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「まおーサマぁ」

「魔王様!!」

「魔王さまぁぁぁぁ!!!」


 折り重なる幼く騒がしい声に、呼ばれた張本人であるところの魔王様は眉を寄せ、僅かに顰めっ面を作りあげた。

 此処が魔王城で眼前にいるのが魔王である事なんてまるで気にしていないかの様に、バタバタと野外を飛び回っていた勢い其の儘に数人の子供達が走り寄って来た。

 頭に小さな2本の角を持った鬼の子供、背中から小さな蝙蝠羽根を生やした悪魔の子供、まだまともに牙が生えていない吸血鬼の子供と様々な種族の子供達が、其の存在に威圧される事なく、まるで同年代の仲間、或いは少し年上の兄にでも接しているかの様な気軽さで。

 もっとも件の“魔王様”も、まだ魔王様と呼ばれるには、魔族が成長の遅く寿命の長い生き物である事を踏まえても、まだ少年と言って問題ない様な歳若い男である為、子供達がそうして気安く振舞ってしまうのも、彼のプライド的には可哀想であるが仕方ないのかもしれないが。


 とは言え、王は王である。

 何なら不敬罪に問えなくもないだろう子供達の振る舞いに、しかし若き魔王は少し顔を顰めただけ、其れも反射的にではなく、まるで体面を繕う様に作りあげた顰めっ面を見せただけで、子供達に問い掛ける。


夜斗(やと)、ノワル、ロゼット。何の用だ?其れと余程の緊急時であればまだしも、基本城内は走るな。前にも言ったよな?」


 勿論、城の主、魔族の王として、いずれ大人になる子供達へ最低限の礼節を身に付かせる為の注意は忘れていないが。

 3人の子供達のそれぞれの名をきちんと呼び、彼等の目を見つめて告げられた魔王の言葉に、それぞれが元気だけは良い返事をして、自分達の発見を大好きな魔王様に告げるべく、それぞれ口を開く。


 曰くまだ小さな物だけれど炎の使役が安定してきただとか、此の前よりも高く飛べる様になっただとか、牙の鋭さが少しだけ増したのだとか。

 1人前どころか半人前に近付いたとも言えない様な些細な、其れでいて確かな成長の報告。


 庭で珍しい小鳥を見付けたから魔王様に見せたいとか、此の前家族で訪れたレストランのデザートが美味しかったから魔王様にも食べてもらいたいとか、魔力の込められた魔石でこそないものの綺麗な小石を見付けたのだとか。

 そんな子供らしい発見の報告。


 些末事だと斬って捨ててしまうに容易で、幾ら歳若く見えるとは言え王である魔王にわざわざ報告する必要も無い様な話。

 そうであるにも関わらず魔王は作りあげていた顰めっ面をあっさりと崩し、代わりにやわらかい微笑みを浮べてみせた。

 まだ子供の幼さを存分に残した、小さく華奢な手で子供達の頭をそれぞれ撫でてやる。そうすれば3人の子供達は満面の笑顔を浮かべ、魔王をきらきらと輝く目で見つめる。


「呼び出したものを扱うにあたって使い手の安定は重要だからな。無闇に大きいものをと先走る必要はねぇし、大きな進歩じゃねぇの?夜斗は周りの気遣いに長けてるから鬼灯の使役も慣れれば満足に出来るだろ。但し油断は禁物だ。小鳥は機会があったらな。相手も生き物だから移動するだろうし、オレに見せる為って理由で捕縛法を使ったら其の小鳥としてはたまったモンじゃないだろ?」


 夜斗と呼ばれた小さな角の子供は、はーい!何処か間延びして感じられるものの元気は良い声をあげ、にこにこと嬉しそうに笑いながら、声と一緒に挙げた手をぶんぶんと振る。

 数週間前であれば褒められた弾みで思わず小さな鬼灯を散らしそうになっていたが、今は其れもない。

 一人前、半人前という論点に及ぶ以前の問題でこそあるが、まだ幼い子供にしては此の短期間で大した進歩である。


「悪魔は割と下界に向かう事も多いからな。飛行能力は高めておいて損はねぇ。高さが増したのも上々だ。コントロールには気を付けろよ?ノワルは其の翼と其の年齢に比べて飛行時のスピードが速い。多分其れは成長しても変わらないだろうし、出せる速度の方も比例して増してくるからな。いざっていう時細かいコントロールが効かないのは危ないぜ?あそこのレストランは結構洒落た事をするよな。そういや最近ゆっくり外食って事もなかったし、今度行こうとするよ。お前も家族で食事、良かったな」


