流の体にもじんわりと嫌な汗が滲む。


「私も捜査部なのですが……はて、貴方を見た覚えがありません」


 一番聞きたくない言葉が聞こえて、弑流も黙らざるを得ない。誰もいなければ天を仰いでいたところだ。つくづく嘘は向いていないらしい。脳内で嘉月カゲツが『君は嘘が下手だな』とくつくつ笑っている。


 捜査部は警察局内でも大きな部署だ。署員の母数が多ければ当然他の任務で会う機会も増えるし、大規模な作戦であれば尚更だ。話しかけた相手が捜査部署員である確率も必然的に上がるわけで、この嘘はリスクが高かった。ここは除け者にされるとしても素直に答えた方が好手だったのだ。


 初対面で嘘をつく相手など信頼に足らなくなる。すぐに弁明しなければ。

 消えたくなるような沈黙を早く破りたいことも考えれば、適当に何か言って誤魔化せば良いだけのことだ。一時停止した思考を軽く回す。

 『捜査部と調査部を言い間違えた』。これで行こう。


「すみません、緊張して噛んでしまいました。本当は――」


 調査部です、と言いかけたところで突然後ろから肩を叩かれた。タイミングが良いような悪いようなだが、どうせならもう少し早く叩いて欲しかった。今日は何事もままならない日だ。運勢が悪いのかもしれない。先行きが不安である。

 困惑しながら振り向く。弑流の目に映ったのは、ニカッと明るい笑顔だった。同部署の人がいない場で肩を叩くのは一体誰か、と疑問が湧くのと同時に、そのもはや懐かしい笑顔が走馬灯のように駆け巡る。


「せ、先輩!? お久しぶりです……!」

「おお、やっぱりそうだ! 久しぶりだなぁ」


 顔がカッと熱くなるのを感じた。

 たったの二日間。猫を一緒に探しただけの間柄。だが、一緒に遺体を見つけてしまい、結果的に調査部に入るきっかけとなった人だ。世話になった先輩の局員でもある。

 懐かしさのあまり、直近の問題は一瞬で脳みそから弾き出されてどこかへ行ってしまう。部署も変わったし、もう二度と合わないものと思っていた。

 先輩局員も「おう!」と言いながら笑顔で肩をバシバシ叩いてくる。じんわりと痛い。


「驚いたなぁ、後ろ姿でもしや? と思ったが、本当にそうだとは。なんか大きくなったように見えるぜ」


 別れてから一度も会っていない上、かなり色々なことがあった。式神やら呪術師やらのこと、虐殺事件に窃盗事件。普通であれば直面しないようなことばかりだ。自分では実感がなくても、見た目的に成長しているのかもしれない。


「ありがとうございます。お陰様でもうかなり慣れました」

「そりゃ良かった」


 嬉しそうにニコニコしている先輩局員と、しばらくの間他愛もない話をする。先輩局員は別に同じ班という訳ではなく、たまたま通りがかっただけらしい。集合する時間もあるので、お互いの近況をさらっと聞き合った。話が長くなるのを防ぐため、自分の身にあった様々なことは黙っておく。無駄に心配をかける必要もないだろう。


「ああそうだ、拳銃の携帯許可も降りました」

「おっ、もうそんなところまで来たか! あの訓練大変だったろ? 俺ん時は鳥だったからそれよりかはマシだと思うが」

「ええ、あんな訓練があるなんて。心を鍛える的な話でしたけど、ちゃんと効果はあるのでしょうか?」

「そりゃもちらんだ。しかもそれだけじゃなく、不適合者を弾く効果もある」

「不適合者?」

「ああ。相手が鳥や魚であっても、命を軽んじるやつには銃器は持たせられないからな」

「なるほど……」


 弑流のように気分を悪くするのは一般的な反応だ。むしろ、慣れていないのであればそうでなくてはならない。初めから淡々と何も感じずに捌ける人間は黄色信号、嬉々として絞めるタイプや軽いノリでやってみせるタイプは赤信号である。銃を持ってはいけない人間の可能性があるからだ。


