エピローグ
エピローグ
そこはゴツゴツとした岩壁で囲まれた場所だった。光源となるものがないわりには、周囲が明るい。だがここはそのように創られた空間だ。
「久しいな、ゼリューよ」
出入り口の全く見当たらないその場所で、抑揚のない女の声だけが静かに聞こえてきた。
「昔と少しも変わってはおらぬ」
低い天井から地上へと、仕切りのように何本も連なる岩柱。その向こうで堂々と胡座をかいている者に対して、彼女は表情を崩さずに言葉を続ける。
「貴様が変わらぬのも無理はない。『禁術』によって肉体は疾うに失われ、意識体のみの存在となっておるのだからな」
彼女は左肩に乗っている傀儡を愛おしそうに撫でながら、艶やかな真紅の瞳をゼリューへ向けていた。
「手に触れられぬ存在というのも、また厄介なものだ。お陰で貴様を捕らえるために、入らぬ手間を掛けてしまった」
「お前が外から監視していたのは知っていたが、まさか俺を生け捕りにするつもりだったとはな」
ここでようやくゼリューが口を開いた。彼の口調もまた平坦で、何の感情も見られない。
「あの中に入れたのは、貴様の認証傀儡のみ。だがアレらは既に処分済みだ。使い魔はもういない」
「で、俺だけを生かしてどうするつもりだ。お前は俺を相当憎んでいたはずだろう? サラ」
ゼリューは口端を上げ、挑むような視線で相手を睨め付けた。それを受けた彼女の緋色の瞳が、瞬間的に歪んだかのように見えた。
「そうだな……確かに貴様を殺すのは簡単だ。外へ引きずり出すだけでも、簡単に滅せられるからな。
が、それでも殺さずにいるのは、まだ利用価値がある。それだけのことだ」
「そのためだけに『精霊に選ばれし者』に、あの術を刻んだのか?」
「ふ…まさか。
奴らで試したことがないのに、術効果の有無など、確証がないではないか」
もし言い伝え通りであるのなら、魔物である自分たちの術は『精霊に選ばれし者』には効かないはずだ。その話はサラも知っている。
「だが妾の思った通り『精霊力を使用しない』術ならば、効果が現れた。だからこそ、貴様を捕獲することにも役立ってくれたのだ」
(……やはり、考えることは同じか)
魔族が術発動をするには体内と大気、ヒトの場合では大気の精霊力と精霊石を、それぞれ使用する。精神エネルギーと精霊力を使用するという点では両者ともに差違はないが、違いがあるとするならば、精霊石を介するか否かだけだ。
つまり『精霊石』を使用するのがヒト、使用しないのが魔族という認識である。それで『精霊の加護』の反応が違ってくるのだ。
だが何れの場合でも術を放出する際には、精霊力を使用する。そこに『精霊力』が含まれてさえいれば、『精霊の加護』が何らかの反応を示す。
しかし最初からそこに『精霊力』そのものが含まれていなかったとしたら、どうだろうか。
「妾も言い伝えでしか聞いてはおらぬゆえ、半信半疑ではあった。
だがこれであの御方の復活に、一歩また近づけるというものだ。そのために利用できるものは利用し、努力も惜しまぬ」
「そう言っているわりには、『精霊に選ばれし者』に術を施し、更には刺客を差し向けたんじゃないのか?
お前の目的は、最初に扉へ入らねば為すことができないはずだろう。なのに『鍵』を先に壊すつもりか」
「刺客? 何のことだ」
「……何?」
逆に問い掛けられ、ゼリューは一瞬戸惑いの表情を見せた。
「あの術は妾のさじ加減で、どうとでもなる。それは貴様とて知っておろう。
それに『精霊に選ばれし者』は、まだ完全には目覚めておらぬようだ。『鍵』となるには、多少の時間も必要だろう。
アレらが完全に揃うまでは、まだ生かしておくつもりだ」
(まさか……本当に知らない?)