 コントロール気を付ける!!1つ頷いてから元気良く魔王の言葉を復唱した少年、ノワルの小さな蝙蝠羽根は、持ち主の感情を代弁する様にぱたぱたと上機嫌に動いている。

 今正に魔王がノワルに注意を促した様に速度についてずば抜けて発達している此の悪魔の少年は、早速コントロールを意識したのか其の翼の運動によって体が浮いてしまう事もない。

 つい1ヶ月前、はしゃぎ過ぎた彼が勢い余って身を浮かせてしまった事が嘘の様である。

 此方の進歩も大したものだろう。


「へぇ本当だ。そろそろお前に甘噛みされるのも痛くなってきそうだな。こういう事は同種族の方が詳しいだろうけど、此れからは益々無闇矢鱈と牙を立てるのは避けろ。吸血鬼の吸血による契約成立のあれこれは結構ややこしい事態を招くんだ。其れと牙がくすぐったいかもしれないけど我慢な。確か緩和する魔術だの薬草だのがあるから都合付けてやるし、まあ其の辺りはご両親も通ってきた道だから幾らでも相談に乗ってくれるだろ。出来るな?ロゼット」


 言い聞かせる様に告げれば、吸血鬼の少年ことロゼットは大きく頷いた。

 其の口元から窺える牙はまだまだ小さな物であるが確かに鋭さを増しており、此の儘では吸血鬼特有の牙として格好が付くのもそう遠くない未来だろう。

 今迄は甘噛みされてもくすぐったいだけで済んでいたが、そろそろ本気で穴を穿たれそうだし、飾りとしての牙ではなく吸血鬼特有の契約印としても機能していそうだ。

 魔族の成長は遅いとは言え、子供の成長は早いものなのだなと思わず少し気の早い切なさを抱きそうにもなるが、其れは少年の両親が先に抱くべきものだろう。

 そうして別の事を考えるとなると、魔族の成長の遅さが顕著に出ているのではと言わんばかりの己の体への不満が湧いて出てしまうが。

 魔王は魔族の王であって吸血鬼ではなく、其の牙に吸血鬼の様な能力も無い。逆に能力を扱うのに牙が主立ってくる種族であるからこそ発達が他種族より早いと言えなくもないのだが。……魔族特有の尖った牙。下手をすればロゼットに成長で追い抜かれるかもしれない。


 そうした僅かな焦燥を抱きつつ、魔王は其のロゼットが差し出した石を手に取る。

 ロゼット本人が言った様に魔力は僅かも感じ取れず、ただの綺麗な石に過ぎない。とは言え様々な色を見せる其の石は確かに綺麗である。


「魔王さまに渡したくて!迷惑だった?」


 魔王が其の石を手に取った事で輝いた顔は、しかし直ぐ不安にとって変わる。

 そんな少年に魔王は微笑み、ゆるゆると首を横へ振ってから、敢えて傲慢にも見える笑みを浮べてみせる。其れでも其処に、悪戯を企む子供の様な無邪気さは添えて。


「オレが1度でもお前達からの贈り物に迷惑だって言った事、あったか?」

「……ない!!!」


 其の言葉にロゼットはまた輝く笑顔を見せる。

 くるくると表情を変える様は忙しいヤツだと思わないでもないが、子供特有の無邪気さとして好きであったし、ロゼットに限らず繕う必要も無く感情を其の儘表情に出せるのは平和の証明でもある。そうした光景は望ましい。

 そして幾ら平和の証明と言っても頻繁に落胆や悲愴を浮べる事態は忌避したい為、笑顔で固定された事も万々歳といったところだろうか。


「ただ此の儘だと如何しても用途は限られてくるからな。こっちで多少の加工を加えちまうけど良いか?」

「うん!!!魔王さまに使ってもらえるの、それで嬉しいし!!!」



 魔王とて1国の王である以上煌びやか且つ高価な装飾品を纏っていて不思議はないだろう。

 しかし此の魔王が纏っている装飾品は控えめであり、よくよく見れば、否、鑑定眼を持たぬ者が一見しただけでも無価値だと分かる物ばかり。

 例えば先程子供達の頭を撫でていた白く小さな手にしても、其の指を控えめに彩った僅かな指輪には石が付いていないただの綺麗に輝くだけの銀の輪であったり、付いている石も魔力も価値も無い其の辺の綺麗な石を指輪に加工した物であったり。

