領主としての行動を開始する
朝起きてアイリスさんの用意してくれた朝食を戴き、午前中は屋敷の自室で読書。そして、先程、アイリスさんが用意してくれた昼食を食べ終わった。
本日のジェームスは、何やら、午前中にやらなければならない用事がある、との事だったので、護衛なしでの外出は控えて、私は今まで屋敷内でのんびりと過ごしていたのだ。
現在のこの屋敷には、最低限の使用人しか居ないのだから、仕方がない。
まあ、皆さん、ハイスペックな職人さん達なので、私の生活に全く不自由はないのだが、如何せん、物理的な限界はあるのだ。
コンコン、と控えめなノックの音。
「旦那様、アリシアです。只今戻りました」
「ああ、ご苦労様。入ってくれ」
「失礼致します」
アリシアさんが、一礼して、私の書斎に入って来た。
彼女には、午前中に行って貰っている孤児院の少女たちへの講習会についての報告を指示していたので、その為に来てくれたようだ。
「ご苦労様。で、今日は、どうだったかな?」
「はい、特に問題はございません。少女たちも皆、真面目に勉強しておりました」
アリシアさんが、背筋を伸ばして姿勢良く、直立不動の体勢ででテキパキと報告を始める。
アリシアさんには、母親のアイリスさんとよく似た真面目な出来る女といった感じの雰囲気がある。
「まだ二日目だが、見込みの有る無しくらいは、判断が付きそうかな?」
「はい」
「そうか...」
「数名は、もう少し様子見をしておきたい子も居りますが、ほぼ、見極めは終わっております」
「仕事が速い、な。流石だね」
「ありがとうございます」
「王都の貴族や商家の屋敷にメイドとして勤めるのは無理でも、高級宿や高級店の店員として勤められる程度には、全員を教育できそうかな?」
「...本人次第、かと」
「まあ、無理強いするものではないので、確かに、その通り、だな」
成る程、と感心しながら視線を向けると、心なしか楽しそうな表情で、瞳をキラキラさせているアリシアさんが居た。
ん?
もしかして、当たりを引いた、のかな。
アリシアさんは、教職に適性があって人に教える仕事を楽しめる人、のようだ。
「修道院の庇護下にある施設なだけあって、基本的なマナーや作法は日常的に指導を受けているようなので、全く見込みがない子は一人も居りません」
「成る程」
「ただ、メイドとして伯爵家で雇えるレベルまで達する見込みがあるのは、ライラ、レイネシア、クリスティアナ。この三名まで、です」
「ほう。ライラは、出来る子だったんだな」
「はい。多少、言動に問題はありますが、能力的には問題ありません」
「ははは。淑女としての見込みの方は、どうだい?」
「貴族の養女となり令嬢として振舞うことが出来るレベルまで達しそうな者、という観点でも、やはり、ライラとレイネシアの二人は、有望です」
「そうか...」
「あと、アンジェリカ、シャルロット、ハーマイオニー。この三名も、今後の頑張り次第ではありますが、受け入れる側の家風によっては可能性がある、と思われます」
教え子である少女達を思い浮かべているのだろう。
アリシアさんの表情は、彼女たちを思い遣るように、柔らかい雰囲気を纏っている。
普段の仕事が出来るメイドといったシャープな感じとはまた違って、活き活きとしているように見える。
うん。孤児院の少女たち向けの淑女マナー教室を発展させる庶民向け初級学校の構想もあり、だな。アリシアさんに頑張って貰えば、何とかなりそうだ。
と、捕らぬ狸の皮算用をしながらも、目先の話題に思考を戻す。
「うむ。貴族が養女として迎える場合には、魔法の素質と能力の高さも重視するから、素養についてはある程度の基準さえ満たせていれば、多少の個性には目を瞑る筈だからな...」
「はい」
「魔法の才能については、別途に調べる機会を設けるとしよう」
「お願い致します」
「いや、こちらこそ頼む」
貴族社会では、血筋も重視されるが、魔法の素質や能力も重要、なのだ。
婿養子や養女を迎える際には、魔法の素質や能力がポイントになる。
養女の場合は特に、容姿も重要視されるのだが、魔法の素質は必須とされるのだ。
だから、淑女としての振舞いや嗜みを身に付けることは、その前段であり、前提条件でしかない。
とは言え、前提条件をクリアしておかなければ、土俵にすら上がれない訳で、アリシアさんによる孤児院の少女たちへの教育には大いに意義がある。
