第6話 温泉の村
アクニカ村は山間にある、比較的大きな温泉郷だった。
水の社も近くにあるので巡礼者だけでなく、観光目的の旅行者なども立ち寄ることが多い。そのため、かなり賑わっているという話だった。
翌日の昼過ぎ。道中では魔物数匹程度に襲われただけで、ほぼ予定通りに私たちはアクニカ村へ到着していた。
村の中へ入ると早速私たちは、散歩中らしき飼い犬の歓迎を受けた。
つまり激しく吠えられたのである。
だがいつものことなので気にしない。正確に言えば吠えられたのは、フードを目深に被った姿のディーンだけであるが。
「びぇぇぇぇぇっ!」
今度は入口付近に立っていた幼い男の子が、彼の姿を見るなり大声で泣き出していた。
側にいた母親らしき女性はその男の子を抱きかかえると、慌てた様子で目を伏せながら私たちの側を足早に立ち去っていった。この異様な格好と全身から醸し出される雰囲気のせいだが、それもいつものことだ。
「そういえばディーンには、赤ちゃんがいるのよね。その子は怖がったりはしないの?」
私はこの前から疑問に思っていたことを、何気なく口にした。年端のいかない子供には必ず怯えられ、泣かれるのである。自分の子供ではどうなのか、何となく気になったのだ。
「そのことなら全く問題ないよ。何故ならウチの子の前では、素顔しか見せていないからね」
相変わらずの不気味な笑みを口端に浮かべながら答える。当然と言えば当然の答えかもしれない。
「でも普段からこの格好でいるほうが、落ち着くんじゃなかったっけ。だから家でもこんな姿でいるんじゃないの?」
「ははは…まさか。
家では女の子たちに囲まれる心配がないからね。この姿にならなくても落ち着くことができるよ」
(あ、「落ち着く」って、そういう意味だったのか)
『フードを被る』という行為自体のことかと思っていたが、どうやら私の勘違いだったらしい。
「それにこの姿を一度でも見せてしまったなら、娘には完全に嫌われてしまうよ。そうなったらこの先、俺は生きてはいけないかもしれない。
なんといっても娘は俺の生き甲斐だからな。
やっぱり自分の子供は可愛いんだよな。妻に似ているしさ。
周りの人間は俺のほうが似ていると言うが、俺よりも妻に似ていると思う。何故なら……」
どうやらディーンの連射トークタイムが始まってしまったようだ。彼は家族のことを話し始めると、連射する矢の如く止まらなくなる。この前など、奥さんとの馴れ初めノロケ話をエドと二人で、延々二時間も聞かされてしまったのだ。
「ん? 何この人の山は」
私はここで、ふと気が付いた。
私たちは大通り付近にまで歩いてきたのだが、その先は人で溢れ、中心部では更に人集りができていた。
いくら温泉で賑わっているとはいえ、通りの中央付近に人集りができているのはただ事ではない。
「何っ!? こ、これは……!」
集団を見たアレックスが突然、驚愕の表情を浮かべた。
「エド、今だ! 今こそエリスにアレをっ!!」
「了解です~」
エドは阿吽の呼吸でそう言うと、私の手をガシッと力強く掴んできた。昨晩アレックスがレクチャーした方法で握ってきたのである。
「うむ、これならばもうはぐれることはないだろう」
彼は顎を擦りながら目を細め、私たちの繋いでいる手を満足そうに一人、眺めていた。
「………」
もう、口を開きたくもない。
「ちょっと失礼」
私たちの横を丁度通り過ぎようとしていた男性を、ディーンが呼び止める。
「! な……何でしょう」
一般の村人らしい中年男性は彼を見ると、一瞬ビクッと身体を震わせた。そして先程の幼児と同様に、みるみる怯えた表情に変わっていく。
「人が集まっているようだが、この村で何かあるのか?」
「あんた、知らないのかい。これからあの中心にいる騎士様たちが、何か大事なことを発表するらしいんだ」
男性は視線を逸らしながら早口でそれだけを答えると、逃げるように人混みの中へ消えていった。それを見送った後、ディーンは私たちのほうへ顔を向ける。
「どうやら騎士がこの村で、何か重大な発表をするらしいな」
「重大な発表とは何でしょうか~。非常に気になります~。では早速見に行きましょう~」
エドの顔がぱあっと明るく輝いたと思った瞬間、有無を言わさず手を繋いだままの私とともに、群衆の中へと突っ込んでいったのである。
「ちょ……っ! エド!?」
慌てた私の声は喧騒に掻き消され、彼には届いていないようだった。
私は引っ張られたまま、人の波に揉まれている。腕が千切れそうな上に、かなりの息苦しさだ。
悲鳴を上げつつ窒息寸前な状態にまで陥っていた私だったが、急に呼吸が楽になった。気が付けばいつの間にか、人波が途切れている。どうやら最前列に辿り着いたようだ。
私は肩で荒い呼吸を繰り返しながら、乱れた髪と息を整えていた。
頭がグルグルして気持ち悪い……。
このような混雑には慣れていないため、もう既に人に酔ってしまったのかもしれない。
目の前には五~六人程のシルバーの甲冑を着た騎士様たちが、横へ一列に綺麗に整列していた。その中心にいる金鎧を身に纏ったロマンスグレー風の人物には、私にも見覚えがある。
「あれ? あの方~マクガレー団長ですよ~。こんなところにも~遠征しているのですね~」
隣にいるエドが疲れている私とは対照的に、キラキラと顔を輝かせながら言ってきた。
確かにあの見覚えのある角張った顔は、リーヴォン王国第五騎士団のフランツ・マクガレー団長である。あの団長がここにいるということは、やはり討伐隊がこの村へ派遣されているということなのか。
それにしては騎士の人数が多いような気もする。
討伐隊の編制時には隊長と一~二名の騎士、他はギルドで雇った傭兵や巡礼者などの術士で成り立っているのが一般的だった。しかしここには十名近い人数の騎士たちがいた。何か非常事態でも起こったのだろうか。
「騎士様たちがここに来たということは~一体何の発表をするのでしょうか~」
エドはあからさまに何かを期待している表情をしながら、中心にいるマクガレー団長に熱い視線を向けていた。彼はこの好奇心だけであの人混みの中、最前列まで移動してきたのである。
「えー、静粛にー!!!」
しばらくすると、騎士の一人が群衆に向かって大声で制した。周囲のざわめきが、徐々に静かになっていく。それを確認した後、マクガレー団長は一歩前へ出てくる。
「私は王国第五騎士団所属、フランツ・マクガレーである。現時点よりフィオス町間の街道を、一時的に封鎖することになった」
村中に行き渡るほどの、凛とした声だった。群衆が再びざわめきだす。だがマクガレー団長は構わずに続ける。
「これから説明する!」
その一声で、辺りがしんと静まり返った。
流石は一個小団を束ねるほどの騎士長である。威風堂々とした態度で、民衆を一瞬にして沈黙させたのだ。