閑話 領地から王都への小旅行
ユーストン伯爵領の領都であるプリムローズの街から、王都へと続く街道。その途中、伯爵領の外縁部に位置する、王国の直轄領と隣接した、小さな宿場町。
その静かな宿場町に、ちょっとした規模の一団が、到着した。
高位の貴族が乗ることを前提とした豪華な仕様の馬車と、少し贅沢な造りの乗合馬車と、それなりに立派で頑丈そうな荷馬車。
それら三台の馬車を警護するように付き随う、整った身なりの者たちが乗った騎馬、十数頭。
そんな一団が、この町で一番大きな宿屋の建物の前で、停止する。
騎馬に乗った護衛とおぼしき男達が周囲をそれとなく警戒する中、二番目の馬車から、従僕らしき若い男が走り出て来て、宿屋の中へと走り込んで行く。
続いて、メイドらしき若い二人の女性が、同じ馬車から降りて、足早に荷馬車の方に向う。
静かな佇まいを見せていた町は、活気付いて、少し、賑やかになった。
宿屋の者たちが、宿の入り口に整列して出迎える中、豪華な馬車から、一見して仕立ての良さが分る衣装を着た中年の男が一人、降り立った。
宿の主人と思しき老年の男が、恭しく一礼する。
「ようこそ、おいで下さいました。ユーストン伯爵様」
「急に大人数で押しかけてしまって、すまないね。迷惑ではなかったかな」
「いえいえ、滅相もございません。本日は、他のお客様は居られませんので、ごゆっくりお寛ぎ下さい」
「そうか。では、本日は世話になるよ。よろしく頼む」
「は。どうぞ、お入り下さい」
宿の主人が先頭に立って、一行を宿の中へと案内する。
ユーストン伯爵が、宿の正面玄関をくぐり、その付き人達が、その後に続く。
そして、彼らが宿の中に入って見えなくなると、残っていた従僕やメイドたちが、慌ただしく、馬車から様々な荷物を運び出しては宿の中へと運び入れていく、といった作業を繰り返すのだった。
* * * * *
高級感はあるが華美ではなく、ゆったりとした造りだが調度品は疎らな、宿屋の部屋。
そんな部屋の応接セットのソファーに、仕立ての良い服を着た、痩せぎすで少し生真面目そうな感のある中年の男、ユーストン伯爵が、寛いでいた。
テーブルの上には、紅茶の入ったカップとクッキーが軽く盛られた小皿。
部屋の戸は開いていて、従僕やメイドたちが数人、忙しそうに出入りしている。
それら使用人たちに指示を出しながら、ひと際、凛とした佇まいの女性が、伯爵の後ろに控えている。
部屋の中が徐々に片付き、出入りする従僕やメイドの数も少なくなって、テーブルの上の皿にあったクッキーが残り少なくなった、そんな頃合いに。
一人のメイドが、焦った表情で慌ただしく部屋に駆け込んできて、伯爵の後ろに控える女性へと駆け寄った。
「メ、メイド長」
「なんですか。落ち着きなさい、ジェシカ」
「も、申し訳ありません、メイド長。じ、実は、荷馬車に...が、...たのですが、如何致しましょうか?」
「...」
相談を受けた女性、メイド長の、眉間に皺が寄る。
メイドのジェシカは、ビクビクとしながら固唾を呑んで、そんなメイド長の返答を待つ。
カタッ。
部屋を満たしていた静寂を破る小さな音に、メイドのジェシカの肩が、ビクッとする。
カップを机の上のソーサーの上に静かに置いた伯爵が、口を開く。
「アイリス。何か、トラブルかな?」
「はい。申し訳ありません。どうやら、荷馬車に、不正乗車していた子供が居たようです」
「子供?」
「はい。身なりからすると、プリムローズの街の住人のようです。双子の女の子、だそうです」
「双子の女の子...という事は、ピンクと水色、だったりするのかな?」
「はい。頭髪が、ピンクと水色の、女の子の双子、です」
「はぁ...。ライラとレイネ、だろうね」
「左様かと、思われます」
「困った子たちだな。王都に行きたいなら行きたいと、言ってくれれば良かったのに...」
「...」
「アイリスは、アリシアから何か聞いているかい?」
「いえ。特には」
「そうか。であれば、急遽、思い立って、という事になるんだろうね」
「...」
「慎重なライラにしては珍しく、思い切った行動に出たな。慌てる必要はなかった、と思うのだが...」
「如何致しましょうか?」
「ああ、そうだ、な。取り敢えず、二人を此処に連れて来て貰おうか」
「承知致しました。ジェシカ、二人を、出来るだけ目立たないように、お客様扱いで、この部屋に連れてきなさい」
「は、はいっ。か、畏まりましたっ」
メイドのジェシカが、またもや、慌ただしく部屋から駆け出して行く。
メイド長のアイリスが、そんなジェシカの振舞いを見て、小さな溜息をついた。
今度はお淑やかに歩いて部屋に入ってくる、若いメイドのジェシカ。
その後ろに、屈強な男たち二人にガードされた質素な身なりの双子の少女たちが続く。
「旦那様、お連れしました」
「ご苦労様。君たちは、もう下がってくれて良いよ」
「はい。失礼致します」
少女たちをこの部屋に連れてきた三人は、一礼して部屋から退出し、扉を閉める。
部屋には、ソファーで寛ぐ伯爵と、その後ろに直立不動で控えるメイド長、そして、ピンクと水色の髪をした双子の少女たち。
部屋が、沈黙に支配される。
ピンクの髪の少女が、居心地悪げに、居住まいを正す。
水色の髪の少女が、心細げに、ピンクの髪の少女の服の袖を掴む。
伯爵が、軽く溜息をついてから、口を開く。
「さて。ライラとレイネシア。どういう事、かな?」
「「ごめんなさい」」
「うん。人に迷惑を掛けたら謝る、というのは、大切な事だね」
「「はい」」
「まあ、取り敢えず、そこに座って。それから、こんな行動をとった理由を説明してくれるかな」
* * * * *
小さな宿場町に、夜が明けて、朝が来て明るくなり、ちょっとした喧騒が戻ってきた。
この小さな宿場町で一番大きな宿屋からは、慌ただしく行き来する人々の活気が、漏れ伝わってくる。
時たま、宿から町中へ駆け出して行き、何やら包みを抱えて戻ってくるメイド達。
宿の裏のある厩舎との間を、何度か行き来する護衛らしき男たち。
同じく宿の裏に止められている馬車へと、何やら運んでは戻る従僕たち。
朝の宿屋は、いつにも増して、賑やかだった。
宿屋の者たちが、宿の入り口に整列して待ち構える中、ユーストン伯爵が、宿の玄関から出てくる。
その後ろには、メイド長に付き添われた、一見すると令嬢の着るドレスにも見える高級感あるワンピースを纏って背筋をピンと伸ばした、双子の少女たち。ライラとレイネシア。
宿の主人と思しき老年の男が、伯爵と少女たちに向かって、恭しく一礼する。
「ユーストン伯爵様。またのお越しを、お待ちしております」
「ああ。世話になった」
御者の男が扉を開けた豪華な馬車に、伯爵と双子が乗り込み、扉が閉じられる。
少し贅沢な造りの乗合馬車に、メイドたちと一部の従僕たちが乗り込む。
残りの男たちが、馬に騎乗する。
そして。
三台の馬車とそれを警護するように付き随った十数頭の騎馬により編成された一団が、王都の方面へと向かって、この町から出発した。