鏡の向こう
一回読んでもどういう話かわからないと思います。血という文字が出てきます。
俺は鏡を見る度にいつも疑問に思う。それは馬鹿らしいことであり、答えの分かり切った問いでもある。だが、そもそもその単純な問いに対する、明確な答えをはっきりと俺に証明できる人などいるわけがない。他人は俺ではないからだ。他人との情報の受け渡しには必ず信用という不確かなモノが関わってくるからだ。
俺の疑問とは単純明快、鏡に映る自らの姿が本当に自分自身なのかということだ。
しかし、案の定というべきか、そのような話を知り合いに話ても結果はきまっていた。つまりは、俺の納得のいくような答えなど返ってこなかったということだ。まあ、そもそも他人を介した答えなど信用できないのだが。
そこで俺は考えついた。なぁに簡単な方法だ。鏡の前で自らの顔を傷つける、それだけだ。傷をつける位置を自分で決めれるということは鏡のそれとも比較できるということになる。もし鏡に映るモノが自分以外のなにかであるならばなんらかのアクション、もしくは変化をみれる可能性もある。もっとも、その何かに痛覚があればのはなしだが。
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いつも感じる。鏡を見る度に。複雑に絡んだ感情。それは、嘲笑、戸惑い、恐怖。肉体的には悪寒といったところか。最近は鏡を見る毎にそのような負の感情、負の感覚が増しているような気さえする。嫌な予感がするからだ。鏡の向こうから……
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さあ、切ってみようか。本当に自分なのかを確かめるために。積もる程の埃が覆いかぶさる洗面台の隣に俺は立つ。眼前には薄明かりに照らされる鏡。その鏡の四つの角にはそれぞれ、幾何学にも似た彫刻が施されている。その溝に半ばこびり着くように溜まっている埃もこの場の不気味さに一役買っている。
右頬から全身へとクリアな感覚が広がってくる。ペティナイフを当てているからだ。割と小さめのそれ。だが切れ味は刃の光に表れている。
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どうしてだ! なんでオレはこんなモノを顔に! どうしてだ、オレは何をしようとしている!? オレはただ顔を洗おうと……。
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頬に加える圧力を大きくする。刺すような痛みがその一点から細く強く感じられる。それに伴いナイフの先端から膨らむように血の球が浮かんできた。それは、ある程度まで膨らむと下部から形を崩し一定のペースで頬を滑るように流れた。これで一筋の紅い印ができた。
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ふざけるなよ! 痛いんだよ! どうして勝手に身体が動くんだよ!?
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鏡の向こうを見据えるように、俺はそこを凝視した。紅い印の位置は俺のと変わらない位置にある。気のせいか、顔が少しだけ歪んでいる気がする。が、それが自分の表情なのか俺には分からない。
だから、頬に引かれた赤のラインに沿って滑らすようにナイフを下ろす。引いた線が溝に変わった瞬間にはもう血が傷跡を埋めていた。
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もう、嫌だ。手が動く。勝手に。まるで、鏡の奥の自分に操られるように……
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未だによく分からない。鏡に映るモノが自分なのかどうか。もう少し切ってみよう。顔を切ってみよう。よく分かるように切ってみよう。
押し付けては、切った。繰り返し。繰り返し。鏡が朱色に変わるまで……
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もう嫌だ、これは誰の顔だ? こんなことをしたのは誰だ? 俺か? いや、違う。オレはこんなことしない。じゃあ誰だ? ……いいや、もう、耐えられない。
オレは舌を噛み切った……
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突然頭に鈍い痛みがはしり、息ができなくなった。何かの液体が口内を満たしている感覚がある。何故だ? 激しい痛みの中、無防備に床に身を叩きつけ、俺はもがいた。が、その痛覚よりももっと怖ろしいモノ、の視線を受けている気がして、俺は眼を揺らしながら朱色の鏡を見上げた。
その鏡の奥には口を真っ赤に染めたオレが立っていた。
鏡の向こうの自分とここにいる自分は繋がっているというイメージです。でも。やはり、分かりにくいでしょうね! ね! ね!