第一話
薄暗い小さな部屋の机の上に、直径二十センチ程の水晶が置かれている。
老婆が両手で水晶を包み込みむと、何やらインチキ臭い呪文のような言葉を唱え始めた。
しばらくすると、中心に怪しい光が浮かび上がる。
これはトリックなんだろうか。
「カズヤ、この水晶に手をかざすのじゃ。緊張せずともよい。出来るだけリラックスして水晶を見つめるがよい」
インチキ占い師のようなお婆さんが言った。
言われたとおり手を添えて光を見つめてみる。
「これでいいのか? それと、オレの名前はカズマだ。カズヤではないとさっきも言ったような気がするが」
「おおすまん」
まあ別にどうでもいいか。二十二歳のオレと婆さんじゃ友達になるって間柄でもないし。
目の前の婆さんも、そんな事はどうでも良いというばかりに熱心に何かを念じていた。
徐々に輝きを増す水色の光を眺めているうちに、オレの意識は遠くなった。
◆
「どうせ死ぬのなら、違う世界に行ってみないか?」
ビルから飛び降りようとしていたオレを引き止めた言葉だった。
「あの世も異世界も大して変わらんじゃろ」
そう言って変な家に連れ込まれ、訳の分からん儀式をさせられた結果、オレは見知らぬ森の中で目を覚ますことになった。
ただ単に眠らされて何処かの森に放置されただけ、という感じもする。とりあえず森の中を適当に探索してみることしよう。
おっとその前にやっておく事があった。オレは首に掛けている婆さんから渡されたペンダントを握り締めて念じた。
「カズヤか」
婆さんの声が直接頭に響いてきた。不思議な力だ。異世界に転送するなどと全く信じていなかったが、今こうしてテレパシーのような事ができているのであれば、本当のことなのかもしれない。
「いや違うって。カズマだと何度言えば…」
「心配したぞ。何時間も連絡が無いからてっきり失敗したのかと」
そんなに長い間意識を失っていたのか。全く自覚がなかった。
「写真は無事じゃな?」
婆さんに言われ、オレはリュックから一枚の写真を取り出した。
美咲。
その写真に写っている女の子の名前で、婆さんの孫らしい。手違いでこの世界に送り込まれてしまった彼女を探して連れてきて欲しい、と婆さんからお願いをされていたのだった。
オレはしばらく婆さんとやりとりした後、早速探索に出ることにした。
辺りを見回すと、右手のほうに僅かに開けた景色が見える。森の出口なのだろう。とりあえずそこに向かってみる。森から出ると、だだっ広い平原に出た。なんとなく道らしきものがあったので、それに沿って適当に歩くと、草むらの中から変な生き物が飛び出してきた。
頭のてっぺんがお尻のように割れていて、体は四角で短い手足がついている。背はオレの半分くらいしかない。どこから頭で、何処から体なのかよく分からん。
ものすごく変な形だな。
それが第一印象だった。
その頭がお尻のやつは、ぴょんぴょんと飛び跳ねると、何と体当たりを仕掛けてきた。
「うおっ!」
とっさに腕でガードするが弾き飛ばされてしまった。
いってぇ。
頭がお尻のやつは、またぴょんぴょんと飛び跳ねながら向かってきた。突然の事と結構な痛みでオレはパニックになりながら逃げ出した。
「うぉぉぉ、ケ、ケツが追いかけてくるぅ」
無我夢中でさっきの森まで逃げると、不思議とお尻は森の中までは追ってこなかった。
魔物がいるやもしれん。
婆さんは確かそう言っていた。オレは理解していたつもりだったが全然わかっちゃいなかったのだ。生まれてこのかた二十二年、自慢じゃないが喧嘩なんて一度もやったことがない。人生初の喧嘩相手があんな訳の分からんケツのお化けなんて可哀想すぎる。
オレはそのまま横になり、これからどうしようか考え込んでいた。
ばしゃん!
「ぐあ!今度は何だ?」
隣の池で魚が跳ねた音だった。
ん?
これは見慣れた魚の形をしている。ということは食えるのかな?