「とりあえず。元気そうで良かったけどよ。でも、心配してたんだぜ? 急に調査部に異動になったって聞いたからさ」

「えっ?」


 訓練の意味を噛みしめているところ、不意な言葉に片眉を上げる。


「せっかく後輩ができたと思ったのに、すぐ異動になっちまっただろ? オレは残念で寂しいってだけで済んだが、お前は大変だったろうなぁって」

「あ、ああ、それはそうですね。まあ、あんなことがあったので、仕方ないとは思いますが」


 『急に異動になった』や『聞いた』という人づてな言葉を不思議に思いつつも、言葉の綾だろうと流す。猫探しの末にリンと戦うことになり、結果あの遺体を発見したのは弑流と先輩局員の二人だ。当然、異動になった理由も知っているはずだし、例えそうでなくても簡単に推察できる。

 しかし、


「あんなこと? まあそうか。災難だったよなぁ。配属間違えで(・・・・・・)捜査部に入れられた上に、その初任務で事件現場に出くわしたなんて」

「え……?」


小首を傾げつつ言われた言葉に、本格的に困惑せざるを得なかった。まるで遺体など見なかったかのような。心配そうながら困惑気味で、弑流と同じ重みを抱えてなどいないような。

 中でも一番気になる単語は、


(配属間違え? そんな話聞いてないけど)


 聞いたのは、『式神の存在を聞いてしまえば元の部署には戻れない』『よって弑流は別部署に異動することになった』ということだけだ。部署内ではそういう話があったのだろうか。そうだとして、当事者の弑流が何も聞かされていないのは不自然に感じる。もしかすると式神の存在を隠す上での対外的な説明に使われたのかもしれないが、それも「配属間違え」などではなく、単に「惨殺遺体を見つけた関係で異動」とする方が自然に思える。あの遺体は体中に刺し傷があり、局が追っている連続殺人とも関係があった。他の局員達に隠す必要もないはずだ。

 それとも、今この場では誤魔化しているだけだろうか。周囲には大勢の局員がいるし、確かにここで話すことでもない。

 悶々としつつ一人で納得している弑流を見ながら、先輩局員が不思議そうに続ける。


「なんだ、聞いてないのか? ほら、お前が遺体見て腰抜かしてたところにオレが駆け付けて、そん後は現場部に任せて一緒に帰ったろ? で、先に帰って休めって言った後、オレだけ捜査部に戻ったら『配置ミス』だって連絡が来てたんだ。てっきりお前にも伝わっていると思ったがなあ」


 別段声を潜めるわけでもない。弑流が彼の発言との整合性を取ろうと何とか納得した部分はあっさり否定された。しかも発言内容に違和感がある。

 遺体は弑流だけが先に見つけたのではなく、先輩局員と一緒に見つけたのだ。むしろ先輩局員の方が先に見つけて、弑流に『見るな』と忠告してくれたのであった。それ以前に、弑流を襲ったリンを拳銃で追い払ってくれたのであって、そうでなければ腕の切り傷だけでは済まなかったかもしれない。

 そっと相手の顔色を伺う。目を数回(しばた)いてこちらを見ている。口をパクパクさせている弑流を疑問に思っているらしい。

 冗談や嘘を言っているようには見えないし、当然ふざけているようにも見えない。そも遺体関係の話でふざけるような人ではない。なのに、どうも弑流の記憶と食い違う。

 弑流の記憶違いという可能性もあるが、あの印象的すぎる一連の流れを忘れるだろうか?

