1.ガキの使い
「うわぁぁぁぁ!」
飯屋の入り口で少年が叫び声をあげ、尻餅をついた。その叫び声は、飯屋からでてきた女性に向けられているものだった。
その女性は顔だけだった、いや、首が店の奥の調理場まで伸びているのだ。
そう、ろくろ首だ。
とはいえ、飯屋は昼飯時の客で賑わっていて、ろくろ首に驚く人は1人もいない。むしろ、叫び声をあげた少年に驚いている人がほとんどだ。
「あ、ごめんね。驚かせちゃった?」ろくろ首が言った。
少年は、尻についた砂を落としながら立ち上がり「いえ、冗談です!」と大声で言った。動揺を隠せていない。
「おいおい、妖怪が怖いのかい?」
「妖怪が珍しいのか? よっぽどの田舎もんだな!」
飯屋の客や、通りすがりの親父が少年をからかった。少年はバツが悪そうに咳を一つして、大きく深呼吸をして言った。
「注文です。天城 閃から、玉子丼を3つ」
「あ、天城さんのね? じゃあできるまで中で待っててね」
ろくろ首はそう言うと、飯屋の中に少年を案内し、待ち客用の椅子に座らせた。少年はボサボサな黒髪で、真っ赤な半纏に黒い股引を身につけており、足に履いているのは、底が強化されている足袋だ。
他はともかく、赤い半纏はかなり目立つ。半纏のおかげで、客の中には「ああ、あの子供か」とすぐに気付くものもいた。
「凛勢、まだ妖怪が怖いのかい? そろそろ直さねぇと、仕事クビになっちまうぞ」
客の1人が少年に気づき、席に座ったまま、湯呑みを片手に話しかけてきた。
凛勢というのはこの少年の名前だ。
「今はどこもかしこも妖怪だらけだ。怖がっていられないだろ?」
「だから怖くないって! ちょっと驚いただけ!」凛勢は言い返す。
「あの叫びはちょっとじゃないねぇ」
「うっさい!」
凛勢はとくに言い返す言葉も思いつかないので、単純に悪態をついた。悪態をつきながらも、行儀よく椅子に座っている。しつけが出来てるようだ。
客と言い合っている凛勢の不意をつき、ろくろ首がお茶を運んできてくれた。今度は驚かなかった。いや、実は少し驚いていたが、表に出さずに済んだのだ。
凛勢はお茶を飲むと、少し落ち着き、ふぅ、とため息をついた。
今は、新江戸時代。上部だけは江戸時代に似ているから、新江戸時代と名付けられたそうだ。
妖怪と人間が共存する時代だ。妖怪のいない場所なんてない。職場にも寺子屋(学校のこと)にも、道場にだって妖怪はいる。
凛勢はそんな時代に、妖怪に会うたび恐怖を感じていた。表情にはなるべく出さないようにしても、鼓動は早くなるし、汗は出てくる。まだ11歳だというのに、毎日胃が痛かった。本気でなんとかしたかった。だから、こんなやりたくもないお使いをしているのだ。
「玉子丼三ついっちょあがりぃ!」
店主の威勢のいい声が響いた。凛勢の注文が完成したようだ。ろくろ首が木製の岡持ちに、玉子丼を三つ入れ、凛勢に渡してくれた。凛勢は礼を言うと、お金を支払い、飯屋を飛び出して行った。
目的地は自分の住む村、“妖怪村”である。この町からは山を一つ超え、谷を一つ超え、森を突っ切った奥にある、人里離れた村だ。普通の人間が走ったら、3日はかかってしまう。
しかし、そんなに時間をかけられるほど暇ではない。凛勢は普通ではない走りをすることにした。