最初はルティナを追ってきた者なのかとも思ったが、エリスは自分たちが標的だと言っていた。だから彼は『精霊に選ばれし者』に対して、サラが送った刺客なのだと思っていたのだが。
「妾はあの小娘を追ってきた、卑しい者どもだと思っていたのだがな。
……だが、まあ良い。
それに関しては後でリチャードにでも、調べさせればすむことだ。
何れにせよ、貴様やあの小娘にもまだ利用価値はある。
だからこそ、あの娘にも刻印を施し、生かしているのだ」
「何故あの娘まで生かす必要がある。俺を捕らえるために、瘴霊の種を使ってまで、な」
その言葉へ反応するかのように、サラは口端を上げた。
「何故……だと?
貴様こそ、わざと娘から攻撃をされるように、仕向けていたではないか。
もっとも、貴様のことだ。
娘が向かっていった時、『瘴霊の種』も一緒に破壊させようとしたのだろう。
あの能力なれば周囲の瘴気を排除し、本体へ到達することも可能だからな」
彼女は微笑を浮かべながら、ゼリューを見据えた。
「その後に貴様は自ら結界を消滅させ、自滅しようとしたのだろう。
だが残念だったな。その目論見は妾により直前で、見事潰えた。
とはいえ瘴霊の種は何れ、人間が処分することになるだろうが。
愚民とはいえ、それくらいの能力はあるだろうからな」
「人間でも簡単に処分できる欠陥品。
だがそれを生成するだけでも、お前の命は削られているはずだ。
なのに何故そこまでして、俺を捕らえようとした」
「アレは精霊を目覚めさせるのが目的だ。決して貴様を誘き出すためではないわ。
それに貴様ごときのために、自らの魂を捧げたりはせぬ」
(やはりそうか)
ゼリューは自分の考えが正しかったことを確信していた。
「貴様とてそのくらいのこと、既に察しておろう。
逆に妾には、今まで貴様が無駄な浄化をしていたことのほうが、理解できぬがな」
「そりゃ、どーも」
彼もまた、口端を上げた。
サラは相手から少しでもプライドを傷つけられると、聞いてもいないことをぺらぺらと喋り出す。しかも無意識で。
思った通り、その性格はまだ変わってはいなかった。
「しかし俺としては、こんな回りくどい方法で……しかもこんな檻まで作って、俺を生け捕りにすることのほうが、余程理解できないな」
「妾は端から貴様などに、理解してもらうつもりはない」
サラは背を向けながら言葉を続けた。
「先程も言ったが、妾は利用するだけだ。そこに個人の感情など入ってはおらぬ。何故なら」
彼女は肩越しに振り返ると、彼を睨め付ける。
「これはあの御方の……そして我が一族。
―――魔王の末裔である、我らの悲願でもあるのだからな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ようやく傷の癒えた彼は、目的地へ向かって歩き出そうとしているところだった。
つい昨日まで大勢のギルドや騎士連中が、現場であるこの場所を彷徨いていた。だがそれもようやく片付いたのか、今朝は人影も殆ど見かけなくなっている。
「くそ、あの女…」
自身がかけた透過術の中から慎重に辺りを窺いながら、彼は外へと身を乗り出していた。そして三日前のことを思い出し、歯噛みする。
最初に命令された目標が、あまりにもつまらなかった。退屈しのぎにさえもならないほど、弱すぎたのだ。
だから途中で現れた女――ルティナに切り替えることにした。
無論命令も大事だが、『最強』になることも彼にとっては、非常に魅惑的なことだった。特に魔物である彼が、それを欲するのは本能でもある。
故に倒した後で命令を実行するのが、一番合理的な方法だと判断した。
彼はその選択が間違っていたとは思っていない。が、不測の事態が起きてしまった。
(まさかあの女に、あのような能力が……)
『呪われたモノ』―――。
魔族とヒトの混血種を、世間ではそう呼んでいる。
その能力は千差万別。
ある者は能力がないためにその時点で殺され、またある者は一族の誰よりも遥かに能力値が高く、長にまで上り詰めた者もいた。
混血種はある程度成長しなければ、その能力が計り知れない。未知数の者なのだ。
ルティナと最初に戦った時、並の人間よりは頭が一つ抜け出ている程度にしか感じられなかった。つまりそれほど、強大な力はなかったはずだ。
多少苦戦するにせよ、倒せない相手ではなかった。だから能力も簡単に手に入ると思っていた。
だが眼帯を外した瞬間、今まで感じなかった強大なモノが、そこから襲ってきた。
(人間の胎内から生まれ出でたという噂……だが一番気になるのは)
真紅の瞳。
それを見たせいで、攻撃に隙が出来てしまった。
(あの女……まさか、あの御方の眷族なのか?)
