少女たちと女性のための大衆浴場
結局。ライラからの返答は、暫く考えさせて欲しい、だった。
お開きにする前に、二~三の質問への受け答えをしたが、普段は唯我独尊といった感じの彼女が真剣に悩んでいる姿を見ると、困っている子供を助けてあげたいという庇護欲が...。
応接室にライラを残して、私は、ヘンリエッタさんが改築中の大浴場へと向かうことにした。
今日のライラとレイネシアもそうだったが、孤児院の少女たちは、ほぼ毎日、お風呂に入っているので、ピカピカだ。
いや~、スッキリした。
ヘンリエッタさん、さまさま、だ。良い仕事をしてくれた。
いや、アリシアさんのお手柄、かな。
「あ、お兄さん!」
ドドドドドっといった擬音が付きそうな勢いで、ヘンリエッタさんが、急接近してきた。
ヘンリエッタさんは、相変わらず、豪奢な感じの姉さんタイプの美女、だったが、元気があり余っている残念なお姉さん、でもある。
その後ろ、というか元はヘンリエッタさんの横だった位置で、アリシアさんが困惑の表情で佇んでいる。
うん、ご苦労様。
流石の冷静沈着なアリシアさんも、やはり、少し手古摺っている、ようだ。
まあ、あの顔は、困惑の中にも親しみと呆れが混じっている、苦笑、に見えるので大丈夫そうだ。
仲良く出来ているのであれば、一安心。
「ん? お兄さんはお偉い人だから、馴れ馴れしくしてはイケないのだったかしら?」
「いやいや、そんな事ない、ですよ」
「あ、そうなの? で、今日は、現場確認、よね?」
「はい」
「じゃあ、こっち、こっち。是非とも、これを見て欲しいのよ」
「ははははは」
と、私は、ヘンリエッタさんに腕を掴まれ、引き摺られるようにして、孤児院というよりは寧ろ修道院の付属施設と言えそうな位置にある大浴場へと、足を踏み入れた。
この大浴場は、かなり長い間、使用されずに放置されていた為、ヘンリエッタさんが発見した当初はボロボロで、修理しても使えるかどうか疑わしい状態だったそうだ。
だが、現時点では、お風呂としての基本的な機能は復活していて、孤児院の少女たちの浴室として既に活用されている。
しかも、天然温泉、として。
ちなみに、修道院のシスターさん達は、修道院にある個人用の浴室を使っているらしい。
院長先生のお話では、一般的な沸かしたお湯を使うお風呂で、温泉ではない、ようだ。
まあ、それは兎も角。
この大浴場は、修道院と孤児院とは別の建屋になっていて、外部に開放し公衆浴場として使用しても支障がない位置にあり、修道院でも高い地位にある院長先生に改造と活用の許可を得てもらった、との事で、着々と営業開始に向けた準備が進められている。
そう。ヘンリエッタさんは、商売人としても中々に遣り手、だった。
しかも、人脈がかなり広いようで、修復というよりは外観を活用した新造に近い改造工事を嬉々として請け負うハイレベルな職人さん達を、各種かつ多数、このプロジェクトに巻き込んでいる。
お見事、である。
元は裕福な教会関係者向けの贅沢な施設だったと推測される代物を、庶民でも使えるレベルの仕組みと工夫で、見事に復活させた訳だ。
しかも、初期投資の大部分は私が孤児院の少女向けとして準備した資金を活用し、修道院と孤児院に元からある備品は徹底的に活用する、といった低資本での立ち上げは、お見事としか言いようがない。
ただ、まあ、それが原因で、当面は女性向けの限定の施設となり、孤児院の少女たちを含む未成年の子供達は入浴料が無料で、という制限が発生している訳だが、特に問題は無さそうだった。
嬉々として、大浴場の設備を案内しながら説明して、今後の構想なども熱く語るヘンリエッタさん。
その後ろで、微かに苦笑いの表情を浮かべながらも、何か落ち度があれば的確にフォローするアリシアさん。
うん。この感じなら、大丈夫。
当面は、この調子で、二人に頑張ってもらおう。
などと、私が一人悦に入っていると、ライラがこちらにやって来て、ヘンリエッタさんに捕まっていた。