それに、抜け道が全く無い訳でもない、のだ。アンについては、やはり、チート感が濃厚に漂っていて、魔法の素質についても条件をクリアしそうな気がするので、別枠で考えた方が良さそうだが。
いや、まあ、下手に貴族社会へ属するよりも、裕福な商家で暮らす方が、人としては幸せになれるような気もするので、やはり、本人の希望が第一、だよなぁ...。
「旦那様」
「ん? ああ、済まない。少し考え込んでしまったな」
遺憾ながら、ついつい思考に没頭してしまっていた。
多忙な中を態々(わざわざ)、私の部屋まで出向いて貰っているのに、アリシアさんには申し訳ない。反省、反省。
「...あと、何か他に、報告事項はあるかな?」
「はい。ヘンリエッタ様から、孤児院に大浴場を作る際の予算について、ご質問を受けております」
「ああ、何パターンかプランが出来たのかな...」
アリシアさんは、静かに私の話を聞く姿勢を維持している。
私は、そんなアリシアさんから少し視線を外し、視界の隅でその生真面目な様子を眺めながら、考える。
当面は少し、アリシアさんの負担が重くなって申し訳ないが、ヘンリエッタさんの相手は私には荷が重いので、頑張ってもらうしかない、か。
よし。取り敢えずは、この件もアリシアさんにお任せ、としよう。
「予算の限度額は昨日も説明した通りだが、時間優先で進めて欲しい」
「はい」
「短期間で、兎に角、何らかの形にして、多少の不備があっても使える物を造ること。この方針で進めてくれれば良い。細かな判断は、アリシアに任せる」
「承知致しました。それでは...」
コンコン、と力強いノックの音に、アリシアさんが口を噤む。
続いて、ジェームスの声が部屋の外から聞こえてくる。
「旦那様、そろそろ、お時間です」
「ああ、分かった」
私は、扉の外に向かって答えてから、アリシアさんにも頷く。
「では、出かけてくる。アリシア、ご苦労だが、引き続き、よろしく頼む」
「はい、承りました。行ってらっしゃいませ」
* * * * *
私は、今、馬車の旅を、満喫している。
と言っても、屋敷から街中までの、短時間の移動に過ぎないのだが...。
私とユーストン伯爵との知識や感覚の融合というか共有(?)は、三日も経つとかなり習熟してきていて、もう余り違和感なく此方の世界の常識で思考できる、ようには成っている。
だが、その一方で、やはり、私自身が初めて体験することは新鮮に感じる。
つまり。私は、今、初めての豪華な馬車での移動を堪能中、なのだ。
ユーストン伯爵にとっては、ありふれた日常の一コマなので、あまり興奮しているのをジェームスに気付かれるのは好ましくない。のだが、少しワクワクとした心持で馬車に乗って、現在に至っている。
ポクポクという馬の蹄の音と、カラカラと大きな車輪が回る音。初体験の音に耳を傾けながら、徒歩での移動よりも少し高い位置となる窓から、過ぎ行く景色を眺めていた。
今日は、領主の立場で、街中にある役場(?)と冒険者組合の支部を訪ねるので、徒歩ではなく伯爵家の馬車を使っての移動だ。
まずは、役場というか、領地を治める事務など受け持つ役場的な出先機関である公館で、先日の誘拐未遂事件で捕まえた荒くれ者達に対する取り調べの状況を確認する予定、だ。
ユーストン伯爵の記憶では、ユーストン伯爵自身がこの公館を訪れたことは数える程しか無く、この公館に勤める役人(?)にも親しい知り合いはいない。
ただ、この公館に勤める人達も、伯爵家の使用人であり、王都の邸宅にいる有能な当家の執事の指揮下にあるので、ユーストン伯爵とも多少の面識がある人も居る筈だ。
だから、気を抜いてボロが出ると困るのだが、まあ、私の方も貴族としての振舞いにも慣れてきたので、大丈夫だろう。
平常心で、警邏係による取り調べ結果の報告を受けて、今後の対応方針の参考にしたい、と思う。
などと考えていると、公館に着いたようだ。馬車が止まった。
「旦那様、到着致しました」
と、ジェームスが声をかけてから、場所の扉を開いた。
「ああ、ご苦労」
ジェームスを労いながら、馬車を降りて、目の前の建物を見る。
この二階建てで少し威圧感のある建物が役場的な施設である公館で、その右隣の少し年季が入って古ぼけた重厚な建物が冒険者組合の支部、だった筈だ。
「ジュエームズ、馬車は裏に回しておいてくれ。此処と隣で、合わせて二時間程あれば、用事は済むはずだ」
「承知致しました」
ジェームスは、馬車の扉を閉めて御者台に戻り、馬車をゆっくりと動かし始める。
私は、公館の中へと、歩みを進めた。