しゃべるサルに恋をする
惑星トントロの第七補給所の待合室でコーヒーを飲んでいるとき、ヨントロピウム星人のヨキール・トロ・ピロ・アルゴナン(もっと長い名前だけれどここは省略だ)から熱烈な愛の告白を受けたのだが、地球人イコカワはそれを信じなかった。
待合室のベンチの隣をちょっと睨んで、翻訳機のレベルを深くする。
「本気かヨキール。それってつまり、俺にとっての『犬とセッセセしたい』ってのと同じことだろ。いかれてる」
「犬とセッセセ」と言われたヨントロピウム星人は、蛍光緑に輝く瞳でイコカワを見た。イコカワは身構えた。こういう眼をしているときのヨントロピウム星人は、たいてい意地悪なことを考えている。
地球から半径十万光年圏内に存在する知的生命体の中で、もっとも優秀とされる種が、ヨントロピウム星人だ。わかりやすく卑近な物差しで測ると、IQが五〇〇ある。そういう話を持ち出すと、彼らは笑って、昨今の人工知能のIQは一万を超えているんだよ、などと言ってはぐらかす。
まあそんなことはどうでも良い。犬コロに求愛した狂人のことだ。
「イコカワ」
と、ヨントロピウム星人独特のエコーがかった声がする。
「犬とセックスというのは適当でない。地球人とサルのセックスくらいにたとえるべきだ。私も犬の知性を認めることにやぶさかではないが、交雑の観点から」
「おい、ヨキール」いらいらしながらイコカワは遮った。「何度も言わせるなよ。セックスじゃなくてセッセセだ。わざと間違えてるのか?」
「はいはい、セッセセね、セッセセ。どうだイコカワ、地球人だってサルに愛情くらい感じるだろう。私もイコカワに愛情を感じる。セッセセもできる。何も問題はない」
丸っこい指でイコカワの左太ももをつねって、ヨントロピウム星人はほほえんだ。イコカワは舌打ちを返した。
「俺はサルに愛情なんて感じないね」と言うと、
「なぜ?」
蛍光色の瞳をますます燃え上がらせながら聞いてくるのだった。
ヨントロピウム星人の姿は、それなりに地球人に似ている。身体のパーツは少しずつ色合いや配置が違うけれど、地球人イコカワの眼から見て、「人間」の範疇におさまる外形をしている。そういう形の生き物が、ベンチの隣に腰かけて至近距離で迫ってくるから、落ち着かない気持ちになるのだ。たとえ自分がサルの立場であっても。
「サルは嫌いだ。ああ確かに、サルは俺たちに似ているかもな、だがサルたちは俺の言葉を理解しやしないし、あいつら、裸でウロウロしやがる。恥じらいってものがない」
「じゃあ、サルがイコカワの話を理解して、衣服も身に着けて、恥じらってくれたら、きみはどうする?」
と言われて、イコカワは少し考えた。服を着たサルのことを考えた。想像の中のサルは歯茎を剥き出しにしてイコカワを威嚇する。ちぐはぐな感じがして、うまくいかない。そもそも俺はサルが好きじゃないんだから、と誰にともなく断ったあと、サルを犬にすり替える。イコカワは犬派だった。スーツを着た犬を考える。歩くときの足音はフカフカで、生え変わりのシーズンに辟易して「はやく夏になってくれないかなあ」と言うとか。尻尾をギュッとつかまれて、「やめてよぉ」と甘えた声を出して、鼻を濡らすとか。
「それはカワイイ気がする」と、イコカワは口に出していた。
「だろう?」
ヨントロピウム星人は二番目の指をピンと立てて、不意にイコカワの口に触れた。「話せる」と言って、今度は指をイコカワの胸元に滑らせる。「服を着ている」指先を押し付けて、隠れていた爪が繊維を引っ掻いた。裂けた隙間からふわふわの手が侵入して、裸の左胸に触れた。問う声は笑っていた。「恥じらっている?」
俺は犬派だ! と叫びそうになるのを堪えて、イコカワはなんとか冷静な声を返した。
「誰が恥じらうかよ、ばか。これからシャトルに乗るってのに、服破くとか、ないぞ、おまえ。ヨキール」
「縫ってあげるよ。だいじょうぶ」
ヨントロピウム星人はこともなげに言う。イコカワは、なんだか、疲れてしまった。