あの色を持つ者は、彼の記憶の中でも上位クラスの――とある一族だけである。
だが今までその一族が、人間の女に子を産ませたなどという話を聞いたことがなかった。
手に入るというのであれば当然、能力は欲しい。
だが、それがもし事実だとするのなら、簡単に手を掛けることはできない。何故なら中位が上位に刃向かうということは、自殺行為にも等しいからだ。
(何れにせよ今は、命令を完遂させることが先決)
魔族としての悪い癖が出たために、多少の寄り道をしてしまった。しかしまだ目標の三人には、追いつけるはずだ。もしあの温泉村を既に出発していたとしても、行き先の手がかりくらいは掴めるだろう。
彼が目的地へ戻るために一歩を踏み出した時、頭上では羽音のようなものが聞こえてきた。
反射的に顔を上げる。
だが彼はソレを捉えることができなかった。
その前に全身が、炎で包まれていたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(ヤレヤレ、ですな)
彼は放っていた火焔を止め、目の前で発光している黒いモノから手を離した。ソレは微かな羽音を立てて空中へ浮かび上がると、彼の右肩に舞い降りる。
「まだあの辺りに潜んでいるとは思っていましたが、お陰で目標を捉えることができました。しばらく張っていた甲斐があったというものです」
彼は眼を釣り糸のように細めると、独りごちた。
周囲には誰も居ない。居るのは肩に乗っている傀儡のみ。
この傀儡は以前、主から与えられたモノだった。
『対』でなければ役に立たない傀儡であったが、今そこに居るのは一匹だけである。もう一匹は先程空間を介し、攻撃を放った先に居る。
(しかしわたくしの認識も、どうやらかなり甘かったようですね。後で愚者の尻ぬぐいをせねばならぬとは……それに主様が、あの者に接触していたことも想定外でした)
時々主が側近に何も告げず、ふらりと行動することはあった。
だが主は、今回の接触相手を毛嫌いしていたはずだ。故に自ら訪問するなど、彼にとっては予想外。後日それを告げられた時には、流石の彼も驚愕したものだった。
(これでわたくしもしばらくは、迂闊なことができなくなってしまいましたな。
芽は育たぬうちに……と、思っていたのですが。
まあ、いいでしょう。今は焦らずとも、時間はたっぷりとありますからね)
今まで築き上げてきた実績から、自分は絶対的な信頼を得ている。
だからこそ彼は細部にまで注意を払い、行動していた。
そのためには、主にまだ知られてはいけない。
証拠となるものは全て滅した。もう一匹の末路も既に伝え聞いている。
これで真実を知っているのは、自分だけのはず。
ぱたぱたぱた…。
前方から別の白い傀儡が、こちらに向かって飛んでくる。ソレは目の前で制止すると、白く発光し始めた。
彼は手をかざす。そこから流れ込んでくるエネルギー。脳裏には人間に似た、黒髪女性の映像が浮かんでくる。
「ようやくお戻りになられたようですな」
白い傀儡は彼の身体から一旦離れると、今度は左肩へ止まった。
「それではそろそろ、参ることに致しましょうか」
口端を上げながら、被っていたシルクハットを脱ぐ。
「先に命じられていた『裏切り者』についてのご報告を、せねばなりませんからね」
(第2部 完)
●あとがき●
このような長い小説をここまで読んで下さった方、お疲れ様でした。
そしてありがとうございます。
心より感謝いたします。
一応「第2部」はこれで完結ですが、まだ「第3部」へと続く予定になってます。
準備でき次第開始したいと思いますが、間に別の話とか書くかもしれませんし(汗)、まだしばらく時間がかかりそうです。
今のところ開始時期は未定ですが、もし開始することになりましたら、その時はまたよろしくお願いします。
2012.1.29