 確かにまだ少年の幼さを存分に残しており、且つ華奢とも言える手に華美な装飾は映えないだろう。高価で大きな宝石を纏ったところで重たく映るだけかもしれない。

 しかし魔王として纏う風格は確かに存在しており、高価な宝石に気後れする事はないだろう。魔界には其れなりの技術者もいる為、魔王のまだ小さな手に見合う様宝石の加工を行える者だって少なくはない。

 其れでも指輪にしても、角飾りにしても、彼が纏う装飾品が金銭的な意味合いで言えば一切価値の無い物になってしまう理由は、其処にある。


 こうして子供達が自分にと差し出してくれる、綺麗な石。

 其れより少し年を重ねた青年と呼べる程の者が贈ってくれる、手作りの装飾品。


 此の魔王は高価な宝石や魔石よりもそうした、誰かの想いが込められた物の方を好み、大切にしていた。

 勿論本人に言えば否定するだろうが、彼にとって天界では高額で取引される様な魔石や、下界で10桁にも届かんという様な宝石よりも、自分の為にと持ち寄ってくれた綺麗な石の方に余程価値を見出しているのである。





「じゃあお前等、気を付けて帰れよ?」


 はーい!

 はい。

 はい!!!


 結局あの後簡単なお茶をしつつ取り留めもない会話を交わしてから3人を見送る。

 三者三様の返答。其の後直ぐにぱたぱたと駆け出しそうになるのを誰からとともなく留まり、歩いているとは言い難いものの、走っているとまでは言えない速度で城門へと向かっていく。

 結局また次に城を訪れる時は今日と同じ様に騒がしく、ばたばたと走って来るのだろうが。其れでも帰りだけでも魔王の注意を忘れず、走るのを留まったのもまた、成長といったところか。

 そんなやり取りを何度か繰り返していく内に、何時しか彼等はばたばたと走って玉座の前に転がり込んでくる事もなくなるし、口にする成長譚も今からでは想像すら出来ない程大きな物になるのだろう。


 其れは静かで良いと思う反面、何処と無く寂しくもあって。

 とは言え其の頃には新たな悪戯な子供達が城内を騒がしく駆け回っているのだろうが。


「良いか?」


 そんな風に感慨に耽っていた思考を現実へと引き戻す様な声が背後から掛けられる。

 其れを合図にした様に小さく息を吐き、思考を切り替える。とは言え目に見えた変化はない。其れでも腹心達には十分察せるだけの変化は、あったかもしれないが。

 如何した?なんて気軽に問い掛け、小さく首を傾げる姿は玉座に腰掛け高圧的に周囲を見つめるといった、魔王のイメージはない。もっとも此れが現魔王の当たり前である為、魔族が今更戸惑う事はないが。

 魔王が首を傾げた事でどんな夜闇よりも深い漆黒の髪が僅かに揺れ、魔王にしては小さな角を飾り立てる手作りの角飾りが揺れる。左側はかつて城を走り回る悪戯小僧の1人で今は立派に良家の跡取り息子である獣人種の青年から贈られた物、右側は腹心の1人が就任して間も無く贈ってきた物。

 何方も贈り手と魔王以外には価値の見出せぬ、其れでいて魔王にとって大切な物だ。


「此の状態でお前の耳に入れるのは気が引けるが……」

「だから如何した?些細な物でも不安要素があるなら言ってくれて構わない。芽が出てから、種が撒かれてからじゃ手遅れになる場合が多いからな。少しでも不安要素があるのなら其れに気付いた時点で対策しておいて、やり過ぎって事は無いだろ」


 此の腹心は魔王の事を敬い、心から、正に誠心誠意という言葉が相応しい程に尽くしきっているが、其の物言いは淡々としていて滅多に言い淀む事、茶を濁す様な事はせずストレートと言える物だ。其れは本人の性格と魔王が敬った変に気取った言葉遣いを嫌っている事にあるのだが。