 奥歯に何か挟まったような顔になるのを堪えて、最も当たり障りのないところをつついてみる。


「えっと、次の日局長――じゃなくて、捜査部長からのお手紙を渡してくださったじゃないですか。その時までは捜査部だった記憶があるのですが」

「ん? 手紙なんて渡したか? ああ、でも昼飯を一緒に食ったのは覚えてるぜ。異動後すぐは慣れないだろうと思って、飯は一緒に食おうぜってオレが誘ったからな」

「異動後……でしたっけ?」

「そうだが、どうした?」


 思わず黙ってしまう。

 配属間違えの話は弑流に説明されていなかっただけかと思ったが、明らかに話に齟齬がある。

 弑流の記憶では、”同じ部署で指導者だから”一緒に食事をしたはずだ。そしてそこで捜査部の部長からだと言って手紙を渡された。その時貰った手紙が局長からであり、指示通りにクローフィの診療所に向かった時、『式神のことを聞いたら部署異動になる』と話があったのだ。食事の時に既に弑流が異動していたとなると、全く話が噛み合わない。

 その後局長と会って直々に部署異動を命じられたので、配属ミスならミスだとそこで言うのではないだろうか。

 そもそも異動後に昼食に誘ったというなら、弑流が調査部の部署内にいて、そこに先輩が誘いに来る流れが必要である。そんなことは記憶上絶対になかった。


 あるとすれば、可能性は二つ。先輩局員にとって、あの時の記憶はそれほど重要ではなく、記憶違いがある。もしくは、当時の精神状態やその後の任務のせいで、弑流の記憶が錯乱している。

 ただ当時、燐やクローフィと話した内容には齟齬がなく、時系列的にも間違っていなかった。どちらかといえば相手の記憶違いの方が可能性としては高い。


 それにしたって、『あんなこと? まあそうか。災難だったよなぁ』はあんまりではないか。あれほど酷い惨殺遺体はそうそうない。忘れようとしたって忘れられるものではないのに。

 あの事件後にすぐ異動になったため、先輩局員とはほとんど事件の話が出来ていない。他の人とすることもないだろうし、それで忘れてしまったのだろうか。前提として、彼のような厚情な人があのような滅多刺しの遺体を『あんなことか?』と疑問に思う時点で、かなり不自然ではあるのだが。


「ああ、いえ。その……忙しかったからか、当時の記憶が曖昧になってしまっているみたいです」


 ははは、と誤魔化すと、先輩局員は心配そうに眉を下げた。


「大丈夫か? 当時の遺体、かなり酷かったって話だもんなあ。ショッキングなものを見た時、自衛本能で記憶がなくなったり、早く忘れるために根を詰め過ぎたりすることがあると聞く。精神衛生上、そういうことがあってもおかしくない。無理し過ぎちゃ駄目だぞ」

「えっ、先輩は見ていないのですか? 遺体」

「ん? ああ。だって、腰を抜かしたお前を現場から離すのが急務だったからな。俺が見るより、現場部に任せた方が早いし」

「そう……ですか。あの、じゃあ、遺体を見つける前に誰かに会ったりしませんでしたか?」

「ああ、特には。なんだ、誰かいたのか?」


 今の弒流にとっては、この彼の反応の方が余程ショッキングだった。さあっと血の気が引いてしまうような感覚だ。遺体の詳細を忘れているならまだしも、見てもいない、などと。明らかに記憶が違うではないか。しかも燐との遭遇は最も印象的で忘れようがないことで、それすら『誰かいたのか?』と言われてしまったことに愕然とした。

 ちょうど今先輩の口から出た自衛本能の話をそっくりそのまま返したくなる。再会が嬉しかっただけに、本当は知らない人に話しかけてしまったのではないか、という気になってくる。

