遅く起きた朝は
「……知らない天井だ」
「それ、ただ単に言いたかっただけですよね?」
アラタが、自身の独り言にすかさず返答した声の方向を見やると、僅か数センチメートル離れた所にメイドの顔があった。
「ぎぃぃぃぃやああああああああああああああ!」
こうしてアラタの異世界生活2日目がスタートしたのである。
「おはようございます魔王様。昨夜はよく眠れましたか?」
アラタは、驚きのあまり絶叫と共にベッドから転げ落ち、部屋の片隅で呼吸を整えていた。一方、アンジェは無表情で何事もなかったかのように朝の挨拶をしてきた。
「びっくりしたじゃないか! 朝っぱらから何するんだよ!」
「特別なことは何もしていないはずですが如何しましたか? それにそろそろお昼になりますので朝ではないですよ」
しれっと言いつつ、再び魔王に急接近するメイドの姿があった。今度は互いの鼻先が触れ合わんばかりの距離である。
「近い! 近い! 近いってば!」
逃げ場のないアラタは、顔が接触しないように、うつむきながらアンジェの肩をグイと押して何とか逃げようとする。
だが、両手にムニュッと今まで経験したことのない柔らかい物が触れていることに気付く。
(なにこれ。めっちゃ柔らかい。人体にこんな柔らかい部分なんかあったっけ? 少なくとも俺にはないはず。……あれ? もしかしてこれって……)
恐る恐る目を開けると、自分の両手がアンジェの胸を鷲掴みにしている光景が飛び込んできた。
「あら、魔王様。意外と大胆なんですね。まさか、いきなりこのように来るとは予想していませんでした」
アンジェは、全くたじろぐこともなく、ポーカーフェイスでアラタに返してきた。
その瞬間アラタの頭の中で妄想が広がっていく。
その中では、見出しが『自称魔王、朝からメイドの両胸を鷲掴み! セクハラの極み!』という新聞が大量にばら撒かれ、ニュースのインタビューには次々と顔にモザイクのかかった魔王軍の面々が現れて、「あの男はいつかやるとは思ったけど、まさかこんなに早くやるとはね。下手すれば私もやられていたかもしれないわね。変態魔王だわ」といった侮蔑的発言や「何かの間違いです。魔王様はきっとメイドに嵌められたんです」という擁護的発言が行き交う。
その妄想時間は僅か1秒。
妄想終了後、我に返ったアラタは、その場に残像を残す程の素早い動きでアンジェから離れ、彼女の後方に移動し土下座をしていた。
それは一瞬の出来事であり、アラタのあまりにも人間離れした動きを目の当たりにし、さすがのアンジェもビクッと動揺している。
「まっこと申し訳ありませんでしたーーーー! 何卒ご容赦下さい! 何卒!」
アラタは額を地面に擦りつけ、自分に出来うる最大限の謝罪の姿勢をみせていた。しかし、返ってきたのは意外な反応であった。
「顔を上げてください。別に私は怒っていませんよ」
「いや。だって、ほら。俺最低な事をしちゃったし。……普通怒るでしょ」
「私は魔王専属のメイドです。魔王様のためならば如何なる要求にも応えられる準備が整っております。もしご希望でしたら、先程の続きを行っても私は構いませんよ」
〝先程の続き〟を想像し顔を真っ赤にするアラタ。
(いやいやいやいやいやいや! さすがにまずいでしょ! 童貞には荷が重いよ)
しかし、そんなアラタの浮ついた心もアンジェのいつもと変わらない表情を見て、急速に冷めていく。
彼女は別に自分に好意を持って、そのように言っているわけではない。あくまで、『魔王専属メイド』の業務として言っているのだ。
「あのさ、アンジェさん。そういうのやめようよ。仕事とはいえ、自分の身体を傷つけるようなことしちゃ駄目だよ。特に、こんな会って間もない、よく知りもしない男なんかに」
予想外の発言に少し驚く様子を見せながら「分かりました」と頷くアンジェであった。
アラタは少し気まずい雰囲気になったものの、これで良かったのだと自分に言い聞かせる。
「やはり魔王様はあまり女性に慣れていないようですね。……分かりました! 今後、魔王様には女性というものを知っていただいたほうが良いかと思います。……一肌脱ぎます、私」
「脱がんでいい! 人の話聞いてた? 俺、さっき割といい話してなかった?」
「聞いてはいましたが説得力はありませんでした。お話し中、ずっと私の胸ばかり見ていましたし。本音と建て前とは、こういうことなのだと経験できました。……頑張りましたね、魔王様。ですが女性に興味津々な本音の部分が隠し切れませんでしたね。……あっ!そう言えば、忘れるところでした。朝食の準備が出来ていますので、洗面の後食堂にいらしてください。では、失礼します」
静かにドアを閉めて部屋を出ていくアンジェ。部屋に1人になったアラタは、自分のスケベ心を見透かされていたことの気恥ずかしさと後悔と初めて異性の胸に触れた衝撃で思考がめちゃくちゃになっていた。
(ああああああああーーーーーーー!! 惜しいことした! 何をかっこつけてんだ、俺は! はぁーあ…………でも、柔らかかったな。それに、手に収まらないサイズだった)
アラタが先程の出来事を思い出しながら両手をまじまじと眺めていると、部屋のドアが突然開き再びアンジェが顔を出す。アラタは声を出すことも出来ず、両手を眺めている状態のまま石になったように動けない。
「大事なことをお伝えするのを忘れていました。〝F〟です」
一体〝F〟が何のことを示しているのか分からず考えあぐねていると、メイドは情報を追加する。
「もしかしたら、今後魔王様の努力次第で〝F〟から〝G〟にランクアップするかもしれませんね。……では」
ドアを閉めて再びアンジェは退室していった。再び1人残されたアラタは、ふと手を見ながら再度アンジェとの密着事件を思い出し「あっ!」と声をあげる。
「Fってまさかそういうことか!? って随分すごいなアンジェさん!」
1人テンションが高くなっているアラタ。その部屋のドアの向こう側には胸元に手をそっと置き、頬を赤らめるアンジェの姿があった。
今回の様なラブコメ要素も時々入れていきたいと思います。次回は旅支度の話になります。
拙い文章ですが、興味を持っていただければ評価等よろしくお願いします。