「あ、ライラちゃん。お風呂に入る?」
「いえ」
「そうよね。まだ、少し早いわね」
「ええ。レイネを、知りませんか?」
「ん、レイネちゃん? 確か、少し前に、お風呂当番のお仕事を済ませて、お部屋に戻ったと思うよ」
「そうですか。ありがとうございます」
「ねえねえ、ライラちゃん」
「はい。何でしょうか、ヘンリエッタさん」
「ライラちゃんとレイネちゃんは、お兄さんのお屋敷に移るの?」
「...」
「いや~、ライラちゃんとレイネちゃんって、有能だから、うちの宿屋で雇用したいと思ってたのに。お兄さんに、横取りされちゃったかぁ」
「いや、別に、横取りという訳では」
「ええ~、じゃあ、譲ってもらえるんですか?」
「えっと、譲るとか、そういう問題では」
「あ、じゃあじゃあ、アリシアさんを無期限で貸してくれません?」
「な、なぜに、無期限貸与...」
「だって、ねえ。アリシアさんは、どう考えても高給取り、でしょ」
「それは、まあ」
「でしょ、でしょ。だから、流石に、うちでは雇えないわ」
「はあ」
「でも、優秀な人は、欲しいのよね。だから、無償貸与、ってことで」
「いや、意味、解らないんだけど」
「えええ~、そうですか。ライラちゃんとレイネちゃんを横取りしたお詫びとして」
「だ、だから、横取りではない、と」
「良いじゃないですか、少しぐらい。う~ん、じゃあ、追加で出資して下さる、とか」
「...」
「あ、そうだ。石鹸を、街の衛生環境向上のためという名目にして、無償か格安でここで配る、とか」
「おいおい、ちょっと。あ、アリシア、何とかしてくれないか?」
「はい、旦那様。では、ヘンリエッタさんは置いておいて、そろそろお屋敷にお戻り下さい」
「あ、ああ」
「え、ええ~、酷い。アリシアさんが苛めるぅ」
「はい、はい。旦那様、父は庭に居たと思いますので、そちらへどうぞ」
「ああ、分かった。あ、後は、よろしく頼む」
そして、私は、一人、そそくさと、大浴場を後にした。
ちなみに、ライラは、いつの間にか、そこには居なかった。流石に、ソツがない。
* * * * *
ライラがどんな結論を出すのかは気になるが、彼女には少し時間が必要だろう。
そして、ライラを伯爵家に養女として迎えるにしろ、伯爵家に仕える適当な男爵家の養女にした上でメイドとして雇用するにしろ、一度、王都の邸宅に居る執事のトマスと協議しておく必要がある。
孤児院での庶民向け学校と公衆浴場の開設に向けた準備も、順調に進んでいるので、そちらの方も、やはり、王都の屋敷での最終調整が必要となるだろう。
ここ暫くの領主の業務と一緒に、頑張って、これらの取り組みが恒久的なものとなるようにと書類上では何とか整えたつもりだが、やはり、キチンと止めを刺しておいた方が良い筈だ。
強引に私だけで進めることも不可能ではないと思うのだが、やはり、執事のトマスに納得してもらって各種の根回しを整えて貰った方が、長期的な視野で見ると安心できる。
それに、私がいつまでこの世界に居られるのかも不明な状況なので、私が居なくなった場合に本来(?)のユーストン伯爵が関与を止めてしまう可能性も考慮して行動する必要がある、とも考えている。
よって、当家の執事と話し合うために、いったん、王都へ移動することとした。
ちなみに、当然ながら、私としては王都に行くのは初めてな訳だが、ユーストン伯爵としてはあちらでの生活が平常というか領地の屋敷で長期間過ごすのは今回が初めての事態だったようなので、表向きには、王都に戻る、と発言することになる。
という事で、領地の街での活動は、一段落。王都の邸宅に向けて、いざ、出発。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
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今回で「一.領主の住む街」は完結で、次回からは、閑話を一つ挟んで、「二.王都の伯爵家」の開始となります。