 震えそうになる声を抑えて、平静を装う。


「えっと――いや、多分これも勘違いでした。あの、確認のために色々聞いてもいいですか?」

「もちろんだ。……っと、そろそろ集まらないとだから、手短になら」

「ありがとうございます。当時、先輩は拳銃を撃ったりはしましたか?」

「拳銃? いいや、撃ってない。猫探しだったし、撃つ必要もなかったしなぁ。あと知っての通り拳銃には、安全を守るために厳重な決まりがある。撃った後はどこで何に何発撃ったか申請して、拳銃も一旦預ける。残弾数と申告数等々が合わなきゃ事情聴取だ。だから、面倒を避けるためによっぽどの事がなきゃ撃たないな。ほら例えば、お前が襲われたとかな」


 時計を度々気にしながら、顎に手を添えて真剣に答えてくれる。どことなく心配そうなあたり、弑流の精神状態を気にしているらしい。


「じゃあ、銃弾が減っていた、なんてことはなかったんですね」

「そりゃあそうだ。そんなことがあったら大問題だぞ。帰った時、拳銃はもちろん全弾装填されていた(・・・・・・・・・)。気になるなら、備品管理部に問い合わせてみたらいい。当時の記録も残っているはずだ」

「…………。となると、これも別の記憶が混じっているかもしれません。あとは――」


 バクバクと鳴る心臓を落ち着かせて、薄ら残る腕の傷を見せる。痕が残る切り傷なんて、後にも先にも燐に付けられたこれしかない。


「この傷って、見覚えあります?」


 傷跡を見つめた彼が目を細めた。しばし考えて顔を上げる。


「いいや、ないな。でも確か入局初日にはなかったよな? ってことは、異動後に何かで切ったんじゃないか? 痕が残っているようだが、よく覚えてないってことは異動しばらくの忙しい時期かもしれない」


 視線は真っ直ぐで揺らぎもなく、その奥底には弑流を心配する色が見える。『記憶が混濁している後輩』が少しでも当時の記憶を整理できるように、真摯に答えてくれているようだ。


「分かりました。すみません、先輩。もしかしたらその後の色んな任務と記憶がごちゃ混ぜになっているのかもしれません。異動してからも結構色々あったんです」


 話の通じなさに落胆して肩を落とす。先輩の目には色々と思い出せなくて落胆しているように見えることだろう。落とした肩をポンポンと優しく叩いてくれた。


「そうか……そうだよな。移動先の話、たまに流れてくるが、よくもまぁあの小さい部署で難しい事件ばかりあたるものだ。今回の作戦にも参加するんなら、全部終わってからでいいから一度休みを貰え。きっと疲れているんだろ? 無理は禁物だぞ」

「ええ、ありがとうございます」

「気にするな。にしても、上は何をやっているんだ? こんな若くて入りたての子があんな酷い遺体を見たら、精神的に後遺症が残ってもおかしくないのに。それを今まで放置だなんて」

「や、大丈夫ですよ。確かにショッキングでしたけど」


 当時の遺体の様子は脳裏にこびり付いてはいる。しかし実のところ、その後村で数々の遺体を見る羽目になったり顔見知りの男性が目の前で事切れたり、それを起こした犯人が真横に住んでいたり、知り合いが刺されたりと、精神的な負担が多すぎた。その結果、少し衝撃が薄れてしまっている。意図的に思い出すことは出来るが、気分が悪くなるだけのためやる意味もない。

 故に『大丈夫』と発言したのだが。


「自分は大丈夫だと思っていても、体や精神面で不調を来すのはよくあることなんだ。なのに、異動後も記憶が混ざるくらい任務を回すなんてなあ」


 そんな彼の言葉も、その通りな気がした。無論、どの事件も局が回した訳ではなく突発的なものであるため、誰も責めることは出来ない。

 たった二日しか交流がなかったというのに、本気で弑流を気にかけているようだった。まだブツブツ言っている彼を見ながら、優しいなと思っていると。会話途中で完全に蚊帳の外になった捜査部の男性が話しかけてきた。