長い間、眠っていたらしいオレのお腹がペコペコになっていたことに気がついた。
喧嘩はやったことはないが、運動神経は良いほうだった。オレは靴を脱ぎズボンをまくり上げると池に入って魚に襲い掛かった。弱いものには対しては強いのだ。
数分後、勝ち誇った笑みを浮かべたオレの手には、数匹の魚が握られていた。
向こうの世界からライターを持ってきていたのは正解だった。枯葉と木をあつめて焚き火をつけると、魚を焼いた。
塩を忘れたのが非常に痛いな。
「味がねぇよ、全く…」
オレが文句も言わず大人しく食べていると、次第に近づいてくる足音が聞こえた。
またお尻の怪物がやって来たのかと身構えるオレの前に、馬に乗ったおっちゃんが現れた。
「セーフゾーンで煙が上がっているから何かと思えば、あんたか」
焚き火の煙を見つけてやってきたらしい。
「た、助かったぁ〜」
オレはその場にへたり込んでしまった。
「おいおい、平和じゃないな。どうしたんだ」
「いやぁ、さっき向こうでお尻のバケモノに襲われてしまって」
オレは頭がお尻のバケモノの話をした。
「お前それは、ラス君じゃないか」
「らすくん?」
「ああ、この辺りに生息している一番弱い魔物だ。子供の修行相手に丁度いいやつだな」
「………。」
「お前、ラス君にも勝てないのにどうやってココまで来たんだよ」
といっておっちゃんは大爆笑した。
返す言葉がねぇ。
「おっと、こんな所で遊んでる暇はないんだった。俺はもう行くぞ。そんじゃあな」
「えええ!ちょっとお待ちを。ラス君にも勝てないオレはどうしたら?」
恥もプライドも投げ捨てて言った。ここで見捨てられたらお終いのような気がしたから。
「う、い、いや、連れてってやりたい所だが俺も先を急ぐんでな。しかもこの先はもっと強い魔物が出るぞ」
オレは必死におっちゃんにすがったが、何でも新しいワープゾーンが見つかったから急いで行きたいとかいう話をして去っていってしまった。
おっちゃんは一応、オレに使い古した剣と、アイテムボックスとかいう魔法で物を沢山入れれる鞄のような物をくれた。形的にはボックスというよりバッグのほうがしっくりくるが、あくまでアイテムボックスと呼ぶらしい。試しにオレのリュックを入れてみると、リュックが小さくなって中に入った。うむ、これは便利だ。
アイテムボックスの中には他にもいくつか便利グッズがあって、それで何とか頑張ってくれとのことだった。
残る問題は、ラス君とかいう魔物をやっつけることだけだな。所詮は子供の修行相手だ。剣を手に入れたオレにかなうはずもない。
たぶん。
そう願いたい。
オレはリベンジに出た。おっちゃんによると、この森はセーフゾーンと言って魔物が入ってこないエリアだそうだ。いざとなったら、またここに逃げ込めばいい。
一、心構え
二、古びた剣
三、最悪の時の逃げ場所
三種の神器を手にしたオレにとっては、ラス君は単なるお尻だった。まぁ、一歩譲ってお尻に毛が生えた程度だな。手足も生えてるけど。十回くらい剣を叩きつけるとラス君は力尽きた。魔物は倒すと消えてしまうようだ。不思議な現象だ。ここが異世界というのは間違いないな。
一匹倒して自信がついたので村まで行くことにした。このまま道に沿って歩いていけば、二時間くらいでマニラという村に着くらしい。結構遠いが、とりあえずは拠点が必要だ。
何匹目かのラス君を倒すと、何やら小さな四角いものが残った。
「ドロップだ。本当に出るんだ」
腹が減ったら、これを食えと教えてもらった。元の形がアレなだけに勇気がいるが、生きるためには仕方が無い。とりあえず、とぐろを巻いてないからアレから出るアレでは無い事は確かだ。おそるおそる口に入れてみる。
食パンのような味と食感だ。決して旨くはないが、これなら何とかいけるな、うん。
アイテムボックスから、池で汲んだ水を出して飲みながら食べた。これで何とか、この世界で生きていく目処がたったようだ。
あれ?
死ぬつもりなんじゃなかったっけ、オレは。
いやいや、美咲を探さないと。
美咲は、死んだ妹にそっくりなのだ。だからこの頼みを受けたってのもあるんだけどな。
そんなに義理があるわけでも無いので危険を冒してまで探すつもりは無いが、とりあえずやることないし、この異世界で唯一の同じ世界の人間に会ってみたいってのもあるしな。
調子に乗ったオレは、自ら尻を捜して狩りながら進んだ。食料にもなるし修行にもなるし、一石二鳥だ。村につく頃には、日もずいぶんと傾き、ドロップのパンが十個ほどになっていた。
さてと、とりあえず泊まるところを探さないと。色々な珍しい街並みを散策してみたいところだが、まずは今日の寝る場所を確保したい。
確か、入り口から右手に沿って歩いていって、最初の曲がり角のところだったっけかな。
お、あった。
「すいませーん」
オレは、『しらかば』と書かれた看板がある家へと入っていった。
「あいよ」
「あのー、旅のものですけど、ここの宿がお勧めって聞いて泊まりにきました」
カウンターに居たおかみさんは、嬉しそうな顔をした。
「それはどうも!で、何泊するんだい? 一泊、百二十ゴールドだよ」
オレは固まった。
金。
金なんてねぇ。
何故そんな事に気がつかなかったのか。
いや、あまりにも現実離れ続きだったのでこれは仕方がないことなんだ。
一応、日本円は五万円ほど持っているが、無理だろうな。ゴールドとか言ってるしな。
おかみさんは、戸惑っているオレを不思議そうに眺めている。
「ごめんなさい、お金を全部落としてしまったみたいで。出直してきます」
あきらめて宿を出ようとしたら背中から声が掛かった。
「お待ち。何か訳ありみたいだね」
事情があるなら、お金は後でいいよと言ってくれた。
しかし、後にも先にもお金自体持っていないオレにはどうしようもなかった。
「うーん、よし、こうしようじゃないか。実は最近パンが品薄でね。明日でいいからさ、パンを十個ほど調達してきてくれないかい?それで宿泊代は無しということでどうだい」
「パン?」
怪訝な顔をするオレをみて、おかみさんも不思議そうに言った。
「そうだよ、ラス君のドロップじゃないか。あんた冒険者なのに知らないのかい?」
なんだ、あれはやっぱりパンだったのか。
「あーごめんなさい。うっかりしてて。パンなら十個ほどあったと思います」
そう言って、アイテムボックスから取り出して数えてみると十一個あった。
「わっはっは。丁度いいじゃないか。残り一個は、あんたの今日の晩御飯だね!」
昼も夜もパンになってしまったが、とにかく寝る場所は確保できた。
しかし今日だけだ。毎日パンを渡して宿泊させてもらおうかと思ったら、そんなに毎日いらないよ、と言われてしまった。まぁそれもそうか。
そういえば、この世界の冒険者ってどうやってお金を稼いでいるのだろうか。明日おかみさんにでも聞いてみるかな。今日のところは疲れたし、寝よう。