領主のお仕事を片付ける
朝、目覚めると、屋敷の中が何やら、騒がしい。というか、慌ただしかった。
なにごと?
若手の従僕や中堅どころの各種メイドさんやら料理人さん、など、など。
王都の邸宅から、ちょっとした人数の各種の使用人さん達が、ここ、領地の屋敷へと大挙して移動してきていた。
なぜに?
ジェームスは、トマスの密偵だった。いや、手先、か。
と言うか、当然と言えば当然ながら、当家の使用人であるジェームスは当家の執事であるトマスの指示を受けて行動していた、のだ。
ユーストン伯爵、すなわち私が、引き籠り状態から脱して街中に繰り出して何やら活動を始めた、というジェームスからの報告を受けたトマスが、領主としての業務再開に必要な人員と道具と書類の山を領地の屋敷に送り込んできた、というのが現状だった。
では、馬車で三日、早馬でも丸一日はかかる、遠く離れた王都の邸宅に居て、伯爵家の執事としての多忙な業務に追われている筈のトマスに、殆ど私の傍で仕えていたジェームスがどうやって此方の状況を伝えたのか?
答えは、単純。
以前にジェームスが屋敷に居た彼の奥様であるメイド長のアイリスさんと街中から連絡を取ったのと同じく、風の魔法により声を届ける技を使って、執事のトマスに定期的に簡潔な報告を行っていた。
という事だったのだ。
因みに、王都からの返事にはこの手が使えなかったそうで、トマスからジェームスへの指示は早馬で届く手紙、だったらしい。
とほほほほほ。恐るべし、執事トマス。油断も隙もあったものではない。
私がユーストン伯爵としてこの世界に来てからの昨日までの牧歌的で自由気ままな三日間は、王都から怒涛のように領主のお仕事が届くまでの短い猶予期間だったとは...。
* * * * *
領地の屋敷の形容詞が、静寂から賑やかに変化して、一週間。
私は、朝から晩まで、書斎に籠って、ひたすら書類仕事に邁進した。
傍から見れば、完全な自業自得。
けど、私は被害者だ、と思う。
いや、まあ、この状況は、役得があれば義務もあるのが世の常なので、当然と言えば当然、だと言えなくもない。
つまりは、私がユーストン伯爵な訳だから、仕方ない、といえば仕方のないこと、なのだ。けど。
疲れた。
以前よりは活気に溢れている屋敷の中、静寂が支配する主用の書斎。
重厚なデスクに向かって、書類を捲り、ときたまカリカリと訂正を入れて、サラサラと署名をしたりする私。
顔には、疲労の色が濃い、筈だ。たぶん。
疲れた。本当に、疲れた。
頑張った、のに、仕事が無くならない。何故だ。
と、益体もないことを考えながら、半自動で仕事を片付けていると。
コンコン。
この部屋の扉をノックする音が、聞こえた。
「どうぞ」
「失礼します、旦那様。アイリスでございます」
「ああ、入ってくれ」
「お呼びだと伺って参りました」
「すまないね、忙しいのに」
扉を開けて部屋の中に入って来たメイド長であるアイリスさんが、扉を閉めてから、直立不動の姿勢で立ち、無言で、私の方を見る。
「あ~、その、なんだ。あちらの応接机の方で、話をしようか」
「承知致しました」
私は、応接セットの方に移動して、ソファーに座る。
アイリスさんは、机の横に移動してから、直立不動の姿勢を維持。
「えっと...」
「はい。何でございましょうか」
「そちらに、座りませんか?」
「滅相もございません」
「いやいや」
「私は使用人でございますので、こちらにて失礼させて頂きます」
「まあ、そう言わずに」
「お気に為さる必要はござません。どうぞ、お話をお聞かせ下さい」
「いやいや。う~ん、困ったな」
「...」
「今日は、当家のメイド長のアイリスさんに、ではなくて、アリシアさんの母親であるアイリスさんに、ご相談したいことがあるので、お呼びしました」
「はい」
「ですから、今は、使用人ではなくお客様として、そちらに座って貰えませんか?」
「アリシアも私も、旦那様の使用人ですから、お気遣い頂く必要はございません」
「いやいや、そういう事ではなくて、だね」
「...」
「あぁ~、もう、分かりました。兎に角、私が話しをし難いので、そこに座って下さい」
と言いながら、私は、私の向かいのソファーを指差した。
大変不本意ながら、時間的な余裕もなく、説得は無理だと断念。指示してしまった。
アイリスさんは、真面目な人、だ。
アイリスさんは、物凄く優秀な人、だ。
アイリスさんとアリシアさんは、仲の良い母娘、だ。
改めて、お話してみると、ユーストン伯爵も知らなかった、というか以前は知ろうとしなかった事実が、色々と分かった。
アイリスさんは、現在のボンド男爵家の奥方様で、一時期は王宮にて役付きの侍女として働いていた事もある優秀な人だが、ジェームスを婿にとってからユーストン伯爵家のメイド長に就任した、元はボンド男爵家のお嬢様、なのだそうだ。
そして、ボンド男爵家は、古くからユーストン伯爵家に仕える家系で、各人の特技を活かした様々な業務を担ってきた家柄、なのだという。
だから、どんな役割であれ、ユーストン伯爵家のために成るならば構わない、という趣旨の説明を淡々とされてしまった。
母親としては、出来れば本人の意思が尊重されることを願うが、ボンド男爵家の人間としては、ユーストン伯爵家への貢献が第一だ。と、アイリスさんは、少し辛そうな表情が垣間見えたような気もしたが、迷いなく言い切った。
いや、まあ、アリシアさんの希望はキチンと確認しますよ。勿論。
ただ、まあ、私の目が節穴でなければ、アリシアさんには適性があるようだし、本人も楽しげに取り組んでいる、と思う。
そして、母親であるアイリスさんにも異存はない、という事も確認できた。
という事で、当初は可愛い孤児院の少女たちを対象とする庶民向け初級学校の設立プロジェクトと、元気溌剌ヘンリエッタさんを中心にまずは銭湯開設から取り掛かる街の活性化プロジェクトは、両方とも、アリシアさんに責任者を務めて貰う、という方針を決定。
けど、まあ、若い女性一人では何かと不都合もあるだろうし、手も足りないだろうから、若手の従僕から誰か一人、補助に付けるべきか...。
現実問題として、この一週間は、孤児院の少女たちに関わる案件は全て、アリシアさんにお任せ、するしかなかったのだが、最低限の報告と相談だけで的確に判断、滞りなく、私の意図する方向へと着実に進んでいた。
私としては、大変助かった。
私の方は、伯爵としての業務量が半端じゃなく余裕がなかった、のだ。特に、最初の数日間は。
そんな私の困った状況を、的確に把握した上で配慮し、完璧に対応してくれた、アリシアさん。
実力としては、問題なし。
メイドとしては上司であり母親でもあるアイリスさんのお墨付きも得れて、支障もなし。
という事で、ノープロブレム。
ユーストン伯爵家のハイスペックな使用人の一人であるアリシアさんには、引き続き、頑張ってもらおう。是非とも。