 そうした腹心が言い淀む事があるとなれば必然的に用件は限られてくる。現状懸念事項を抱えていれば尚更といったところか。

 魔王の言葉を受け、其れでも一瞬戸惑ってから、腹心は意を決した様に口を開いた。


「天界からの動きがまるで感じられない。音沙汰は正に皆無、しかし何か仕掛けようといった素振りも一切感じられない。杞憂であれば良いが、嵐の前の静寂と言うのが適切に思えてしまう」


 其れは魔王自身気に掛けていた事でもあった。

 天界と魔界は長年、其れこそ成長の遅く寿命の長い魔族の価値観を持っても“気が遠くなる程”と言える長い間、戦争を繰り返していた。

 天界の住人が滅び、魔界の住人が滅び、領土を奪われては取り戻し、奪い返しては奪い返され。

 そうした、最早当たり前の日常と化していた2世界の在り方を崩そうと大々的に動き出したのが現魔王である。

 天界側に終戦協定を提案した。

 しかし其れに対する明確な返答は何年待とうと得られない。無論いきなり終戦をという提案が如何に無謀であるかは魔王とて理解していた。だからこそ其れは予想内であり、次の提案が通る可能性を少しでも高める保険でもあった。もっとも本当に終戦協定(其れ)があっさり通ってしまえば……天界の住人の頭が心配にこそなるが……2世界観の争いを断ち切りたい魔王として万々歳であったが。

 次いで提示したのは停戦協定。

 此の長らく続いた争いを一旦停戦し、次に争いを起こすにあたっては面倒且つ正式な手順を行うというもの。

 此方も天界からの返答は長らく得られていなかったのだが。


「まあこっちが終戦、せめて停戦協定を持ち掛けている中、無闇に仕掛けられないっていうのはあるんだろうな。仮に其の提案を呑めなくて魔界(こっち)を潰してやろうと画策していても、争いを拒む協定の提案をされている以上其処で仕掛けたら好戦国だと判断されかねない。だから判断に悩んでるっつーのは理解出来ないでもないが……。出来れば早く結論が欲しいトコだな。下手にせっついて仮初とはいえ今の平和な生活を崩したくはねぇけど」


 そう。天界からの返答こそ長らく得られていないが魔王の企み通り、天界は此れと言った行動を起こせずにいる。

 長らく続いている争いは其の儘、終戦は勿論停戦さえ両者の間に結ばれていないものの、天界からの返答が得られていない其の“長らく”の間、魔界に於いて平和が続いている事も事実である。

 まだ経験未熟な魔獣達が悪戯に殺される事もなければ、魔物の子供が本物の武器を震える手で構え、足の震えを何とか殺して天界や其の遣い(勇者ご一行)と対峙する事もない。先程の様に子供達が無邪気に走り回り、其れに苦言を呈するだけの日々。

 終戦協定、或いは停戦協定を提示した理由。魔王が求めた世界が今、仮初の物とは言っても魔界には広がっている。無闇に天界を急かして此の平穏を崩したくはない。

 しかし今、両者の争いが当たり前であった時分に比べ魔界全体が平和に慣れてしまっている、悪く言えば平和惚けしている事は事実である。此れが終戦が結ばれての結果であれば願ってもいない事、停戦であっても再戦に正式な手続きを要する以上準備期間が設けられる為悪い事ではない。

 だが現状天界からの答えは出ていない。つまり争いは終結も停止もしておらず、あまりしたくない想像ではあるものの此処で天界が光系打撃魔法を打ち込んでこようと、聖剣を携えた勇者を送り込んでこようと、其れは正当な行為に過ぎないのである。

 此れから先の平穏を望むのであれば、そうした唐突な脅威が傍にあっては落ち着かないというのも、背けようのない事実であるのだ。


「不意を突かれれば誰しも後手に回る。戦力で圧倒していればまだしも、戦力的には均衡である以上後手になるのはマイナスだし、何より此れから魔竜達の産卵期だ。ただでさえ敏感且つ繊細な生き物だから出来るだけ安心出来る環境を整えておきてぇんだよな」


 最善策が通る見込みは薄い為、出来るだけ波風を立てない次善策を必至に練る。

 少年らしさを残す見た目だけに着目すれば少し違和感を抱いてしまうが、彼が魔王である事を思えば自然な光景だろう。だからこそ現魔王は魔界の住人達に慕われ、魔獣や魔竜に懐かれるのだが。


