初めての魔物
嫌な予感程当たるとはよく言ったものだ。アンジェが目を光らせる方向にアラタも目を向けると、そこにはこちらを睨む赤い光が見えていた。
次第にその光の数は増えていき、重苦しい殺気のようなものをアラタは感じていた。
(ヤバい、これは本当にヤバい。早く逃げないと!)
アラタがパニックに陥りそうになっていた矢先、アンジェが一歩前に出ると水色の光が彼女から放たれ、その身体を一瞬で包み込んだ。そして、すぐに水色の光は霧散し再び彼女の姿が現れる。
(あれ? 何かさっきまでと雰囲気が違うような気が……! メイド服が変わってる!)
メイド服自体に大きな変化は見られないが、彼女の前腕部にはガントレットが装着されており、ブーツも皮製のものから、何かしらの金属製のものになっている。
驚いているアラタに気が付いたアンジェが手短に説明する。
「これは魔闘士が戦闘時に纏う〝ローブ〟です。普段は術式として分解され体内に収められていますが、このように〝魔力〟を開放し術式を展開することで瞬時に装着することができます」
この説明を聞き、所謂変身のようなものかと思ったが、確かに先程までとは彼女の様子が違う。
彼女を水色のオーラの様なものが包みこみ、周囲に圧迫感を発している。これが魔力なのかとアラタはひしひしと感じていた。
「……来る!」
暗闇の中から巨大な牙を携えた3頭の狼が勢いよく現れ、アンジェに襲い掛かろうとしていた。
しかし、その動きを読んでいたアンジェは、噛みつかれる寸前にバックステップで躱すと同時に掌に直径30センチメートル程の魔法陣を展開する。
そこから無数の水の礫を射出、見事にファングウルフの体躯全体に激しく命中させる。
「グァルルルルー!!」
ファングウルフはけたたましい唸り声をあげながら、後方にある木に叩き付けられ、数度痙攣した後、再び動きだすことはなかった。
「まずは1つ! レインショット!」
アンジェは冷静に状況を分析し、左右に分かれて攻撃姿勢に入ろうとしていた2頭のファングウルフに水の礫によるけん制を仕掛け後方に下がらせる。
「魔王様! 手を!」
アンジェがアラタの近くまで移動し、伸ばした腕を掴むとそのまま素早い動きで戦場を離脱する。
「あばばば! 千切れる! 手が千切れるぅー!!」
「申し訳ありません。もう少しの間耐えてください」
悲痛な叫びを上げつつアラタは数十秒程、女性に引張られたまま高速移動するという稀有な体験をした。
体験終了後、地面に両膝をつき放心状態となっていたが、少しずつ意識が戻り周りを見回すと、現在森の中の開けた場所におり、後方には湖が広がっているのが確認出来た。
湖面には夜空に輝く月が映っており淡い光が湖の周囲を優しく照らしている。
狼の怪物に追われている状況でなければデートスポットとして申し分のない場所であっただろう。
「魔王様、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だよ」
まだ少し頭がくらくらしていたアラタであったが、前方に再び無数の赤い眼光を捉えると冷水を浴びせられたように瞬時に意識がクリアになる。
「まだ来るのか……」
「ファングウルフは中々獲物を諦めない獰猛な魔物ですから……動きも素早いですし逃げ切るのは難しいかと。ですので、この場所に移動しました。ここなら背面を気にせず、前方のみに集中できます」
アンジェは純粋に敵に集中できるという意図での発言ではあったが、アラタは自分が彼女の足枷になっていると感じた。
アンジェ1人であったなら、いちいち場所を移さなくとも先程の水の魔術で敵を一網打尽に出来ただろう。
ここに移動したのは自分を守りつつ敵を叩くためだ――と。
「「グギャルルルルゥー!」」
森の木々の暗闇からファングウルフが1頭また1頭と月光の元に姿を現し、延べ20頭以上がアラタ達の前方を埋め尽くし咆哮の協奏曲を奏でる。
「そんな……嘘だろ。……こんなにたくさん」
いくらアンジェが強くても「この数を一気に相手をするのは難しいのでは」と考えたアラタは、恐る恐る彼女の様子を伺う。
案の定、彼女が険しい表情をしているのが分かった。絶望感に押しつぶされるような気持ちの中、ついにその瞬間が訪れる。
「「グルルルルァー!」」
一斉にファングウルフの群れが2人を八つ裂きにしようと襲い掛かってくる。そして2人の前方十数メートルまで押し寄せた時だった。アンジェが右足を地面に軽く打ちつけると、ファングウルフ達の足元に淡い水色の巨大な魔法陣が出現する。
「スプラッシュ!」
アンジェが叫ぶと、魔法陣から強烈な水しぶきが上がり、ファングウルフの群れを上空に吹き飛ばす。それと同時にアンジェは両手に魔力を集中させると、左右の掌に高速回転する水の鋸刃を生成する。
「行きなさい! ハイドロソーサー!」
空中に吹き飛ばされ、自由に身動きが取れないファングウルフ達に向けて2つの円盤が勢いよく投げ出され、その群れは成す術もなく切り刻まれていく。
激しい血しぶきを上げながら、細切れにされた肉塊が周囲に散乱していった。
アラタはその凄惨な状況を目の当たりにし、吐き気をもよおしたが、ふとアンジェを見て喉元まで押し寄せていた〝それ〟をぐっと飲み込んだ。
しかして、メイド1人によって眼前の脅威は取り払われた、かのように思われたが彼女の表情は一切緩まず未だに前方の茂みの方を睨み付けている。
「グォォォォォォォン!!」
先程までのファングウルフとは明らかに異なる咆哮が、彼女の視線の方向から聞こえてきた。
その声量はファングウルフの群れの数倍は大きく、野太く、殺気に満ちている。 そして、声の主は程なくしてその姿をアラタ達の前にさらけ出した。
その体躯はファングウルフの5倍以上の大きさであり、爪も牙もより大きく圧倒的な存在感を放っている。
「な……んだ、あれは? さっきまでの奴らとは段違いだ」
アラタは、その姿を目の当たりにした瞬間背筋が凍りついていた。冷や汗は止まらず、一瞬呼吸の仕方を忘れたかのように息が荒くなる。
「カイザーウルフ……やはりいましたか」
アンジェは静かに呟くのだった。
明日も投稿できるようにがんばります。