その4
「おっ。そのプレシジョン、ビンテージ?」
目ざとくゴンちゃんが俺のベースに目をつけた。
「うん。」
「いいね!結構お値段もいいだろ?」
「そうだね。」
「63年?」
「58年。」
「いいね~!音、跳ねない?」
「ちょっと跳ねるけど、ベコベコ鳴るのが好きだから。」
「ちょっと、何いちゃついてんのよ。」
アイヴィーが自前のマイクをセットしながら話しかけてきた。彼女の革ジャンは今日は真っ赤だ。
「ヴォーカリストには解読不可能な会話だよ。」
「いつだって女は置き去りだね。」
「俺は男女で差別しねえよ?フェミニストだからな。」
「ただのスケベだろ。」
「ショージ、あとで殺す。」
他愛もない会話、3人の良い雰囲気が伝わってくる。この空気を壊したくないので、俺は黙っていた。まあ、いつだって黙っているのだが。
「ねえ。曲、覚えてきてくれた?」
「何とか。」
俺は正直に言った。自信のなさを声から隠すことはできない。
「リズムは全部俺がとってやるから安心しな。」
「じゃあショージ、外したら今日の飲み代アンタが全持ちね。」
「…クリック使っていい?」
「そんなもん、アンタ持ってないじゃん。」
軽口を叩きながら準備が終わった。俺も丁寧にチューニングを済ませた。
「じゃあ、やるか?」
ゴンちゃんの言葉に3人の顔つきが変わった。いよいよだ。
「何から?」
「『やっちまえ!』からだね。」
初めて俺が聴いてぶっ飛んだ、あの一番速い曲だ。勢いとノリ重視。フィーリングが大事。
試されてる。
「じゃあ行くよ。」
「ワン、ツー、スリー、フォー!」
デモもすごかったが、スタジオ内にさく裂するアイヴィーの歌声は「すさまじい」なんてもんじゃなかった。
腹の底まで切り込んでくるようなヴォーカル。この音に対抗するのは並大抵のことじゃない。
チラッと目をやると、ゴンちゃんもショージも必死な顔をしている。アイヴィーと何度もリハーサルを重ねている彼らですら、まったく余裕がない。
ゴンちゃんのギターは、手数は少ないけど極力「弾かない中で聴かせる」絶妙の音を出してくる。
ショージはものすごくエイトビートにこだわってるのが分かる。速い曲で4つ打ちの方が楽だろうけど、絶対に音を抜かない。
3人が3人、まさに真剣勝負。俺はビニールの剣で日本刀に対抗しているような気分。
それでも何とか最後までついていけた。
「けっこう、良かったね。もう一回やる?」
もう一回!間髪入れず。考える暇もなく、再びショージのカウントが始まる。
さっきよりは余裕を持って弾けた気がする。
「ねえ、いま、さっきとベースライン変えた?」
突然、アイヴィーが聞いてきた。
「ダメかな。」
「いや、今の方が良かった。アンタ、何パターンか作ってきたの?」
「5つ。」
ゴンとショージが顔を見合わせた。アイヴィーはあ感心したような呆れたような表情で俺を見ている。
「5パターン?それ、3曲とも5パターンずつ作ってきたの?」
「…「ゴナ・ハグ・ユー」は6パターン。」
「すげえな、お前。」
ゴンちゃんがアイヴィーと目配せした。
「どれがベストか決まらなくて。」
俺は作ってきた理由を正直に言った。
「全部やってみる?」
「いいよ。」
全部やることになった。かなり時間がかかったが、結局「やっちまえ!」はアイヴィーが良いと言った2番目のパターンになり、他の曲もベストなパターンを話し合って決定した。
「お前、いつもそんな感じなの」
「そんなって?」
「そこまで作り込んでくるってこと。それが普通?」
「何が普通なのか、分からない。」
みんながどんな準備をしてスタジオに臨んでいるのか、俺は知らない。ましてや渡されたのは、ベースが存在しないオリジナル曲だ。俺としてはやれることを全てやるしかなかった。
「ねえ、カヴァー曲とかもそうやってアレンジしてるの?」
「けっこう。」
「何かやってみようか。ラモーンズ好き?」
「もちろん。」
「『電撃バップ』は?」
「…『ロックンロール・レディオ』の方がいいかも。」
「よし、やろうぜ!」
「テンポは?」
「…『ロコ・ライヴ』くらい。」
みんながニヤッと笑った。俺もニヤッと笑った。
何だか、楽しい。
家で一人でベースを弾いてるよりも楽しい。
めっちゃくちゃ楽しい。
バンドって、こんなに楽しいものだったんだ。
スタジオを1時間延長することにした。