「天界からの攻撃的な動きに備えておくにしても、其れを気取られ停戦や終戦の希望が今より薄くなるのは忌避してぇし。……仕方ねぇ、終戦も停戦もあっさり通るとは端から期待してねぇし次だな。宣戦の義務……相互の不意打ち禁止でも打診しておくか」

「分かった。其の旨で天界に遣いを出そう。しかし差し出がましい真似なのは承知してるが、其れで良いのか?」


 頼む。そう告げようとした言葉は腹心の疑問に阻まれる。

 彼が何に対して問い掛けているのか大方の察しは付くものの、正確に理解しようと首をもう1度横に倒す事で続きを促した。

 腹心自身差し出がましい真似と前置いた様に言葉にするのは多少戸惑いがあった様だが、其れでも数瞬だけの間を置いて彼は再度口を開く。


「もしも天界が何らかの攻撃を企てているのであれば、お前の思う様に下手な防御さえ天界を動かす燃料(動機)になるだろう。宣戦の義務を提案した所で終戦協定、停戦協定の様に返答を先延ばしにされれば其れは成立していない(不意打ちして良い)事になる。だったら隠密に優れた奴等、1撃が強力な奴等を集め、天界其の物を抹消してしまった方が平和は保てるんじゃないだろうか」


 腹心の言う事ももっともだ。

 寧ろ魔界の平和を望むのであればそうした方が近道でさえあるかもしれない。

 しかし其れ等を理解した上で魔王は首を横に振る。


 そして其れは提案した腹心自身、想像していた答えであった。


「甘ったるい考えなのは承知してるけどな、別段オレは天界を滅ぼしたいとは思わねぇよ。魔界が貫いてきた“やられたからやる”っつーのも否定はしない。けどな、出来れば此の儘、争いとか血生臭い事をせずに生きられれば理想なんだよ。其れに天界を滅ぼしたところで人間が牙を剥かないとも限らない。天界の奴等だったとしても、自分の大切な誰かが下らない大戦でいなくなる気持ちを叩き付けるっつーのも後味悪ぃし、何より魔界の誰かに誰かの命を奪う様な経験も出来ればさせたくない。悪さと言えば下界で甘い蜜をちらつかせて、人間を堕落させるくらいで丁度良いんだよ」


 例えば今帰っていった、小さな子供達。

 例えば魔王の角を飾る装飾品を贈った青年。

 そして、魔王に仕える腹心達。


 此の魔王は其の字面、そして一般的に下界や天界の者が魔王と聞いて抱く様なイメージと異なり酷くやさしい男なのだ。

 魔界の住人を守る為であれば其の身さえも容易に張ってしまう様な王なのだ。


 だからこそ此の魔王が魔王を継いでから、当初こそ戸惑いがあったものの今では魔界の住人誰もが彼を慕い、彼に付いて行くと、そして彼を守ると決めている。

 だからこそそんな魔王の心労を少しでも削げればと思って天界の滅亡を提案しつつ、自分達に害成さなければ敵にすら慈悲を向けてしまう様な。大戦に於いて大切な誰かを失う経験をし、大切な誰かを失った者を見てきた此の魔王が其の提案を呑むとは腹心自身思ってはいなかった。


「すまない。余計な事だったな。忘れてくれ」

「お前が魔界やオレの事を考えての発言なのは分かってるさ。謝る必要もねぇよ。其れは兎も角、不意打ち禁止の打診の件、頼むな」

「ああ。直ぐにでも遣いを出そう」


 自室へと向かう魔王の背中をしっかりと見守る様に見送り、其の背中が見えなくなってから腹心も足を動かす。自室に戻ったと言っても此れだけの懸念事項を抱えて魔王が早々に休息を取るワケもない。最悪今日も魔王の自室にある立派なベッドはただ場所を喰うだけのお飾りになっているだろう。

 口で休んでくれと訴えたところで素直に頷く人柄ではない事は長い付き合いから嫌と言う程分かっている。其れがまだ、腹心達だけに任せるのでは頼りないからという理由であれば無視もし易いが、誰かが動いているのに主たる自分が休むワケにはいかないという物だから此方としては、そんな事を気にしないで早急に体を休めてくれ、と訴えたいのである。