「さっきの話、少し聞こえてきましたが、最初は捜査部だったんですね。今は違うのであれば、今の部署を聞きたいです」


 そういえば、部署をつい偽ったのだった。先輩局員の登場で有耶無耶にはならず、しっかり聞かれてしまった。こうなっては素直に答えるしかない。


「”調”査部です」

「調査部? なるほど。確かに紛らわしいですね」


 最初の不審な目線はどこへやら、目を細めて優しげな笑みを向けてくれる。元同部署、しかも知り合いの部下だったと分かって気を許してくれたのだろう。かつての先輩との会話で心穏やかではない弑流にとって、その態度はありがたいことだ。

 その間しばらく唸っていた先輩局員が、その男性に話しかける。


「聞こえたかもしれないが、彼はオレの初めての後輩なんだ。初日から色々苦労してる。代わりに見てやってくれないか」

「言われなくても。一日だけとはいえ、私の後輩とも言えますので」


 簡単に会話して、弑流に『きちんと休めよ』と言い残して足早に去って行った。弑流も手を振り返す。

 彼との食い違いは一体なんだったのだろうか。考えても仕方のないことだが、妙な気持ち悪さが残った。

 帰ったら燐に当時のことを聞いてみるか。そう考えて、一度気持ちを振り払う。


「それにしても、なんというか貴方は――苦労しているのですね」

「はい?」

「本来なら殺人現場なんて滅多に見ないでしょう。それに、調査部と言えば今や『少数で規模の大きな事件に対処している』ことで有名です。当然回ってくる厄介ごとも多いはず。休んでいる暇なんてないでしょうから」

「ゆ、有名……?」

「ええ。まだ表立って騒がれたりはしていませんが、きちんと回覧を読んでいる局員の中では少しずつ噂になっています」

「そうなんですか? それは何というか、有り難いというか、気が引けるというか」

「良いことですけどね。まあ、以前から署員が曲者(くせもの)揃いという点で有名ではありましたが。そこも苦労しているでしょう? 貴方は比較的”普通”そうですし」

「あはは……正直、今日は周りから避けられるんじゃないかと不安でした。先輩たち、本当は凄く頼れて優しくて、良い人たちなのに、諸々の事情で風当たりが強いので」

「おや、これは失敬。他意はなかったのですが、良くない物言いでした」

「あ……すみません、自分も他意はありませんでした」


 ただ庇いたかったところ、嫌味を言っているようになってしまった。相手にも特に悪意はなかったようで、申し訳なさそうな顔をされた。

 タイミングを見計らったかのように、拡声器から閉口指示が出る。ざわついていた局員達が徐々に静かになっていく。拡声器の声が後ろまで聞こえるくらいになると、これからの行動について指示がある。

 簡潔に、受け取った資料の中から地図を用意し、それぞれの現場へ向かえということだった。

 A班から順番に出発していくのを待つ間に、簡単な自己紹介を済ませる。弑流が名前と部署名を言うと、皆一様に『えっ』という反応だった。こんな人いたんだという反応から、あの調査部かという反応まで様々。意外と負の感情は少なく、可もなく不可もなく淡々とよろしくという雰囲気だ。


「さて、では行きますか」


 C班の順番になって、捜査部の男性が声をかけてきた。班での行動ではあるが、八人のため二人一組で動く方が動きやすい。弑流のペアはこの男性になりそうだ。


 彼もそうだが、班員も良い意味で無関心だ。思ったよりも良い班に巡り会えたかもしれない。

 ネガが刺されたときに詰められたせいで他部署への印象は下がっていたが、当然こうした人たちもいるのだ。今朝の緊張は杞憂に終わりそうである。心配しすぎなくらいの方が、後々何もなかった時にホッとできる。

 これからリハビリが待っているネガのためにも何かの情報は持ち帰りたいところだ。聞き込みで多少でも噂の範囲が絞り込めれば良いのだが。

【はしがき】

『ヨーグルト』は個人的に違和感があったため、発酵乳に変更しました。投稿済みのものは時間がある時に修正します。

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