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部活の練習で帰るのが遅くなってしまった日のことです。
急がなきゃ、と駆け足だったのですが、後ろからずっと足音がするんです。初めは聞き間違いだと思いましたが、あまりにもずっと聞こえてくるので怖くなって後ろを向いたんです。そうしたら……
血まみれの男の人が、こちらに向かって手を伸ばしていて、それで私は怖くなって───
***
屋根の上にひとつ──なにか。地面に映る影は猫のようにも見えるが、それにしては大きすぎる。
影が揺らめき、人のかたちを作っていく。ならばこれは、人の影か。否、断じて違う。違う、違う、違う──
「あれでもない、これでもない……歩く死体なんて、本当にいるのかなあ」
愛花は陰鬱そうに歩くサラリーマンや学生たちを見下ろしながら、ぽつりと呟く。
彼女が人の家の屋根に登っているのにはそれなりの理由がある。
サイトに書き込まれた「歩く死体」の話。それが目撃されている場所が決まってこの家の近くだったということ。
それに──ここは嫌いなクラスメイトの家だから、少しでも睡眠妨害ができればいい、と思ったこと。
「あいつ、家は大きいくせに性格は小さいんだよね……」
この家に住むクラスメイトの顔が浮かんでしまって、どうしようもない怒りを言葉に乗せる。
と、その時。
リュックサックが、左の方向にがたりと揺れた。
「ん、そっちか──」
予想が外れたな、と走る体勢を整えながら考える。てっきり学校がある方向から来ると思っていたのに。
手を屋根につけ、四足歩行のようなかたちを作る。そして───疾走。
端から見れば、瞬間移動のようにも感じるだろう。だがそれは、彼方の世界でも叶うことのない能力。
此は、只の、高速移動だ。静寂を犠牲にした、圧倒的なまでの速さ。
騒ぎにならないように気を付けつつ、精一杯の音を立てて屋根の上を走っていく。屋根から屋根へ、軽やかに伝っていって。
「見つけた。あいつか」
ゆらゆら、不気味な歩き方をする人のかたちをしたものの肩を掴む。
逃げようともがくそれを回転させ、無理矢理こちらを向かせる。
虚ろな目、半開きの口、青白い頬。しかし──血が、ない。
「……正直に答えて。あんた、誰?」
「………………っぁ……………あ?」
その時、目線がしっかりと絡まって。
開いていた口が、しっかりとした言葉を発して。
抵抗していた力が、ふっと抜けて。
「……あ、あんたっ、だ、誰だよっ!?」
確かに彼は先刻まで、彼方の世界の住人だった。なのに今は、今こいつは……血の通った人間だ。
思わず肩から手を離し、後ろに後退する。
「……どういう、こと」
「は、はあ……!?そ、それはこっちの……」
「うるさいっ!!……もういい、お前に興味なんかない。とっとと帰って……」
「……どうい、う”っ……!?」
振り返って帰ろうとしたとき、後ろから呻き声がして振り向くと、
その人の首に強い指の痕が現れていた。
余程強い力なのか、時折骨の音がしていた。
「これ、は……ああ、どうしようもないな」
だって、視えないのだ、何も。首を絞めるそれが何なのか。
ただ、苦しみながらこちらに手を伸ばすものしか、見ることができない。それすらも、あの女の最期に似ていて見たくないものなのに。
そして、そのまま彼は、首をあり得ない方向に曲げられて、死んでしまった。そしてまたあり得ないことに、何事もなかったかのように歩きだした。
「……本当に歩く死体になっちゃった」
私はただ、首以外は普通の人に見えてしまうその背中を、じっと見つめていた。