 しかし基本的に人の話を聞く魔王は、其処については聞く耳持たず。容易に聞き流してしまう。そもそも耳に届いているかすら不安になる程だ。


 そんな主君に休息を求めるのであれば、如何するのが近道か。


 答え自体は至極単純である。

 主の懸念事項、此の場合は天界との膠着状態に何らかの動き……出来れば此方の提案の承認が望ましい、が、起きれば良いのだ。もし天界が何らかの理由で答えを先延ばしにするのであれば、極めて穏便に礼儀正しく、回答を急かすしか無い。其の際手土産に妥協案も忘れずに。

 天界への遣いを担当している者の中で今直ぐにでも発てる者は誰が居ただろうか。主である本人が一切の休みを返上しているにも関わらず、魔界で任務に就く者には休息と労働のメリハリ、適切な労働時間及び休息時間というヤツが徹底されている。元より其れ程過酷な労働を強いていたワケではないが、今の魔王が其の座を継いでからはより徹底されてきた。

 そうした労働状況を記憶から手繰り寄せつつ、此の時間に任務に就き、今何か重大な仕事を抱えていない者を其処から更に絞る。

 天界への使者は基本天界でも下界でも蛇蝎の如く嫌われる魔族の中から、其れでもまだ好かれていると言えば大袈裟だが彼等の嫌悪が薄く、且つ頭の回る者が選ばれている。そして幸いにも腹心が脳内で照らし出した結果、今使者として送り出すに適切な条件を満たしている者は、そうして選出された使者の中でも天界受けが良く口の良くまわる者だった。

 天界が魔界にとっては良からぬ事を企んでいたところで、使者が彼であり、且つ今度の提案が不意打ち禁止の打診という今迄の争いを完全に止めてしまう、或いは事実上止めたに等しい状況を作り出してしまう案と異なる為、まだ受け入れられる可能性もあるというものだ。受け入れられずとも腹心が危惧している様に天界が何らかの攻撃を水面下で進めていたところで、多少の抑止力にはなるというもの。

 もっとも其れでは現状と変わらない為、魔王の望む魔竜産卵期を迎えるにあたった安心出来る環境には及ばないが。


 魔族にとって時間の流れは遅い。

 其れは天界に生きる者にとっても同じ事である。100年200年ではそう見た目も変わらず、種族によって多少の差異こそあれ、つい最近といった次元で語られてもおかしくはない。

 そうした時間感覚を持った種族でさえ、“長らくの間”と言ってしまえる程、終戦協定を提示してからの反応はない。其れにしては恐ろしく静かで平和な日々が続いているが。

 其の水面下で、天界が何か、今迄と比較にならぬ程の物を企んでいるのではないか。そう危惧せずにはいられない。

 今迄何度となく続いてきた大戦。或いは送り込まれた人間の使者(勇者)達。

 記憶、文献、建築物、事実を下敷きにした物語。

 其のどれを紐解いても最初に仕掛けてきたのは天界側だった。

 上空から魔族にとっては劇物の光弾を打ち込み、正義の名を翳した人間は土足で魔界に踏み入っては魔物の子供達を経験値代わりに(嬉々として)斬り殺し。

 そうした振る舞いを正義の名を掲げ、純潔を名乗り、平然と行える天界だ。此の長い間の沈黙は正に現魔王の平和を求める提案を逆手に取った嵐の前の静けさではないかと。


「……止めておこう」


 長く息を吐き、緩く首を振って腹心は脳裏を過ぎった考えを振り払う。

 確かに今迄の大戦は全て天界が仕掛けてきた物だ。其の中には悪列な手段も少なくはない。しかし其れでも此処迄長い間彼等が沈黙を保った事も無かった筈だ。

 仮に魔界を一瞬で粉塵も残さず消滅させるだけの魔法を練っていたところで、彼等の実力や魔力を考えれば此れ程の年月も必要ない。却って練り過ぎた魔力は制御を失い、日頃何かと頼りにしている人間の使者が暮らす下界さえ巻き込みかねないのだ。

 一応正義や純粋、慈悲を謳う彼等が無作為に破壊を齎すとは思えないし、そうした慈悲が一切欠如していたところで貴重な駒である人間を悪戯に消し飛ばす事もしないだろう。


 だから、そう。

 天界側も魔王の真意を汲みかねているか、統率が取れているとは世辞にも言い難い造りの為まだ結論を出せていないか、そういったところだろう。

 オレも随分甘くなってしまったものだ。そう思いつつ、腹心は先程脳裏を過ぎった使者に魔王の提案を運ぶ命を告げるべく、彼が居るだろう部屋へ足を運んだ。

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